「 戦争への覚悟を持つ中国の脅威 」
『週刊新潮』 2025年2月6日号
日本ルネッサンス 第1133回
米国防総省の政策担当国防次官にエルブリッジ・コルビー氏が指名された。氏は第一次トランプ政権のマティス国防長官の下で画期的な国防戦略をまとめ、それはトランプ政権の安全保障戦略として2017年12月に発表された。
内容は01年9月11日の米同時多発テロ以来、米国最大の脅威は非国家のテロ勢力だとする基本戦略を180度大転換させて、最大の敵は国家としての中国だと喝破したものだった。米国は大国中国との戦争に焦点をあてて軍を構成すべきだという主張をわが国は大いに歓迎した。コルビー戦略はいま世界の安全保障戦略の基本となっている。
氏の近著、『アジア・ファースト』(文春新書)によると、氏は右の戦略報告書をまとめた後、18年半ばに国防総省を離れ、著書『拒否戦略』の執筆に取りかかっている。拒否戦略の内容は後述するとして、いまコルビー氏の主張に耳を傾けるべき理由は、氏が単なる武器装備の優劣や戦術論を越えて、歴史、文化、経済などを踏まえて中国を俯瞰し、客観的に彼我の国力を比較した上で、国家としての安全保障戦略論を展開しているからだ。
コルビー氏は米国内における中国への向き合い方は大別して二つ、⓵優越主義と⓶抑制主義だと言う。
⓵を信奉する人々は米国の軍事力をさらに強化して中国に対する優越性を維持すべきだと主張する。⓶はその反対で海外に展開中の米軍を国内に戻し、およそ全てのことに不介入を貫こうと考える。コルビー氏の提唱した「拒否戦略」は先の両案の中間に位置づけられる。
氏は「国際政治のなりゆきや勢力均衡などを決定する上で最も重要なものになるのが軍事力」だと再三強調し、米国が目指すべきは「基本的にアメリカに有利な勢力均衡の状態を維持す」ることであり、他国、即ち中国を「彼らの意志をアメリカに押し付けることができるほど強大にな」らせないことだという。
人民解放軍の人件費
日本周辺で高まる中国の脅威に、拒否戦略に基づいて対処するとすれば、「軍事的に(中国を)第一列島戦から出さないこと」、そのかわり、「われわれはアジアの大陸に出て行って戦」わないこととなる。
氏が目指すのは「適切な平和」であり、中国の「レジームチェンジ」は望まない。中国はいくら台頭してもかまわない、但し、中国がわれわれにその意志を押し付けてくるのはご免被るということだ。
こうした戦略の背景には、中国はすでに、米国がおさえつけることができない程強力になってしまったとの認識がある。たとえば経済力だ。世界のGDPの25%を占める米国は世界第一の経済大国だと評される。だがコルビー氏はそれに疑義をはさむ。GDPよりも購買力平価(PPP)で比較する方が戦略的な意味で国力を正確に表していると主張する。
ちなみに購買力平価とは、自国と相手国で取引されている様々な商品の交換比率を表すものだ。例えば、ハンバーガーが日本で1個100円、米国で1ドルなら、両国でハンバーガーを取引する場合の交換比率(つまり購買力平価)は1ドル=100円になる。そして各国の購買力平価をドル換算したものが「購買力平価GDP」となる。
PPPでみると米国の購買力平価GDPは28兆7810億ドル、中国は35兆2910億ドルである。実質経済力としては中国の方が米国よりもやや大きいことになる。米国では人件費含めて全て中国より高いためにこういう結果となるのである。購買力平価GDPが大きければ商品や労働力、その他諸々のものをより多く買える。同じことは軍事にもあてはまる。
中国は人民解放軍の人件費は人民元で払う。ミサイルも弾薬も船も全て人民元支払いが基本だ。兵器の調達も兵士の動員も米国と較べて購買力の大きい中国の方が優位なのは明白である。
もう一点、米中の比較で大事なことは戦争に対する考え方だ。トランプ米大統領は米国は世界最強の軍事大国であり続ける、そのために軍事費を大幅に増やすと明言している。しかし、トランプ氏が基本的に戦争をしたくないと考えているのは明らかだ。
他方、習近平国家主席は戦争も辞さぬ構えを崩さない。習氏は戦争をする気だと見ておくのが正しいだろう。氏は中国は戦争をしたら必ず勝てる国でなければならない、世界一流の軍事国家になると講話し、それを国家戦略として掲げている。
台湾の事例に明らかなように、目的達成に必要なら軍事的手段も排除しないと国際社会に宣言済みだ。他にも習氏の「戦争も敢えて辞さず」の意志を示す事例は少なくない。たとえば中国経済がどれだけ不振でも、習氏は人民解放軍の増強をやめない。シンクタンク国家基本問題研究所の調査では、中国の核戦力の強大化、核運搬手段のミサイルの増強振りが衛星画像で明確にとらえられている。他国にも歴史的にも類例を見ない壮大な規模と速度である。
日本は最大の標的
コルビー氏の指摘が興味深い。氏は偏執狂的なレーニン主義者である習氏には戦争に踏み切る合理的な理由があると喝破するのだ。戦争は勝者に果実をもたらし、目的達成に効果を発揮するからだと、ざっと以下のように説明する。
米国はテキサスもカリフォルニアもメキシコから奪った。イスラエルは東エルサレムとヨルダン川西岸、ゴラン高原を力で奪った。アメリカは奴隷制度を内戦で解決した。
こうした事例にはさまざまな解釈があるが、コルビー氏は戦争の成果物の事例としてこれらのことに言及する。人民解放軍を急速に強大化し、南シナ海の基地建設を成し遂げ、今も尚、軍事力強化に集中する習氏には、台湾奪取のために戦争を始める手段も力も、そして目算も十分にあるということなのだ。習氏はまず台湾を攻め、次に向かうのがフィリピンであろう。当然、日本は巻き込まれ、攻防戦になる。中国の挑戦は避け得ないために覚悟と準備が大事である。
準備の基本は拒否戦略に基づいた反覇権連合の結成だと、コルビー氏は強調する。われわれが中国を攻めるのではなく中国が攻めてくるのであるから、それを止めるために中国に支配されたくない国々が力を合わせるのだ。その中心軸となるべきは当然、わが国、日本である。インド・太平洋地域を制覇するには中国はどうしても日本をその影響下に置かなければならない。日本は中国の最大の標的である。
日本の頼りなさは為政者が全くその脅威に気づいていないことだ。防衛費GDP比2%では到底不十分である、3%にせよ、それを急ぎ軍事力強化に具体的につなげよとコルビー氏は強調する。コルビー氏の声に耳を傾け、あらゆる意味でわが国の強靭化を急ぐときだ。