「 いま日本に必要な正しい政軍関係 」
『週刊新潮』 2022年4月14日号
日本ルネッサンス 第995回
有事に近くなればなるほど、政治と軍事の関係、政治家と軍人の関係が正常に保たれ十分な意思の疎通があることが大事になる。しかし、昭和20年の敗戦以降、日本は軍事に関するおよそ全てのことを忌み嫌うようになり、正常な政軍関係と言えるものも消え去ってしまった。
ロシアによるウクライナへの侵略戦争を見て、多くの人が日本の守りは大丈夫かと考え始めた。米国が守ってくれるはずだと信じて、これまで安全保障を他人事と考えてきた日本や日本人のままでは大丈夫なはずがない。平和ボケした私たち日本人は軍事のことなどほとんど考えず、理解もしていない。国政を司る政治家とて似たような水準ではないか。これではとても駄目なのである。
政軍関係がうまく保たれ、機能しないと、どんな悲劇が起きるのか。ロシアのウクライナ侵略の事例を見れば明らかだろう。
プーチン大統領はなぜこんな侵略戦争を始めたのか。2007年2月10日、ドイツで開かれたミュンヘン安全保障会議でのプーチン氏の演説はひとつのヒントになる。40か国以上の代表や専門家の前で、プーチン氏は米国一強体制への強い不満と拒絶、ロシアに「上から目線」で民主主義について教えるような西側への反感などを率直に語っている。NATO(北大西洋条約機構)やEU(欧州連合)に反発し、自らが拒否権を持つ国連を支持するなど、プーチン氏のエゴも見える。エゴと誇りがないまぜになっていたのが、ベルリンの壁についての件(くだ)りだった。彼はこう語った。
「壁の崩壊は我が国民、ロシア国民の決定あってのことだった。民主主義、自由、開放性、大ヨーロッパ家族を構成する全ての国々との真摯な関係を望む気持ちでロシア国民は歴史的な壁崩壊を選んだ」
ベルリンの壁崩壊はロシア人の功績だとプーチン氏は考えているわけだ。一方、国際関係は数学だと喝破した。
「(国際関係や安全保障には)人間的要素が入る隙間はない。西側の軍拡に対応するには、西側と同じように巨額の資金を投入してミサイル防衛網を築くか、ロシアの経済・金融の実力を考慮して非対称的手段を講ずるか」だとし、安価な方法で米国のミサイル防衛網を無力化するのがロシアのとるべき正しい道だとして、こうも語った。
「合意できない事柄は多いが、恐れずに言おう、私は米国大統領を友人だと思っている。彼(息子ブッシュ)はいい奴だ」「それでも再度言う。(米露関係に)個人的要素が入り込む隙間はない。そこにあるのは計算だけだ」
冷徹な計算の末に国際関係や安全保障政策を決定すると言うプーチン氏は正しい。だがそのように語った人物がウクライナで大きく読み違えた。なぜ読み違えたか。3月30日、米国防総省報道官、ジョン・カービー氏が「プーチン氏に、ロシア軍及びウクライナ情勢について正しい情報が伝えられていない可能性がある」と、インテリジェンス情報に基づいて語った。
対照的な事例
そもそもプーチン氏は軍人ではない。だからこそ、ロシア軍は自らの戦力とウクライナ軍の戦力について正しい情報を報告して補佐しなければならない。しかしプーチン氏は他者の言葉に耳を傾けない強権的独裁者になり果てた。結果、彼の不徳でロシアの政軍関係は機能不全に陥り、プーチン氏は判断を間違えた。ウクライナの都市は破壊され、多くの人命が失われた。代償のなんと大きく悲劇的なことか。政軍関係の破綻は国を滅ぼすのだ。
これとは対照的な事例を、第二次世界大戦時に英国首相を務めたチャーチルと、英帝国陸軍参謀総長としてチャーチルを支えたアランブルック元帥との関係に見出すことができる。アランブルックの日記に基づけば、両氏は驚くほど緊密に連絡を取り合っている。
たとえば1942年6月14日には、「日曜日だが、首相からたびたび電話の邪魔が入った。首相は中東の作戦の戦局の急転回に非常に心痛していた」と記されている。
43年2月26日の日記にはこんな面白い場面が書かれている。
「会議中に首相から呼ばれた。続きの棟の彼のところに行ったとき、彼は風呂に入っていた。大きなバスタオルを体に捲き付けたほかは何も身につけず、まるでローマ時代の百人隊の隊長のようであった。彼はこの恰好のまま暖かい手で私に握手して、服を着る間腰をかけるように言った」
チャーチルはそのあと白絹の肌着をかぶり、白絹のズボン下をつけた。ワイシャツを着て、ハンカチに香料をふりかけ、上着を着るところまでアランブルックは描いているが、彼は度々チャーチルの寝室で、ベッドに入っている首相と長い意見交換もしているのである。
自衛官が官邸に出入り
これほど緊密に意思疎通をはかる二人だが、激しい論争も珍しくない。首相として政治の決定権を握るチャーチルは、参謀総長として軍事戦略の責任を担うアランブルックに、握ったこぶしを突き上げながら反論している。こうして彼らは互いの分析と判断をぶつけ合い、批判し合い、考え直し、より良い結論へと辿りついていったはずだ。その結果、彼らは勝ち、日本もドイツも敗れた。
参謀総長はどんな時にも首相への助言を欠かしてはならず、首相はどんな時にも必要な情報や分析、意見を軍に求めることができなくてはならない。頻繁に会って会話することがどれほど大事か。チャーチルとアランブルック、第二次世界大戦期の英国ではトップ二人の密な関係が保たれ、政軍関係が健全に機能していたということだ。
では日本はどうか。過日、シンクタンク「国家基本問題研究所」で前統合幕僚長の河野克俊氏の話を聞いて心底驚いた。自衛隊の最高司令官を4年半務めた氏は、その間、一度も首相と一対一で会ったことがないというのだ。官邸に行くときは必ず、他省から防衛省に出向している、いわゆる背広組と呼ばれる人々が同行するそうだ。同行が悪いわけではないが、自衛官に、勝手に首相への助言はさせないというような空気が、万が一にもあるのであれば、問題だ。
かつては自衛官が官邸に出入りすることさえなかった。安倍晋三氏が首相になってこの悪習は改められ、自衛隊の幹部諸氏も官邸に出入りできるようになった。一歩前進だが、次の課題は政軍間で闊達な意見交換が行われるようにすることだろう。
日本に迫る中国の脅威は半端ではない。政治家が軍事を十分に理解し、正確な情報を持ち、判断能力を養うことが大事である。プーチンの失敗とチャーチルの成功から、あるべき政軍関係を学べるのではないか。