「 核なき世界への道は現実重視から 」
『週刊新潮』 2023年10月5日号
日本ルネッサンス 第1067回
ロシアに不条理に攻めたてられ、必死に戦っているウクライナの在り様は他人事とは思えない。彼らの直面する問題は、ロシアを中国に、ウクライナを日本に置きかえれば日本の問題そのものである。だからこそ、力を持たない国の悲劇という点で、日本はもっと学ばなければならない。
ウクライナのゼレンスキー大統領は9月19日、国連総会で演説し、21日には米国のより大規模な軍事支援を取り付けるために、ワシントンで精力的に動いた。氏のメッセージの主眼は、戦争はウクライナ国民を守るためだけでなく、世界の自由と民主主義のためのものである、だからもっと支えてほしいという点だ。次に重要な点は、ウクライナは米国の支援なしには戦争に負けると率直に語ったことだ。
同発言はウクライナに対するこれ以上の軍事支援は了承しないと少数の米上院議員が言い始めたことを念頭に、非公開で行われた上院議員らとの会談でゼレンスキー氏が語ったものだ。発言はニューヨーク州選出の民主党上院議員、チャック・シューマー氏が明らかにした。
ゼレンスキー氏は21日の午前中を上下両院の指導者らに加えて、上院議員全員との対話に費やしたが、米議会の熱量は昨年と比べて明らかに下がっていた。昨年12月、上下両院議員全員を前にして議事堂で演説した際、拍手で幾度も演説が中断されたのとは対照的に、今年は共和党の反対で議事堂での演説は行われなかった。
わずか1年弱、この間の議会における反応の変化は米国世論のそれを反映している。昨年2月の調査では、ロシアの侵略開始を受けて「ウクライナにもっと支援すべきだ」が62%を占めていた。しかし今年8月になると、「ウクライナに追加支援すべきでない」が55%に上った。
折しも米国は選挙の季節に入る。ウクライナを負けさせる戦略は自由主義陣営としてはあり得ない。故に十分な支援が必要だと分かっていても、世論の反対には配慮せざるを得ない。共和党の上院議員6人と下院議員23人の計29人は21日、ゼレンスキー氏の米国議会説得工作にぶつける形で「米国のウクライナへの支援金の使途、終戦に向けた戦略の不透明さ。そうした点が明確に説明されない限り、ウクライナへの240億ドル(約3兆5000億円)の追加支援を盛り込んだ予算案には賛成しない」との書簡をホワイトハウスに送った。
共和党が多数を握る下院で議長を務めるケビン・マッカーシー氏との会談はとりわけ厳しい内容だったと、「ワシントン・ポスト」紙が報じた。マッカーシー氏は米国の支援金をウクライナがどのように使っているのか、戦争に関する戦略戦術、ウクライナ軍が米軍提供の武器装備を責任ある方法で使っているか、即ちロシア本土への攻撃には使っていないことなどの確認、戦争終結の見込みなどについて詳細を尋ねたそうだ。戦争終結の見通しを語れるのは、皮肉なことだが、ゼレンスキー氏よりもむしろ、十分な武器援助をするかしないか決める立場にある米国の方だ。
戦争開始から575日
そもそもマッカーシー氏はウクライナ問題では積極支援派で、ウクライナが欲している長射程のミサイルATACMSやF16戦闘機を米国は供与すべきだという立場に立つ。氏は米国の軍事支援の遅れも非難してきた。しかし共和党内には強い反対論もあり、議長として彼は板挟みに遭っていた。
立法府とは対照的なのが行政府の対応だ。オースティン国防長官は全面的支援を約束した。バイデン大統領は首脳会談後の記者会見で、もし世界の民主主義国がウクライナを見捨てれば、独裁者たちに近隣諸国の侵略を奨励することになると断じた。
バイデン氏は、ウクライナへの人道的援助、外交的援助に加えて安全保障の支援も惜しまない、砲弾や火器、対戦車砲などに加えて、冬に備えて電力やエネルギー供給の重要インフラを守ると決意表明し、そのためにウクライナの制空能力を高めると約束した。戦争開始から575日、戦い続けるウクライナ国民の勇気を幾度も讃え、米国はこれからもウクライナと共にあると、バイデン氏は繰り返した。
バイデン氏の情緒たっぷりの発言とは対照的にゼレンスキー氏の発言は短く、事実の指摘にとどまった。米国政府、議会、メディアに対してウクライナ支援を感謝し、米国が公約した支援の具体策の紹介だけで発言を終えた。表情は厳しく、声音は低く、敢えて言えば暗かった。
その後の質疑応答ではゼレンスキー氏に、「貴方の求めた追加軍事援助を議会が支持すると確信していますか」という問いが飛んだ。ゼレンスキー氏が答える前に、バイデン氏が割って入った。
「米議会が正しい判断を下すと期待しているよ。その他の道はない」
脅しの道具
それで記者会見は終わりだった。これに先立って行われた大統領執務室での二人の会談で、バイデン氏がゼレンスキー氏の肩を抱いて、ゼレンスキー氏の耳元に口を寄せて何事か囁いている写真を複数の米紙が掲載した。これを見て私は想像した。ウクライナの生殺与奪権を有する米国大統領が、「君は大丈夫だ。アメリカがついているから」と、ゼレンスキー氏に語っているのではないかと。
その声に縋らなければならないのがウクライナだ。上院議員らに訴えたように、米国の新たな軍事支援なしにはウクライナは負けるのだ。ロシアに敗れることの悲惨さをゼレンスキー氏は知っているからこそ、青ざめている。十分な力、十分な態勢を整えていない国の運命は苛酷だ。米国に必死で頼まなければならない。だがその米国の議員らが皆、国際政治の力学を弁えているわけではない。ウクライナ支援は米国の為でもあると理解している人々だけではない。ポピュリズムはあらゆる政治につきもので、戦略的に間違うこともある。
岸田文雄首相は国連演説で「人間の尊厳」が守られる世界を作ると強調した。広島出身の政治家として核なき世界を目指す決意を繰り返した。核軍縮を世界潮流の主流とするために30億円を海外の研究機関に寄付することも発表した。みな素晴らしい。正論だ。しかし、どこか的外れだ。
核は今、脅しの道具として国際政治の現場で使われているのである。戦場では使用されていないが、核の脅しという背景の中で米国の軍事介入が封印され、通常戦力による烈しい戦いが展開されている。露朝の接近、中国の対露協力の背景に、米国に対抗するべく彼らの共有する核戦力の戦略がある。
だからこそ、核廃絶を目指すのであれば、その第一歩として、核がどのように国際政治の力学を変えるのかを知り、戦略を練ることが重要だ。そのことに気がつかず、単に廃絶を唱えるだけでは一歩も進まない。現実に即してまず、核戦力について考えることが、岸田氏の日本国民に対する責任であろう。