「 フェンタニル密輸は中国の国家戦略 」
『週刊新潮』 2025年7月10日号
日本ルネッサンス 第1154回
中国による合成麻薬、フェンタニルの対米密輸がとまらない。苛立つトランプ米大統領が習近平国家主席にフェンタニルの密輸を止めよと度々要求しても、習主席は管理を強化すると空約束を繰り返す。まさに21世紀のアヘン戦争の様相となってきた。
トランプ政権が中国との間で最も重視するのがフェンタニル問題なのだが、なんとこの米中の麻薬戦争に日本が巻き込まれていた。大規模麻薬戦争の中継拠点が名古屋市西区にあり、そこから「中国人ボス」が世界各地の麻薬組織に指示を出していたというのだ。
これらは日本経済新聞が6月26日から3日間にわたって報じたスクープ記事で判明したことだ。執念の取材によって明らかにされた、日本が世界規模の麻薬取引きの中継拠点となった理由などは後述するとして、米中間の最も深刻な問題となっているフェンタニルについて見てみよう。
致死量はわずか2ミリグラム、フェンタニルは恐ろしい麻薬である。日経のスクープによれば、米麻薬取締局(DEA)が約2年前に中国人の男1人と女1人を逮捕した。DEAは2人を1年ほど追跡し、囮捜査官が接触をはかり、遂に3トン以上のフェンタニル取引きをまとめるところまで漕ぎつけた。取引き場所にフィジーが選ばれ、そこで2人は逮捕された。
彼らは3トンに上るフェンタニルをニューヨークを起点にして米国全土に流通させようとしていたのだ。2ミリグラムで死に至る麻薬をトン単位でばらまけば、数十億人が死ぬ。まさに米国を内側から滅亡させる中国共産党、即ち習氏の陰謀の柱のひとつである。現にフェンタニル中毒による米国の死者の数は凄まじい。2023年には薬物の過剰摂取で年間11万人が死亡した。週毎に2115人、日々301人が亡くなったということだ。
トランプ氏が怒るのは当然だ。氏は第二次政権発足時に世界を驚愕させた大幅関税を世界中の国々からの輸入品に課したが、国境を接した同盟国、メキシコとカナダにいち早く25%をかけた。中国のフェンタニルが両国経由で米国に流入するのを取り締まっていないというのがトランプ氏の怒りの原因だった。
米国弱体化の企て
一方、トランプ氏は中国に対してフェンタニルについての無策を罰するとして2月と3月に各々10%ずつ、追加関税をかけた。
今年2月18日、米紙『ウォールストリート・ジャーナル』(WSJ)はフェンタニル密輸の経済規模をDEAが年間5000億ドル~7500億ドル(72兆~108兆円)と推計していることを報じた。巨大な闇ビジネスに数知れない中国人組織が群がり、そこから更にメキシコなどの麻薬組織をはじめとする犯罪者らに密輸ネットワークが広がっているわけだ。
中国側は輸出管理を強化すると言いながら、これは基本的に米国自身の問題だという主張を崩さない。鎮痛剤としての薬品を安易に処方し、それを患者が麻薬同然に使えるようにしているのは、米国政府の管理が緩い所為(せい)だと主張する。
だが、DEAが逮捕した中国人2人が3トンにも上るフェンタニルの対米流入を目論んでいた事例にみられるように、その規模においても金額においてもフェンタニルの密輸は単なる犯罪集団による麻薬取引きではない。フェンタニルの原材料製造に中国の国有企業が関わっているなど、背後には中国共産党の明確な意図、対米戦略があると見るのが正しいだろう。
中国全土には5億台といわれる監視カメラが設置されており、どんな犯罪も容易に摘発可能だ。麻薬取り締まりに関係するある人物は、ほぼ完全な監視社会を築いた中国が本気でフェンタニルを取り締まろうとすれば「1秒でできます」と語る。要は中国共産党、そのトップに座る習氏の決断次第だと言うのだ。
状況は中国共産党がフェンタニルによる米国弱体化の企てをやめる気がないことを示している。名古屋市西区に秘かに設けられた拠点もそのような中国の国家戦略の枠内でとらえることが大事だろう。
なぜ日本に拠点があると判ったのか。日経が詳細に伝えている。フィジーで逮捕された中国人2人は、男が王慶周、女が陳依依という。王が上司で陳は王の通訳を務めていた。
取り調べで王が、「弊社には2人のボスがいる。1人は日本にいて、もう1人がこの私(王)だとクライアントには理解してもらいました」と自白したのである。
裁判資料に出てくる日本に関する件りはここだけであり、短い。米当局もこの人物の詳細は把握できていない。だが、日経はここからの取材で「日本のボス」の名前も、名古屋市西区の拠点も突きとめた。犯人の名は「Fengzhi Xia」。名字のXiaは漢字で「夏」、名前の漢字は特定できていない。夏は約1年前に姿をくらましたが、昨年7月まで、フェンタニルの配送を日本から差配していたという。
日本の税関検査が緩い
麻薬捜査関係者は一様に口を揃えて、「日本は麻薬密輸・販売の中継拠点として最適だ」と言う。理由の第1は、日本の税関の検査が緩いこと、第2は日本はこれまでフェンタニルに関する犯罪が殆ど発生していないために、およそ怪しまれることなく仕事ができるという点だ。第3に訪日外国人の入国審査が緩く、犯人らの出入国が容易だという点がある。
夏が社長を務める「FIRSKY」の取り扱う製品は化学薬品で、「日本から世界各地にフェデックス、UPS、日本郵便などの国際小包で発送。5~7営業日でお届けします」とホームページに掲げていた。日本製品の品質のよさは世界でも折り紙つきだ。夏が日本の持つ信用力やブランド力を利用していた可能性があると日経は指摘している。
これまでわが国は麻薬に関しては「麻薬をさばくマーケット」として認識されていた。しかし中国人ボスが法人登記をした会社の司令塔となり、堂々と麻薬を米国向けに配送していたことは、わが国もまた、米国のみならず他国の麻薬捜査機関の捜査対象となり得るということだ。トランプ氏の怒りで対日関税が引き上げられることもあり得る。日本は早急に断固として取り締まるべきだ。
今回の日経のスクープが警告するのは、わが国の中国及び中国人に対する取り締まりや資格審査の緩さである。わが国に入国する中国人全員を疑うことは妥当ではないにしても、犯罪者、工作員、スパイなど、入国させてはならない人物は必ず混じっている。出入国管理をもっと厳しくすることが欠かせない。中国人の法人登記に関しては、取材していても心配になるほど審査が甘い。もっと詳細に調べることが重要だ。また、際限なくわが国を訪れる中国人旅行者、留学生に関しても、その数を制限することを考える時期だと思う。
