「 守るべき国とは何か、元自衛官の問い 」
『週刊新潮』 2016年9月1日号
日本ルネッサンス 第718回
伊藤祐靖氏の『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』(文春新書)を読み始めて、涙が出た。
本書で伊藤氏は、国民を守り国を守るとは何かを問いつつ、国とは何か、日本とは何かと問うている。命を賭けて必死に問うている。自力で国を守るという基本を忘れさせられ、その状況に慣れてしまった、現在の日本の壮大な喪失に、全力で異議を唱えている。
氏はかつて海上自衛隊に属し、防衛大学校で指導教官を務めた。イージス艦「みょうこう」の航海長当時、能登半島沖で北朝鮮の工作船を追尾し、戦後初の海上警備行動発令を受けて、工作船に対峙した。
氏が著書の第一章で描いたのは、1999年3月の海上警備行動発令に至る状況と、発令後に氏を含めた自衛官が展開した戦いの実相である。
数百隻の漁船群の中からようやく見つけた北朝鮮船の後方に一定距離を保ちつつ、つけると、観音開きの船尾が目に飛び込んできた。そのとき氏の脳裡には、「扉の中へ、無理矢理引きずり込まれる日本人の姿が浮かんだ」そうだ。
「このやろう、拉致船じゃねえか!」、「血液が逆流するような」激しい感情がわき起こったと、振りかえっている。
だが、その感情は、同じ現場で工作船を追尾した海上保安庁の巡視船が「燃料に不安あり、これにて新潟に帰投致します」とのメッセージを残して新潟港へと反転したとき、「血液が沸騰しそう」な怒りに変わる。
憤死する程のこの怒りは、しかし、海保というより、現在の日本国の国防の根幹、信じ難くも脆弱な、アメリカ頼りの実態に向けられたものであろう。拉致された日本人が船尾に閉じ込められているかもしれないとき、最後まで追うこともなく、臨検することもなく、なぜ、海保は港に帰らざるを得ないのか。海上警備行動が発令されない限り、自衛官には警察官職務執行法も適用されず、工作船に乗り込む権限も工作員逮捕の権限もない。闇深い海で海自にできるのは、ひたすら工作船を追い続けることだ。
漫画本を腹に巻き
尖閣諸島の海を侵す中国船に対しても同じである。眼前で中国の漁民が尖閣諸島に上陸しても、彼らが攻撃してこない限り、ただ見守ることしかできない。これでは国土防衛など不可能だ。
誰何(すいか)し、臨検し、阻止する警察権限を持つ海保にしても、装備において北朝鮮の工作船や中国の偽装漁船にかなわない。中国船が船体に白いペンキを塗っていても、北朝鮮船が漁船に偽装していても、実際は軍艦であり、工作船だ。乗組員は、軍事訓練を重ねた練達の強者であろう。彼らと海保は「任務が違う」。海保に工作船対処を任せること自体、国防の基本が間違っている。
「みょうこう」が単独で工作船を追う展開となったとき、戦後初の海上警備行動が発令された。「みょうこう」は数限りない砲弾を、工作船本体を外して船の前後左右に撃ち込んだ。それでも工作船は怯まない。止まらない。遂に「みょうこう」艦長が指令を出した。
「苗頭正中(びょうどうせいちゅう)、遠五〇(えんごじゅう)」─最大限の危機である。その緊張感には息を呑むが、詳細は本書に譲る。
そしてエンジン故障で工作船が止まった。伊藤氏らはどう行動したか。
私は1年程前、この場面に関して伊藤氏に電話で取材をしている。遂に止まった工作船に、臨検のため乗り移ろうとしたときの状況を聞いたのだ。防弾チョッキも備えていない「みょうこう」で、自衛隊員は漫画本を腹に巻いて準備した。だがそこに至る過程で、隊員たちが見せた不安について、深く考えさせられる話が、本書には書かれている。若い隊員が航海長の氏に尋ねた。闇夜の海で、手旗信号係りの自分が出動する意味はあるのか、と。氏は明確に答えた。
「今、日本は国家として意志を示そうとしている。あの船には、拉致された日本人のいる可能性がある。国家は、その人たちを何が何でも取り返そうとしている。だから、我々が行く」「その時のために自衛官の生命は存在する」
「ですよね、そうですよね。判りました」と、若い隊員。
10分後に再集合した彼らは前述のように部厚い漫画本を体に巻きつけたりしていた。だが表情からは暗い不安が消えさり、どこか余裕さえ感じさせたという。
彼らは乗り移ったが最後、凄まじい戦闘に直面する。戦闘経験のない彼らが、工作員を制圧する可能性は限りなく低い。たとえ自衛隊側優勢で戦っても、工作船は最後は自爆する。船倉に囚えられているかもしれない拉致被害者を含めて、全員の死は避けられない。任務完遂の可能性はゼロだと、氏は考えた。
誇りある軍人
彼らを行かせたくない、国民を守るとはどういうことか、国防とは一体どういうことか、その実態を理解していない政治家たちの命令で、若い隊員を行かせたくない。伊藤氏の葛藤を他所に隊員たちはわずかな時間の中で心を整理し、公への奉仕を信じて自分の死を受け入れる覚悟をした。
だがこれは間違っていると、伊藤氏は、繰り返す。「私」を捨てた若者を賛美するだけでは、日本人は過去の歴史から何も学んでいないことになる。氏はこの局面で、日本に欠けているものに気づく。厳しい訓練を経て心身を鍛え抜いた、自覚した部隊の存在である。そのような人々を誇りある軍人としてきちんと位置づける国防の精神である。
結論からいえば、決死の覚悟をした隊員たちが工作船に乗り移ろうとしたその瞬間、工作船は修理が終わったのか、猛ダッシュして北朝鮮の領海へと逃れていった。任務完遂の可能性ゼロの、絶体絶命の淵から隊員たちが戻ってきた瞬間でもある。
能登半島沖での事件の反省から、日本政府は自衛隊に特殊部隊を創設することを決め、伊藤氏はその準備室勤務となる。創設に当たって、日本政府は米海軍特殊部隊(SEALs)から学ぶことも考えたが、米国側が秘密保全を理由に断った。
伊藤氏は語る。「国家理念も、戦術思想も、国民性もまるで違う他国の部隊にそのまま使えるものなどあるわけがない」と。
結果として日本は日本なりの特殊部隊の創設へと踏み出した。だが、7年後、まだ真の意味での特殊部隊創隊には至っていない段階で、氏は異動を命じられた。それを機に防衛省を去った氏のその後の歩みは、日本人離れの一言に尽きる。心も肉体も、現在まで特殊部隊員として生きる伊藤氏の体験と、国防の本質を衆参両院で圧倒的多数を獲得した与党政治家に知ってほしいと思う。