「 世界基準に大きく遅れた原子力規制委 」
『週刊新潮』 2019年12月19日号
日本ルネッサンス 第881回
2019年が暮れると、年明けの1月14日に国際原子力機関(IAEA)の調査チームが来日する。16年1月、彼らは原子力に関する国際社会の権威として上級専門家19人から成るチームを12日間にわたって日本に派遣した。原子力規制委員会(規制委)と原子力規制庁の仕事振りを検証して、約130頁の報告書を発表した。そこには厳しい意見が満載されていた。
再来日は、3年前に指摘した規制委の問題がどこまで解決されているのかを、調査するためだ。
原発政策に関して日本はいま、世界に類例のない異常な状況に陥っており、規制委が事実上差配する原発行政は到底評価できない。その主な原因は、更田(ふけた)豊志氏以下、5人で構成する規制委が専門家集団として世界水準に達していないことだ。
IAEAは3年前、規制委について次のように論評した。
「規制委の人的資源、管理体制、特にその組織文化は初期段階にある」、「課された任務を遂行するのに能力ある職員が不足して」いる。
最大級の厳しい批判であろう。
規制委の使命は原発の安全性を科学的、合理的、迅速に審査することだ。電力各社には不足のところを補わせて稼働させ、安定した電力供給で産業基盤を支え、豊かな国民生活の実現に寄与することだろう。
高度かつ複雑な技術の集大成である原発の安全性を高めるにはまず、規制自体が科学的、合理的なものでなければならない。また、それは世界の専門家が認める国際基準に合致するものでもなければならない。
規制される電力会社に新たな規制や措置の意味を十分に伝え納得させることも欠かせない。規制委と電力各社の意思の疎通が十分でなければ、高度で複雑でおまけに大規模な運転がうまくいくはずもないからである。
この点について、IAEAは次のようにも勧告していた。「意識啓発研修又は意識調査などの具体策導入を検討」せよ、と。
情けない人々
原発の安全性を高めるために、まず規制委が「意識」を変えよ、というのだ。そのための「啓発研修」を行う必要があり、規制委及び規制庁職員の「意識調査」を実施して自らを省みる具体策を導入せよと指示したわけだ。
ここまで言われる情けない人々に、日本は国民生活及び産業基盤を支えるエネルギー、その中の太い柱である原子力発電の在り方を規定させているのだ。こんなことで日本の未来が大丈夫なはずがないだろう。
IAEAの厳しい指摘の背景には立派な理由がある。それを示したのが、昨年6月、規制委が全ての電力会社に命じた原子力発電所の火災感知器設置に関する新しいルールだ。
原子力発電所は原子炉等規制法に基づいて、火災感知器を潤滑油やケーブルなど可燃物があるところに重点的に設置し、可燃物のないところには設置していない。これは国際標準であり、日本も以前から国際標準に従って十分な対策を講じている。
だが規制委はここに突然、消防法を持ち込んだ。消防法は民家やビルなどの部屋毎に、火災感知器の感知範囲を元に設置基準を定めている。その消防法に従って各原子力発電所は新たに1500から2000個の火災感知器を追加設置せよと、規制委は指示したのだ。
電力事業者は全社が反論した。すでに各原発には必要な所に約1000個に上る火災感知器を設置済みで、国際標準を十分に満たしている。安全性も保たれている。1500~2000個の新設は原発の安全性を強化せず、むしろ、リスクを高めると具体論で反論した。だが、規制委は耳を貸さなかった。
ちなみに規制委は元々、菅直人氏の発想で生まれた三条委員会だ。三条委員会は首相も介入できない強い独立性と権限を有している。与えられた権限が強ければ強いほど、本来は、関係者に対して丁寧な説明をし、謙虚に意見に耳を傾けなければならない。しかし、規制委にはそのような発想も謙虚さもないのであろう。電力会社は膨大な数の火災感知器の設置とケーブルを通す作業を開始せざるを得なかった。
少しばかり具体的に考えてみよう。ケーブルは火災感知制御盤に接続されて初めて機能する。つまり、新たに導入する約2000本のケーブルを中央の制御盤につながなければならない。
原子力発電所は、作業員の被曝を避けるために厚さ1~2メートルのコンクリート製の遮蔽壁や耐震壁を随所に設けている。それらの壁は太い鉄筋が多数配筋された強化壁なのだが、ここにケーブルを通すためにドリルを突き刺すのだ。
とんでもない事態
また原発には20メートルを超える城砦のような防潮堤も建設されている。万一津波が防潮堤をこえても建屋は高水密性で完全防水態勢だ。3.11後の大規模工事で世界一過剰と言ってよい安全対策がとられたところに、火災感知器の電線管の穴を幾千も開けさせるのである。まるで潜水艦の船体を、火災感知器のケーブルを通すために穴だらけにするようなものではないか。炉心損傷や被曝線量上昇のリスクは逆に高まる。
電力各社は当然そう訴えた。だが、規制委は自らの指示が国際的に確立されたルールに違反していることにさえ気が付かない。結果、現場はいまとんでもない事態に陥っている。
ケーブルを貫通させる工事は原発の運転中はできない。運転停止する定期検査期間に行わざるを得ないため、その期間のすべてを使っても4年越しの大工事になる。あらゆる意味で鉄壁の安全策を施した原子力発電所にこれから4年間、穴を開け続けるという異常事態が生じているのである。規制委のこの尋常ならざる強権支配は三条委員会に与えられた絶対権力故であろう。だが、法治国家であるわが国においては、如何なる権力も法の上には立てない。
行政手続法は、審査条件を明確に呈示し、審査条件を途中で変更しないこと、概ね2年で速やかに審査を行う、などと定めている。規制委の初代委員長・田中俊一氏は当初、審査期間は半年ほどと語っていた。だが、半年どころか、2年、さらに7年がすぎても多くの原発審査は終わっていない。当然であろう。次から次に、前述したような無茶苦茶な審査条件が新たに加えられるからだ。
田中氏は「日本の原子力政策は嘘だらけ」「結果論も含め本当に嘘が多い」と、原子力業界を厳しく非難する(「選択」19年11月号)。では規制委委員長としての氏の言動はどうだったのか。現委員長の更田氏もその余の規制委員も、行政組織の一員として、行政手続法を守っているのか。答えは明らかに否ではないか。その点を厳しく指摘し、私は来年1月のIAEAの調査結果を見届けようと考えている。