「 報ステは福島の風評被害を煽るのか 」
『週刊新潮』 2018年9月13日号
日本ルネッサンス 第817回
8月30、31の二日間、福島第一原発(1F)から出るトリチウムを含んだ水の処分について、福島県富岡町などで公聴会が開かれた。地元在住で、NPO法人ハッピーロードネット理事長の西本由美子さんが心穏やかならずといった風情で語った。
「マスコミ報道は今回も表面的で事態の混乱を煽り立てるだけでした。地域の実情や地元の思いを知っているかのように報じる彼らに、何度も苦い思いをしてきました。原発事故そのものよりも、マスコミが作り出し、いまも煽り続けている風評に私たちは苦しみ続けています」
実は私は、8月30日のテレビ朝日「報道ステーション」(以下報ステ)のトリチウム汚染水を巡る報道振りを見て、その一方的な内容に憤っていた。報ステは汚染水の処理問題を理解するのに必要な基本的情報を全く伝えなかった。視聴者に、事柄の全体像の把握と最も重要な問題点の理解につながる情報を伝えずして、報道番組たり得るのか。
事の本質を切り出して見せることもなく、表面的な批判に終始するのでは、井戸端会議的なワイドショーと同じではないか。そんな無責任な報道が、原発問題を乗り越え、地域を再活性化し生活を立て直そうとしている地元の人達の努力を潰す。西本さんはそのことを「マスコミによる風評被害」と喝破したのである。
その日、報ステは汚染水問題の公聴会と、高速増殖炉「もんじゅ」で始まった核燃料取り出し作業を、ひとつの項目で報じた。以下は公聴会の部分の要旨である。
まずスタジオで女子アナが、1Fの汚染水が「どんどん増え続けている」「処理された水が入ったタンクは900基」「これを薄めて海に流す案について、公聴会が開かれた」というリードを読んで、VTRに入った。
トリチウムは事実上無害
冒頭、漁師の小野春雄氏のコメントが炸裂した。
「福島県の海に放出することだけは、絶対に、反対です」
ナレーションで、1Fに大量保管されているトリチウム水は現在100万㌧を超えて増え続けており、保管場所の確保は難しく、薄めて海に流す案が検討中であると伝え、「海洋投棄が経済的にも一番優れた方法だ」という研究者の見解を紹介。その直後、小野氏がまたもや激しく感情的に、こう語るのが紹介された。
「トリチウムを海洋放出して、それが安全で(あろうと)なかろうと、それを放出した時点から、さらに風評被害を上乗せされます。賠償金をもらいたくて賛成するなんて、絶対、そんなことありえません」
別の出席者と傍聴人の、「風評被害は拡大する。そういった海産物を口にしたくない」「いわきに避難中だが、そういうことをやられると、帰ってくるという認識がまた遠のく」という批判が続いて公聴会の報道はここで一区切りとなった。
こうしてみると、報ステが全く触れていないのが、➀トリチウムを含む汚染水を日本を含む全世界がどのように処理しているか、➁トリチウムは有害か無害か、という点である。
➀について、1Fから排出される汚染水は多核種除去装置で62種類の危険な放射性物質を取り除いてトリチウムだけにし、十分に希釈して海に放出する。これが国際社会の基準で、中国、韓国、ロシア、米国など、どの国もその基準で海に放出中だ。過去現在を含めて日本も同様だ。例外が福島なのである。
➁について、トリチウムは元々、自然界に存在する核種でわずかに放射線を出すが、水と同じ性質であるため生体内で濃縮されず、十分に薄めれば人体には全く無害だ。雲などの大気中の水分に、空から降ってくる宇宙線が衝突して、トリチウムが生まれ、その中で私たちは暮らしているが、トリチウムが人体に外部被曝を起こすこともない。体内に入っても体外から降り注いでも、トリチウムは事実上無害だ。
こうしたことを伝えない報ステの意図は一体何か。トリチウム水の真実から視聴者の目を逸らし、世界の基準である海洋放出という解決策をつぶし、反原発運動に弾みをつけさせる試みではないかと疑いたくなる。
もうひとつ、報ステが知らん顔をしていたのが、賠償金欲しさに放出に賛成することは絶対にないと断じた小野氏の言葉である。現在も続く福島の混乱と、結果として復興を妨げている後ろ向きな言動は、賠償金問題と密接に絡み合っている。
東京電力は3.11以降今年7月末までに約8兆3000億円という膨大な額の賠償を実行済みだ。その多くが福島県に集中している。
メディアに対する警戒心
大災害によって生じる損失への補償に関して、国はその実施期間を、商工業は2年、農業は3年、漁業は4年以内としている。東電は福島県内の避難指示区域内等に対して、商工業は国の基準の倍の4年に、将来分としてさらに2年間、農業も国の基準の倍の6年に加えてさらに3年間支払い、漁業については現時点で終期を定めることなく賠償を継続中である。
漁業者への補償は終わりがないのだ。漁業者は商工業者、農業者に較べて手厚く補償されているといえる。だが事情はもう少しこみ入っており、地元に行くと、漁業補償が二つの型に大別されていることに気づく。
➀現在も完全に休業している漁民に、3.11以前の漁獲高(収入)と見合う額を全額賠償しているケース、➁すでに漁に出ているが、以前の漁獲高に較べて売り上げが不足な場合、その差を賠償するケースである。
3.11から7年余が過ぎたいま、多くの漁師が➁のパターンに戻っていて欲しいと思うのは当然だろう。元気に働くことによって困難を乗り越える力も出てくるからだ。しかし、現在も➀のパターンにとどまっている人々がいる。漁業協同組合は、➀群、➁群の双方を守りつつ、東電との交渉の窓口になっている。漁に出ないで補償で暮す生活を続けるケースも、こうした状況の中で許容されてきた。賠償目当てではないとの主張は、漁業者への手厚い補償が多くの人の目に明らかな事実として映っているだけに、現地でさえも必ずしも全面的に支持されていない。こうした微妙な背景も含めて、報ステは現場取材により公平に伝えるべきだろう。
西本さんは、トリチウム水の放出に反対する福島の本心はメディアに対する警戒心だと語る。海への放出をメディアが危険だと煽り、福島産魚介類が買い控えられ、福島の漁業が再起不能になることを避けてほしいというメッセージだと言うのだ。
「マスコミは正しく報道することで風評被害をなくしていく責任を果たせ、という問題提起です。政治がそこから逃げているならば、政治に風評をなくすよう対応しろと要求する。それがマスコミがすべき『権力との対峙』なのではないですか」
さて、報ステはどう答えるか。