「 ウクライナ支援が日本の国益だ 」
『週刊新潮』 2022年11月24日
日本ルネッサンス 第1025回
11月9日、ロシア国防相のショイグ氏とスロヴィキン将軍が、ロシア軍はヘルソン州の州都から撤退すると発表した。ウクライナ南部のヘルソン州はロシアが侵攻開始以来、制圧した州の内、州都を制圧した唯一の例だった。
ロシア軍のヘルソン撤退は何を意味するのか。11月11日の「言論テレビ」でロシア軍の専門家、東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠氏は、この撤退はプーチン氏にとって、氏の掲げる「勝利」への疑念をロシア国民に抱かせかねず、政治的に大きな痛手となる、と語る。
「同州はウクライナ戦争開始後、非常に早い3月2日の段階でロシア軍の手に落ちています。しかしウクライナ軍が烈しく反撃し、同州を流れる旧ソ連屈指の大河、ドニプロ川にかかる4つの橋を全部落とした。結果、ドニプロの西側に展開したロシア軍に兵站が満足に届かない状況が出現しました。川の西側に展開した4万人の精鋭部隊は、戦力消耗が烈しいロシアにとって、どうしても守りたかったと思います」
プーチン氏の戦争を見る西側社会の目は極めて厳しいが、ロシア国内ではまだ多くの国民、とりわけ地方の人々がプーチン氏の勝利を信じている。が、彼らでさえも、ヘルソン撤退となれば「負けているのではないか」と思い始めるだろう。世論の支持が失われるのを恐れてプーチン氏は「撤退の発表」を先延ばしにしてきたと、小泉氏は指摘する。
防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄氏は、プーチン氏は今回の決断で政治戦略と軍事戦略を整合させたと見る。
「6月の段階でウクライナ軍がヘルソン方面で反撃に出るとの見方があり、部隊も集結していました。ロシア側は東のドンバスから軍の一部をヘルソン防衛に回した。しかし橋が落とされ追い詰められた。撤退は、政治的には好ましくないが、軍事的には精鋭部隊温存のため必要だったということでしょう」
政治的損失を最小にするために、ショイグ国防相と作戦統括者のスロヴィキン将軍が撤退発表をしたのだと、小泉氏は言う。
「学芸会のような小芝居を演じさせ、撤退は軍の決定だったということにしました。大統領府、つまりプーチン氏は知らん顔です」
ロシア軍は侮れない
ここから先、プーチン氏の戦略はどう展開するのか。まず明らかなのはプーチン氏には敗北を認める気持ちがないということだ。一方のウクライナ側は折角勝ち始めている今、もっと領土を取り戻さなければ停戦交渉には乗れないとの気持ちがある。現にヘルソン州の北東のザポリージャ州でウクライナ軍が大規模攻勢をかける可能性が指摘されている。
両軍の戦う姿勢に変化がない中で、ロシア側は9月21日、30万人の戦力動員に踏み切った。ロシア軍の継戦能力に否定的な分析は、イギリス国防省などから示されているが、ロシア軍は決して侮れない。小泉氏の警告である。
「プーチン氏は31万8000人を動員した、志願者が多く、10日間で集まったと言っています。さらに11月4日の段階で、その内の8万人はすでに部隊に配備し、内、4万9000人は戦闘に投入済みとも語っています。差し引き24万人弱がごっそり手元に残っている。動員開始からひと月半が過ぎましたが、この24万人弱が戦闘に投入されたとは聞いていません。ということは、訓練中だということでしょう。訓練した上でまともな装備を持たせれば、彼らは強い戦力になる。彼らをいつ、どこに投入するのか。それがこの先の大きな転換点です」
西側にとって現実は容易ではないのが見てとれる。ロシア陸軍は28万人、加えて空挺部隊もある。海軍には海兵隊、ロシア式に言うと海軍歩兵部隊がある。これらを合わせると36万の兵力になる。プーチン氏が新たに動員した31万8000人を含めて、合計70万人規模の戦力だ。
「問題はこの内何人を戦闘に投入したか、です。プーチン氏は今回の戦争をまだ『戦争』とは呼んでおらず、法的にはロシアは戦時ではないのです。そのため36万の軍の中の15万から16万人の職業軍人、つまり志願兵しか戦闘に投入できません。残り約20万人の徴兵の兵隊は戦地に送らないという法律が2003年にできたために、戦闘に投入していません。結果として、プーチン氏は15万から16万の兵力にドネツク、ルハンシクの親露派軍隊を加えた約19万でウクライナを攻めたのです」
そしていま、プーチン氏は30万以上の志願者を動員したと語った。状況は変わっていくだろう。
「新たに30万規模の兵を加えれば、戦闘要員としての軍人の数だけでいきなり3倍になります。相当大きな意味を持つでしょう」
中国に誤解させないこと
ロシアの予備役兵もかなりの戦力だ。予備役は一度徴兵されて軍に入り退役した軍人のことだ。退役5年以内の比較的若い予備役兵がロシアには200万人存在するという。今回の30万人はその一部にすぎない。
「彼ら30万人が再訓練を受けて、たとえばヘルソンから脱出した精鋭部隊と組み合わされて戦闘に投入されれば、ゲームチェンジャーになります」と高橋氏。
一方、ウクライナにも約90万人の予備役兵が存在する。内、70万人が動員された。現役軍人、予備役双方を注ぎ込んでウクライナとロシアの戦いは長期間続く。これが厳しい現実である。
燃料、弾薬、兵器などについてもロシアには想定以上の備蓄がある、と小泉氏は見る。たとえば戦車だ。現役戦車は2800輌で、これまでの戦いで1600輌が失われたと報じられている。だからといって半分以上の戦車能力をロシアが失ったと考えてはならない。彼らの側には予備の戦車が1万輌もあるという。
古い装備は日本では本当に退役させて分解したりするが、ロシアは広大な国土に雨ざらしで放置する。それを年に一回、秋の大演習で動かすそうだ。小泉氏の指摘だ。
「ですから1万輌の内、かなりの戦車は使えると考えるべきです」
対するウクライナにはポーランドから240輌、チェコから90輌の戦車が送られる予定だ。しかし彼我の差は大きい。ちなみにわが国の陸上自衛隊の戦車は540輌だ。
衰えたりといえどもまだ強い軍事力をもつロシアの侵略に、ウクライナは必死に戦っている。ウクライナを助けるのは当然だ。日本に出来ることはまず第一に経済的支援だ。次にウクライナ国民が冬を越すのに必要なあらゆる物資を送ることが欠かせない。何よりも、ロシアを勝たせないことで、中国に誤解させないことが重要だ。台湾と日本を窺う中国の方が、ロシアより軍事的、経済的、戦略面においても手強い。ウクライナ侵略戦争は他人事ではない。日本は有事、非常時の真っ只中にあることを認識して軍事力の強化に集中すべきときだ。