「 楠木正成を討ち死にさせた政軍関係 」
『週刊新潮』 2023年1月19日号
日本ルネッサンス 第1032回
今年、日本の私たちが関心をもって学びたいことに戦略と戦術の違いがある。岸田文雄首相が発表した安全保障戦略に関する3文書、それを解説するメディアの記事や資料には、戦略の二文字が度々登場する。国際関係論の大家、田久保忠衛氏が苦言を呈した。
「国防費の規模やトマホーク導入の可能性などは全て戦術に属する事案です。それも大事ですが、日本の安全保障の議論からは戦略が窺えません。戦略とは国際社会の大きな潮流をとらえて方針を打ち立てることです。一国の命運を懸けて熟考し、秘密裡に実行される性質から、戦略は通常、公開の議論には出てきません」
1949年に設立されたNATO(北大西洋条約機構)の基本軸がその一例だ。田久保氏が続けて語った。
「52年に英陸軍大将のイスメイがNATOの事務総長になりました。第二次世界大戦が終わって一息ついたのも束の間、欧州はソ連と対立、冷戦の真っ只中です。イスメイはNATOの取るべき戦略を簡潔にまとめました。米国はイン、ソ連はアウト、ドイツはダウン、です。つまり、米国をNATOに深くコミットさせる、ソ連を排除する。そしてドイツには反省させ続けるという意味です。欧州の行く道はこうなる、この形で国際社会を構築していくべきだと。見事な戦略論です」
大東亜戦争に関連して言えば、わが国の真珠湾攻撃は戦術だった。それは見事に成功した。しかし、戦略としては間違っていた。なぜなら、当の山本五十六海軍大将自身が日米開戦に最後まで反対したように、日本は米国を敵に回すべきではなかったからだ。万止むを得ずの開戦だったが、戦略なき戦いだった。
令和5年の今年はどこから見ても尋常ならざる危機の年だ。安全保障は無論、経済も戦争を大前提にして準備しなければ取り返しのつかないことになる。中国に台湾侵攻、即ち日本侵攻を諦めさせるには抑止力としての強い軍事力と経済力が必要だ。その上でどの国とどのように協力すべきか、国際社会で日本はどんな立ち位置を選ぶべきか、まず戦略を定めてからそれを支える戦術を実行するのが本来の姿である。
軍人の知恵を頭から否定
戦術、戦略のいずれを論ずるにしても、しっかりした政軍関係を維持することが最重要の課題だ。方針や政策の決定者である政治家に、安全保障に関する現場の正しい情報が遅滞なく届いていなければならない。
ロシアは政軍関係が正しく保たれていなかった。そのためにプーチン大統領はウクライナを侮り、失敗した。世界は今、習近平氏が同じ失敗をしないかと恐れている。
日本にも政軍関係について心すべき事例がある。歴史上の人物としては有名だが、現在は余り知られていない政軍関係の誤ちを示すのが後醍醐天皇と楠木正成の事例だろう。
正成の悲劇と活躍は国民的文学、『太平記』に詳述されている。40巻もある大部の書だが、物語の展開に速度と強さがある。軍事的緊張が高まっている令和の今、正成の生涯を辿ることで多くが学べると思う。
正成は鎌倉幕府と対立する後醍醐天皇のために全力で戦った。鎌倉幕府は倒れ、やがて足利尊氏の軍と戦うことになる。そのとき、正成は小さな軍勢で大軍の足利勢に勝利するには、彼らを京の都に引き込んでゲリラ戦を展開し、兵糧攻めにした後、京を奪還するしかないと心に定める。しかし京の町の荒廃を恐れる公家たちがこれに反対した。後醍醐天皇はその反対の声に耳を傾けて、正成に京から離れて湊川(兵庫)で敵を迎え撃てと命ずる。
正成は戦いの達人だった。それまでの戦いでは誰も思いつかないような攻め方で、大軍を破ってきた。その軍人の知恵を頭から否定した公家たちも天皇も軍事のことは殆ど理解できない人々だ。無知な指導者の指示に従えば、敗北しかない。それでも正成は君命に従った。
湊川の最前線に向かった正成は自分が討ち死にした後のことに考えを巡らせた。後醍醐天皇の守護に当たる兵力を残しておかなければならない。そう考え、わずか700騎を率いて出発した。この兵で陸路3万、海路2万の足利勢に立ち向かうのだ。ぶつかり合って半日余りも戦い抜いたとき、最後に残ったのは73騎だったという。正成はここで弟正季と刺し違えて自害する。
「七度生まれかわってでも、朝敵を滅ぼす存念」を誓い合う二人の最期は物語の山場のひとつで、涙を誘う。
正成は軍人としてその最高司令官(この場合は後醍醐天皇)の指示に従って戦った。軍人は決して勝手に動いてはならず、命令に従うという意味で、政軍関係は守られた。しかし、命令するトップが軍事に無知であったために、正成は命を落とす。上に立つ者はしっかりしていなくてはならない、とりわけ軍事についてある程度理解できなければならないということだ。
米国に追従するだけの国
現在の日本で、軍事を一定の水準以上で理解し、全体的な状況を把握して戦略を描ける政治家はいるだろうか。心細い思いがする。
そしていま懸念すべきは、日本が米国或いは中国の属国になってしまう可能性だ。迫り来る中国の脅威の前で、岸田首相は反撃能力の保有を宣言した安保3文書を発表し、米国との軍事協力強化に取り組んでいる。この努力が単なる日本の軍事力強化に終われば、日本は精神的に米国に追従するだけの国になる。3文書からは「自国は自力で守る」という気概が読み取れる。それが本物だということを、自衛隊法及び憲法の改正を実現することで示さなければ、日本は単なる米軍の補完勢力のままだ。それは精神的に米国の被保護国であり続けることだ。
中国の軍事的脅威に対しては日米同盟の緊密化で対処できるとしても、懸念すべきは経済関係だ。中国に搦めとられないために岸田政権は米国と協力して経済安全保障戦略を打ち立てた。鍵は、それを単なる文言で終わらせずに実行できるか否かである。足下を見れば、中国を警戒すると言いながら、わが国は今も中国に国土を売り続けている。電力網にさえ中国資本を招き入れている。目先の利潤確保のために、対中投資を続けている。これでは、中国の影響力に圧し潰される。彼らの顔色を窺う属国のようにならないとも限らない。
中国の人口は今年中にインドに抜かれる。コロナウイルス政策に見てとれるように、中国共産党は国民監視には長けていても、国民の命と人権は守れない。人心は中国共産党から離れていくばかりだ。中国共産党が世界を制覇できるとは思えない。否、制覇させてはならない。
この異形の国に対抗するには、人権、自由、国際法の価値観を旗印にして多国連合の形成を日本の大戦略とするのがよいのである。