「 南京事件に関する新事実 まさに歴史を見直すべき時 」
『週刊ダイヤモンド』 2001年12月1日号
オピニオン縦横無尽 423
歴史を振り返るとき、常に私たち日本人の心の傷としてとらえざるをえないのが南京事件である。
戦後教育を受けた私は、長いあいだ、日本人は南京で虐殺行為をしたのだと思っていた。報道の分野で仕事をするようになって初めて南京大虐殺説に疑問を抱くようになった。かといって特に南京事件の調査をしてきたわけではないが、外交問題の取材などに関連し幅広く書籍や資料を読むようになった。
その結果、中国側のいう30万人虐殺はありえないことなどは、比較的すぐに納得できた。問題はそこから先である。南京での虐殺はなかったとする書籍や資料を読んでも、私にはなかなか、それは認められなかった。30万人よりはずっと小規模ながら、一般市民の虐殺はあったのではないかとの見方をぬぐい去ることができないできた。
そんな私の目を大きく開かせる書籍が出た。『「南京事件」の探究』(文春新書)である。著者の北村稔氏は立命館大学教授で団塊の世代、中国近・現代史の専門家だ。
北村氏はできうる限り、イデオロギーを排除して客観的事実を掘り起こすことで南京事件を見詰めようとした。南京虐殺が存在したと確定されたのが東京と南京で行なわれた戦争裁判の判決書によってであることから、北村氏は二つの判決書がどのような資料と証言によって作成されたかを調べ、それらを逐一、調査する手法をとった。その結果、驚くべきことが分かったのだ。
南京事件を最初に世界に知らしめたのは、オーストラリア国籍の記者、ティンパーリーの書いた“What War Means : the Japanese Terror in China”という書籍である。南京事件の翌年の1938年に早くも出版された。ちなみに彼は英国のマンチェスター・ガーディアンの中国特派員だった。
一流紙の特派員で、中国とも日本とも関係のない第三国の人物による書籍との触れ込みで、彼の書籍には信頼が寄せられ、残虐行為の有力な証拠ともなった。南京大虐殺の日本断罪は、この書物から始まったともいえるのだ。
北村氏が発掘した事実は、ティンパーリーの隠された素顔に関するものだ。じつは彼は公平なジャーナリストなどではなく、蒋介石の国民党の対外宣伝工作に従事していたというのである。
上の事実は『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社)を書いた鈴木明氏も指摘しているが、北村氏はさらに調査を進めてさらなる新資料にたどりついた。そのうちの一つは国民党中央宣伝処の曾虚白処長の自伝だ。自伝のなかで曾は次のように書いている。
「ティンパーリーは都合のよいことに、我々が上海で抗日国際宣伝を展開していた時に上海の『抗戦委員会』に参加していた三人の重要人物のうちの一人であった。(中略)我々は秘密裡に長時間の協議を行い、国際宣伝処の初期の海外宣伝網計画を決定した。我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔を出すべきではなく、国際友人を捜して我々の代弁者になってもらわねばならないと決定した。ティンパーリーは理想的人選であった。かくして我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の大虐殺の目撃記録として2冊の本を書いてもらい、発行することを決定した」
こうして極めてタイムリーに日本断罪の書が出版されていった。公平な第三者の著作のはずが、じつは国民党宣伝部の資金を受けていた人物によって書かれたものだったのだ。それが元になって南京大虐殺説が生まれてきた。となれば、南京大虐殺は存在しなかったのだ。詳しくはこの書を読み、そのうえで、何が歴史の真実に近いのかを一人ひとりが考えてみてほしい。
事実は目前に見えている。まさに歴史を見直すべき時なのだ。