「 習近平の軍師が描く台湾併合の悪夢 」
『週刊新潮』 2024年2月22日号
日本ルネッサンス 第1086回
習近平国家主席は何を目指しているのか。2月1日、インド太平洋軍司令官任命に当たって、米上院軍事委員会の公聴会でサミュエル・パパロ将軍はこう述べた。
「人民解放軍(PLA)は失地回復主義、歴史修正主義、領土拡張主義に基づき軍事力で勢力拡大を続け、国境線を再設定しつつある」
中国国防大学教授で上級大佐の劉明福氏の主張を知れば、右の警告が真に迫る。劉氏は習氏の信頼厚い軍人で強い影響力を持つ。氏が2010年に出版した『中国の夢』は、中華人民共和国建国100年にあたる2049年までに中国は米国と並ぶ強国になる、そして中国の今世紀の目標は世界一の強国として米国を凌駕することで、米国と並び立つことではないという強硬論満載の書だ。氏は米中関係は「勝つか負けるかの結果のみだ」と断じている。
同書が出版された時、当時の胡錦濤政権は対米摩擦を気にしてか、これを発禁処分にした。しかし12年11月に習政権が発足すると事態は一変した。習氏は総書記就任のわずか半月後、共産党創立100年(21年)までに中国はややゆとりある国となり、中華人民共和国創設100年(49年)までに米国を追い抜いて、中華民族の偉大なる復興を成し遂げる、という「中国の夢」を語ったのだ。発禁処分になった劉氏の著書は新しい指導者に認められ、国家戦略に格上げされた。今や劉氏は習氏の軍師だ。
以上の経緯は『中国「軍事強国」への夢』(劉明福著、峯村健司監訳、加藤嘉一訳、文春新書)に詳しい。
劉氏は中国の夢の重要な要素のひとつが国家統一であり、その方法は二つ、平和的統一と武力統一しかないと指摘する。その上で統一は平和よりも貴く、平和のために統一を犠牲にしても、無期限に延期してもならないと強調する。
この書では氏の考える台湾統一について丸々一章が割かれている。まず氏は中国の台湾統一を米国の南北戦争と比較して論じる。南北戦争は1860年12月から65年4月まで約4年間続き、南北合計で62万人以上が戦死した大戦争だった。
「永遠に分裂しない」
わが国で吉田松陰や橋本左内など有為の人物が安政の大獄で井伊直弼の命により死罪にされたのは1859年だった。その約1年後の60年11月、エイブラハム・リンカーンが米国第16代大統領に選ばれた。翌月サウスカロライナ州が合衆国からの離脱を宣言したことが引き金となり、南北戦争は始まった。南北戦争は奴隷解放を掲げた北部諸州と南部諸州の争いととらえられがちだが、劉氏は米国の内戦を62年9月までの第一段階と65年4月までの第二段階に分けて論じている。
第一段階でリンカーンが奴隷解放を副次的な要素と位置づけ、合衆国連邦の崩壊阻止を最終目標としたことに劉氏は注目する。欧州、とりわけ英国が中立政策の名の下に南部連合を支援したのは、リンカーン率いる北部諸州が国際社会の共感を得る大義を掲げ損ね、政治的優位を獲得できなかったからだと見るのだ。
劉氏は工業の発展していた北部諸州の資本主義制度と、奴隷制度を堅持することでようやく成り立つ南部の「綿花王国」―全く異なる二つの制度が存在する事象をアメリカの「一国二制度」だと論じ、リンカーンが奴隷解放宣言を62年9月に発表したのは、一国二制度は成立しないということに気づいたからだとも見る。
ここで北部諸州による軍事的勝利こそが英国による南部びいきの干渉を打ち破ったと、劉氏が明確に断じていることに、私は注目する。軍事力の重要性を認めるのは国際社会の常識ではあるが、台湾問題を語るときの中国はとりわけその傾向が強い。劉氏は南北戦争をあくまでも中国の台湾統一の正当性に結びつけて論じている。
「米国の内戦において、北部が分裂勢力を打倒する統一戦線と、奴隷制を廃止する『革命戦争』を結びつけたことで、反分裂と反奴隷制という二重の政治的本質が優位にな」ったとし、「将来的に発生し得る『中国統一戦争』は、反分裂と反干渉の正義の戦争になる。いかにして圧倒的に政治的に優位な立場になれるかどうかが、一つの重要な課題」だと指摘して、こう解釈している。
「米国の内戦は、米国に前代未聞の産物をもたらした。それは『国家観』だ。連邦は救われたのではない。復活したのだ」「4年を要したこの戦争で、62万人が亡くなった。この62万の命の代償に、統一という成果を得たことを記憶しておくために、米国すべての国民の誓いの言葉には、『祖国に忠実に、永遠に分裂しない』という文言が、自由や公正よりも前に記されている」
国際法も道義も無視
台湾併合の戦争で同じように多くの犠牲者を出してもそれは祖国の為に正当化されると言っているかのようだ。中国は紀元前の秦の始皇帝の時代から17世紀の清朝まで、およそいつも戦争によって統一を成し遂げたとして、台湾併合による国家統一は、習氏の下で成功裏に進む段階に達したと劉氏は断ずる。中国の戦いは、「特色ある新型戦争」なのだそうだ。「21世紀における知能戦争の新境地を切り開」くもので「世界戦争史上の奇跡を起こ」すと豪語する。
それは「戦わずして敵兵を屈服させる」のではなく、「巧みに戦うことで敵の戦意を喪失させる」戦争だという。「人員に死傷なし」「財産の破壊なし」「社会に損害なし」という特徴の大勝利だそうだ。
このような見通しは、「台湾の軍隊は伝統的な反上陸作戦によって国家統一を防ぐという幻想を放棄しており、同時に人民解放軍も伝統的な上陸作戦という思考上の束縛から脱却しつつある」からだと劉氏は説く。
しかし、「我々は平和的統一という『御経』を念じ続けるわけにはいかない」「中国による武力行使は避けられない」と、最後の手段としての暴力戦争にも言及している。
台湾を武力で併合した後は、台湾独立犯罪分子を公開裁判にかけ、厳格な処罰で強い社会的インパクトをつくり出すと脅すことも忘れない。
劉氏は米国の南北戦争が、奴隷解放宣言によって大義のある戦争となったとして、それになぞらえて中国による台湾併合を論ずるのだ。しかし中国の大義は一体どこにあるのかは、全く示し得ていない。習氏の軍師は国際法も道義も無視するただの一党独裁の軍事大国による帝国主義の横暴しか示し得ていない。
わが国も米国も台湾も、中国が最重要視する軍事力の構築に力を注がなければならない。しかし、中国びいきの公明党が安全保障環境構築の足を引っ張り続ける中、岸田文雄首相が一向に指導力を発揮できないでいる。こんなことで日本も台湾も守れるものか。中国の高笑いが聞こえるようだ。