「 平和ボケの日本人が読むべき1冊 」
『週刊新潮』 2017年9月7日号
日本ルネッサンス 第768回
8月29日早朝、3日前に続き北朝鮮がまたもやミサイルを発射した。しかも、今回は日本上空を飛び越え、太平洋上に落下したのだ。北朝鮮の挑発はやまず、周辺の緊張は続く。そんな今、色摩力夫(しかまりきお)氏の『日本の死活問題国際法・国連・軍隊の真実』(Good Books)を、啓蒙の書として勧めたい。
色摩氏は89歳、戦時国際法の第一人者である。仙台陸軍幼年学校から陸軍予科士官学校に進んで軍人になる予定が、その前に終戦を迎えた。そこで「国を守ることに変わりはない」と、外交官の道に入り、戦時国際法の権威となった。
世界で唯一、憲法で自国の「交戦権」を否定している日本の私たちにとって、戦時国際法や戦時法規などと言われてもピンとこないだろう。なんと言ってもわが国は「いざというときには戦争に訴えてでも自国を守る権利」、即ち、国家主権の核心をなす交戦権をアメリカ製の憲法で否定され、一方的に守って貰う屈辱に70年間も甘んじている事実上の被保護国だ。交戦権をはじめ国防や安全保障の心構えとは無縁で、楽しく過ごしてきた平和ボケの国民である。
氏は、そんな日本人に、パシフィズム(平和主義)こそ戦争誘因の要素であること、戦争は悪だと認識し、戦争廃止を熱望し、広く啓蒙すれば戦争はなくなると信ずるパシフィズムは、歴史の試練の前で敗北してきたと、懇切丁寧に説明する。
平和の実現とは正反対に、パシフィズムが大戦争を引き起こした悪名高い事例に1930年代のイギリスの対独政策がある。官民共にパシフィズムに染まったイギリスは、膨張を続けるヒトラーに対して宥和政策をとり続けた。独仏の歴史的係争地であるラインラントにヒトラーが手をかけたのが36年3月だった。パシフィズムの蔓延している英仏両国は軍事行動に出ないと見ての侵攻だった。ヒトラーの読みは当たり、英仏は対独戦には踏み切らず、ヒトラーの侵攻は大成功した。その後の第二次世界大戦への流れは周知の通りだ。
「戦争を望む人」
往年のイギリス同様、現在の日本にもパシフィズムが蔓延する。特に「NHK」「朝日」を筆頭にメディアにその傾向は強い。2年前の安保法制も、安倍晋三首相の憲法改正もすべて「戦争」につながるとして、彼らは批判する。
大事なことは、しかし、独りよがりの素朴な善意を振り回すことではない。日本周辺に北朝鮮や中国の脅威が迫っている今こそ、そもそも紛争や戦争について、国際社会の常識がどうなっているのか、意外な現実を知ることだ。色摩氏は書いている。
「文明社会においては実力行使は最終手段(ultima ratio)でなければなりません。文明の紛れもない兆候のひとつは、暴力が最後の手段に限定されていることです。他方、野蛮の証(あかし)は、暴力が最初の手段(prima ratio)になっていることです」
実力行使即ち戦争は文明社会では最終手段、野蛮な社会では最初の手段とされている。どちらの場合も、戦争は否応なく、問題解決の手段とされているのが国際社会の現実だというのだ。
このような説明は、日本では中々受け入れられず、逆に「戦争を望む人」の言説として受けとめられがちだ。だが氏の指摘は、国際社会では戦争に関わらないことは容易ではなく、戦争は国際政治の中に組み込まれている、そのことを理解しなければ、国家として生き残るのは難しいということである。
たとえば、多くの日本人は国連は平和を守る機関であるかのように誤解している。色摩氏は国連は次の4つの戦争を認めていると強調する。
①国連自身の武力行使(国連憲章第42条)、②加盟国の個別的自衛権の行使(第45条)、③加盟国の集団的自衛権の行使(第51条)、④敵国条項による旧敵国への武力行使(第53条)
②と③は自衛戦争を指すが、戦争が自衛か否かを判断するのは当事国で、どんな戦争も自衛戦争として正当化される。
総合すると、国連憲章は事実上、全ての戦争を認めていると言ってよい。だから世界各地で今日まで、多くの戦争が続いてきた。戦後約70年間で、戦争などで武力行使をしなかった国は、国連加盟193か国中、日本などわずか8か国に過ぎないとの氏の指摘は重要だ。
世界中で戦争は続いている。しかも日本周辺の危機は高まっている。だからこそ、戦争に対する国際社会の考え方やルールを知っておかなければならない。近代国際社会は、戦いの惨禍を抑制するためのさまざまなルールを作っている。それが、戦時国際法である。その中でも最も大事なことは、戦争の終わらせ方だという。
戦時国際法への無知
停戦、講和条約締結、批准に至って全ての問題は解決され、勝者も敗者も、この時点で未来志向で新しい出発点に立つ。この国際ルールから言えば、中国や韓国が日本に戦時中の賠償を現在に至るまで求めているのは、明らかにおかしい。わが国は先の大戦を国際法に則って戦い、国際法に基づいて降伏の手続きを行い、降伏条件もまじめに履行した。法的にも政治的にも、戦争は完全に終了している。
日本が近隣諸国の歴史認識問題に振り回されるのはこの認識が不十分なためだとの色摩氏の指摘を心に刻みたい。中国、韓国両国に対してだけではなく、私たちは大東亜戦争に関してあらゆる意味で引け目を感じている。それは戦時国際法への無知から生じているのだ。
たとえば真珠湾攻撃である。わが国は攻撃開始30分前に最後通牒をアメリカ側に手交する予定だったが、ワシントンの日本大使館は攻撃開始から40分過ぎて手交した。このことで騙し討ちなどと言われるが、色摩氏は「奇襲攻撃は今も昔も、国際法上合法でわが国が不当な汚名を甘受するいわれはない」と断じている。
たとえば1939年のドイツによるポーランド侵攻、41年のドイツのソ連奇襲と独ソ戦開始、65年のアメリカの北ベトナム攻撃、4度にわたるイスラエルとアラブの戦争、北朝鮮や中国が韓国に攻め入った50年の朝鮮戦争など、どの国も事前に宣戦布告をしていない。そのことで責められてもいない。現在も宣戦布告は国際法上の義務ではない。私たちはこうしたことも知っておくべきだ。
戦争に関する法理という視点に立てば、「日本は先の大戦を立派に戦い、そしてある意味で立派に負けた」に過ぎない。色摩氏は、「決して卑屈になったり、引きずったりする理由はありません」、「正々堂々と戦後を再出発すれば良かったのです」と言い切る。国際法や国際社会、国連の現実を知ることで、日本はもっと前向きな自己認識を持つようになれるのだ。