「 迫る御代替わり、国柄を知る機会とせよ 」
『週刊新潮』 2018年11月29日号
日本ルネッサンス 第829回
天皇皇后両陛下の各地へのおでましが続いている。今年、雨の園遊会ではお二人で大きなビニール傘を一緒にさされていた。お二人は寄り添われるように歩まれ、お言葉をかけられ、慈愛に満ちた視線を人々に注がれる。そのご様子をメディアは「この行事への」或いは「この地への」、「最後のご出席」「最後の行幸啓」と報じる。
あと数か月で今上陛下は本当に譲位なさり、新天皇が即位される。御代替わりが近づいている。
日本にとって、東京五輪よりはるかに大事なのが御代替わりだ。日本の国柄を体現する、重要な歴史の一局面である。世界の元首百数十人を迎えて、広く世界に日本国を印象づける好機である。だが、政治家もメディアも世論も、御代替わりについてあまり考えていないと懸念するのは、心配しすぎだろうか。光格天皇以来200年振りのご譲位を機に、日本の国柄への理解を内外において深めようという熱気が感じられない。
そんなときに日本政策研究センターが『解説 即位の礼・大嘗祭』(以下『解説』)という60頁余の小冊子を出版した。御代替わりのさまざまな儀式を通して、皇室とはどんな存在か、皇室を戴く日本はどんな国か、ここに至るまでにどんな歴史を辿ったのかを、非常に簡潔かつ適切にまとめている。来春に迫った御代替わりと、日本の深く長い歴史を認識するのに格好の教科書である。以下『解説』の内容を紹介する。
来年2月24日、ご譲位に向けてまず、政府が「天皇陛下御在位三十年記念式典」を主催し、この後、一連の行事が続く。4月30日に「退位礼正殿の儀」が執り行われる。これによって陛下のご譲位(政府はこれをご退位と言っている)が国民に宣言される。
ご譲位は江戸時代の光格天皇以来のことで、約200年間、事例がなかったために、どのような関連儀式があるのかについて現行の皇室典範には規定がない。そのために先例を基本にして、今回、新たに国の儀式として創設したという。柱は二つ、内閣総理大臣から陛下への「奉謝」と天皇陛下の「おことば」である。
皇室に批判的な勢力
首相が国民を代表して天皇陛下に感謝の気持ちを捧げ、天皇陛下がご譲位に際してのお気持を表明される。天皇陛下の「おことば」は、本来、「譲位宣命(せんみょう)」と呼ばれ、譲位に際しての大事な核を成していた。しかし、平成のいま「譲位宣命」ではなく「おことば」と平易な表現にされたわけだ。
今上陛下のご譲位が宣言された翌5月1日には、皇太子さまが第126代天皇に即位なさる即位の礼が国の儀式として行われる。即位の礼の行事は、ご即位当日に行われるものと、それから約半年後の秋に行われるものに大別される。
ご即位直後の行事が「剣璽(けんじ)等承継の儀」と「即位後朝見の儀」だ。
周知のことだが、三種の神器は簡単にいえば、鏡と剣(つるぎ)と勾玉(まがたま)。正式に言えば草薙剣(くさな ぎのつるぎ)と八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)、それに八咫(やたの)鏡(かがみ)である。
また「剣璽」とは三種の神器のうちの二つ、剣と勾玉を意味する。従って「剣璽等承継の儀」は新天皇がこの二つの神器を受け継がれる儀式という意味だ。
残るひとつ、八咫鏡は最も神聖な神器として賢所に奉安されており、儀式で動かされることはない。
さて、ここで『解説』は大事なことを指摘している。旧皇室典範では「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と書かれており、この規定に基づいて「剣璽渡御(とぎょ)の儀」が行われる決まりになっていた。
ところが昭和天皇崩御による御代替わりが起きたとき、皇室に批判的な勢力が現行憲法に定めている政教分離(憲法20条)を盾に、「渡御」はまかりならぬと主張し、政府は「渡御」という表現を「承継」に変えざるを得なかったというのだ。また「剣璽渡御の儀」には「等」の一文字が加えられ、前述のように「渡御」も否定され、「剣璽等承継の儀」となった。本来、剣と勾玉の二つの神器を意味していた剣璽が「等」の一文字が入って「御璽(ぎょじ)」(天皇の印、おおみしるし)、「国璽(こくじ)」も含まれる意味に拡大された。つまり「皇位」とともに新天皇に伝わるべき由緒ある物の継承という建前になった。
「剣璽渡御」は皇室の由来を、剣と勾玉に象徴される、深く豊かな日本の神話につなげる意味合いが濃かったが、その色を薄める結果になった。
皇室に批判的な勢力は、剣璽は神話に基づく。従って政教分離の趣旨に反する、国の儀式として不適切だとも主張する。
世界は感動している
だが、神話と宗教は異なる。どの民族にもどの国にも、国の誕生と民族生成物語としての神話がある。神話の否定は、民族の精神性や文化の否定だ。民族のルーツを断ち切るようなものだ。国家というものは伝統や宗教的な価値観を一切合切排除してしまえば、もはや成り立つものではないだろう。
昭和天皇崩御の時の大喪の礼を振りかえると、政教分離という言葉が飛び交っていた。憲法20条第3項は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めている。これを表面的、機械的にとらえて宗教性が強いとして、大喪の礼への国の関わりを批判する声があった。たとえば葬場殿の儀は宗教儀式だとして、国ではなく、皇室の公的行事として行われた。続く大喪の礼では、宗教色をなくすため鳥居が除かれた。日本の伝統に基づけば穏やかに行われるべき自然なことが批判されたが、政教分離については最高裁判例がある。『解説』から引用する。
まず、憲法が禁じる「宗教的活動」とは「国およびその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為をさすものではな」いと最高裁は判断している。
憲法が禁じているのは、社会的、文化的諸条件に照らして、「かかわり合いが相当とされる限度を超えるもの」であり、「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」だと限定されている。
最高裁判例は、政府が特定の宗教を援助したり、反対に圧迫したりすることは許されないが、常識の枠内での政治と宗教の融合は禁じてはいないという意味だろう。むしろ日本人の自然観と宗教観の美しい融合に、世界は感動している。それを象徴していたのが大喪の礼である。イスラエルのヘルツォグ大統領(当時)は次のように語っていた。
「昭和天皇の御喪儀を通じ、日本の偉大な伝統に接し、深い感銘を受けた。……皮相な現代の世にあって良い伝統を近代化の中に維持していることに敬意を表する」
御代替わりに関連して、日本の歴史や国柄を学びたいものだ。