「 真の独立国になれ、ボルトンの警告 」
『週刊新潮』 2020年7月16日号
週刊新潮 日本ルネッサンス 第909回
毎週金曜日の午前中、シンクタンク「国家基本問題研究所」の研究会がある。学者や研究者、ジャーナリストが集い、幅広く意見交換をするが、このところの話題のひとつがジョン・ボルトン氏の回顧録『それが起きた部屋』(以下『部屋』)だった。氏は1年と5か月、トランプ米大統領の国家安全保障問題担当補佐官を務め、2019年9月に大統領と仲違いして辞任した。
『部屋』を、国基研研究員の福井県立大学教授、島田洋一氏は早々とキンドルで読んでいた。約600頁にも上る大著をキンドルで読むのは流石に疲れる。私は紙の本を待って、実物を手にして読み始めた。
すでに「ニューヨークタイムズ」紙をはじめ米国や欧州の主要紙誌が書評を書いているが、概してトランプ大統領に対して厳しい。ボルトン氏自身が「彼(トランプ)は大統領に適していない。その責務を果たす能力に欠けている」などと批判した上に、同書はトランプ再選を阻止するために書いたのだとも明言している。内容が厳しいのは当然なのであろう。
『部屋』では微に入り細をうがってトランプ氏が会った多くの首脳、多くの場面が描かれている。ボルトン氏の几帳面な性格を反映してか、必要以上とも思われる詳細な記述に満ちており、どの段落にも反トランプの気持ちが詰まっている。ここまで現役大統領の発言を暴露してしまってよいのか。米国の国益に反するのではないか。お喋り好きの大統領もまさかこんな形で発言が表沙汰にされるとは想定していなかったことだろう。そう考える一方で、この本はトランプ外交を理解するために、時間をかけてじっくり読むべき貴重な記録だと思う。
米国大統領は世界最強国の指導者であり、好むと好まざるとに拘わらず、世界秩序の維持に大きな責任を負う。あらゆる情報を頭に入れ、世界の動きを把握していなければその責任は果たせない。とりわけ中国が力をつけ、公然と覇権確立に動いている現在、自由主義陣営の為に米国大統領には賢明であってほしい。
ときどきの直感、アドリブ
米国大統領は、毎朝米国の持つトップクラスのインテリジェンス情報の説明を受けるのが通常の在り方だ。次期米国大統領に選ばれた時から、実際にホワイトハウス入りするまでの2か月余り、新大統領は特別の進講を受けるのが米国の慣わしだ。
トランプ氏は、しかし、16年11月に大統領に当選した後、中央情報局(CIA)をはじめとするインテリジェンス部門の進講を殆んど受け付けなかった。ホワイトハウス入りしてからも、精々週二回程しか情報説明を受けないという。また進講の時間の殆んどをトランプ氏自身が喋るために、米国の持てる機密情報も重要情報も、大統領が当然知っておくべき情報も中々伝わらないとボルトン氏は書いている。
トランプ氏とは多くの点で正反対なのがジョージ・ブッシュ(子)元大統領だ。彼は8年間、幾度か例外はあったが、早朝に起床し、ジョギングし、身支度を整えてから聖書を読んだ。7時少し前にはホワイトハウスの居住棟から大統領執務室に入り、真っ先に、その日のインテリジェンスリポートに耳を傾けた。彼はこの規則正しい習慣をホワイトハウス時代を通して守ったと、自身の回顧録に書いている。正午頃になってようやく執務室に姿を現わすトランプ氏とは生活スタイルが随分異なるのだ。
こんな風だからトランプ氏の政策はおよそ全て、戦略に則るというより、そのときどきの直感、アドリブで打ち出されるという。外交においても同様だとして、ボルトン氏は以下のように書いている。
18年12月1日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで20ヵ国による「首脳会合」(G20)が開かれ、トランプ・習近平会談も持たれた。米国側は関税を引き上げるか否かを材料に、知的財産権の窃盗や強制的な技術移転など、許されざる中国式手法の改革、つまり構造改革に関して明確な釘を中国側に打ち込みたかった。
しかし、習近平氏は一枚も二枚も上手だった。氏はまずトランプ氏にお追従を言った。「大統領とあと6年一緒に働きたいですね」と。
するとトランプ氏はこう答えたそうだ。大統領の任期二期制は自分に限り撤廃されるよう、憲法を改正すべきだと人々が言っていると。
習氏はその場ではそれ以上何も言わなかった。しかしブエノスアイレスでの会談を終えて暫く過ぎた12月29日、習氏がトランプ氏に電話をかけてきて言った。
「中国はトランプ氏の憲法改正と三期目の任期を切望している」
日本にとって厳しい時代
トランプ氏は喜んだことだろう。それにしてもなぜこんな発言が、ブエノスアイレスの首脳会談からかなりの日数がすぎた段階で習氏の口から出てくるのか。習氏は米中会談では最初から最後まで目の前に置いた資料を見ながら話したという。トランプ氏との会談中、習氏はいつも紙を読んでいた。アドリブなどひとつもない。全てが計算された戦略、戦術に沿っての発言なのだ。
中国側は思いがけないトランプ氏の自己愛の発露を冷笑し、帰国後、トランプ発言を詳細に分析したことだろう。その結果が、電話会談での改憲と三選話であろう。中国が考え抜いたお追従がどれだけの効果をもたらしたかは定かではない。だが、トランプ氏が悪い気分ではなかったことは確かなようだ。なぜなら習氏はこのときトランプ氏にマイケル・ピルズベリーの『100年マラソン』は中国の戦略ではないなどとも吹き込んでいるからだ。
『100年マラソン』は中華人民共和国建国から100年の2049年までに、中国は米国をも凌ぎ、世界に君臨することを目指していると具体的に指摘したベストセラーだ。著者のピルズベリーはかつて親中派だったが、現在筋金入りの反中派に転向し、トランプ政権の対中政策構築に深く関わっている。
今更ピルズベリーの主張を否定しても、効果は余り期待出来ないと思うが、それでも毒針を1本、トランプ氏の心に打ち込んでおけば、いつの日か効くかもしれないのだ。
11月の米大統領選挙の行方は現時点では分からない。ただひとつ明らかなのは、日本にとって厳しい時代がやってくることだ。米中の対立は深まり、中国は武漢ウイルスを真っ先に鎮めた国として世界により強い影響力を行使すべく、これまで以上に攻勢を強める。トランプ氏は安倍晋三首相に絶大な信頼と友情を抱いているが、日米安保条約の不平等性には大きな不満を抱いている。米国が日本の鉾であり続けるかは日本次第だ。私たちは、自国を自力で守る体制を整備しなければ大変なことになる。それが『部屋』の対日警告だろう。