「 対中戦略で重要なTPPに反対 クリントン氏にも期待できない現実 」
『週刊ダイヤモンド』 2016年10月8日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1152
9月26日(日本時間27日)の米国大統領候補によるテレビ討論はあらためて、大変化に備えよという世界各国への警告になったのではないか。
討論の勝者は誰か。直後の世論調査ではクリントン氏の勝利とみた人が62%、トランプ氏は27%だった。
一方、米国の保守派の論客、チャールズ・クラウトハマー氏は、「内容に関しては、どちらも相手を徹底的に追い詰められなかったという点で引き分け。その場合、挑戦者であるトランプ氏の勝利だ」と分析した。
現時点でクリントン氏がやや有利だが、最終的にどちらが勝利するかは、依然として分からない。しばらく前まで、私はどちらが次期大統領になるのか、非常に気になっていた。外交も安全保障も理解しているとは思えないトランプ氏よりも、親中派だが、経験を積み、中国の実態を冷静に見詰め、戦略的に思考できるクリントン氏の方が日本にとってふさわしいと考えていた。
しかし、今はそうは思わない。外交や安全保障でクリントン氏にも期待できないと感ずる。理由は環太平洋経済連携協定(TPP)についての彼女の変遷である。彼女は、第1期オバマ政権の国務長官としてTPPの戦略性を認識し、支持したはずだ。TPPに込められた戦略とは、経済や価値観を軸にして、中国と対峙する枠組みをつくるということだ。
対中関係で軍事と並んで重要なのが経済である。中国はアジアインフラ投資銀行(AIIB)などを創設して中国主導の不透明な経済・金融の枠組みをつくった。だが、中国的価値観に主導される世界に、私たちは屈服するわけにはいかない。経済活動を支える透明性や法令順守などの価値観を重視したTPPは、21世紀の中華大帝国とでも呼ぶべき枠組みに対処する重要な役割を担っていくはずだ。
無論、TPPはそのような対中戦略の理念だけで成り立つものではない。日本企業や農家の舞台を国内1億2700万人の市場から8億人のそれへと拡大し、必ず、繁栄をもたらすはずだ。
こうした中で厳しい交渉を経て、TPPは12カ国間で合意された。それをクリントン氏は選挙キャンペーンの最中の8月11日、「今も反対だし、大統領選後も反対する。大統領としても反対だ」と言い切った。さらに、今回の討論で、「あなたはTPPを貿易における黄金の切り札(gold standard)と言ったではないか」と詰め寄られて、彼女はこう切り返した。
「それは事実とは異なる。私はTPPが良い取引(deal)になることを願っていると言ったにすぎない。しかし、いざ交渉が始まると、ちなみに私はその交渉に何の責任もないが、全く期待に沿わない内容だった」
ここには、TPPを対中戦略の枠組みと捉える視点が全くない。何ということか。対中戦略の重要性など、彼女の念頭には全くないのである。であれば戦略的とは到底思えないののしり言葉で支持を広げるトランプ氏と、信念も戦略もないという点で、クリントン氏はどう違うのか。
日米同盟に関して、トランプ氏は「日本はカネを払っていない。他方で100万台規模の車を米国に輸出し続けている」と強い不満を表明した。このような考え方は日米同盟の実質的変革につながる。クリントン氏は日米同盟重視だと語るが、TPPを認めない氏に期待するのも難しいだろう。
両氏の討論から、日本の唯一の同盟国が、頼れる相手でなくなりつつあることがより明確に見えてくる。安倍晋三首相は臨時国会の所信表明で、TPPの早期成立と憲法改正に言及した。日本の地力を強化し、それをもってアジア・太平洋地域に貢献するのにTPPも憲法改正も必須の条件だ。国際社会の速い変化の前で、日本も急がなければならない。