「 対中せめぎあい、まず中国を知ることだ 」
『週刊新潮』 2015年10月8日号
日本ルネッサンス 第674回
果たして国際社会はどの方向に進むのか。パクスアメリカーナ(米国による平和と秩序の維持)か、「中国の夢」「中華民族の偉大なる復興」を謳う中国の下でのパクスシニカへの道か。この岐路の前で行われたのが9月25日の米中首脳会談だった。
訪米した習近平主席は9月23日、まず最初の訪問地ワシントン州シアトルで、ボーイング社の航空機300機を4兆5000億円(380億ドル)で“爆買い”し、今後5年で1200兆円(10兆ドル)分の商品を米国から買いつけると力説した。軍事力だけでは中国の夢は実現しない。経済においても米国の協力や取り込みが欠かせない。直接的な利益をもたらす経済攻勢によって、米国の中国批判は少しは和らいだだろうか。
オバマ大統領との首脳会談でも米中間の溝は埋めきれていない。平行線を辿ったまま、批判を浴びても同じ主張を展開する習体制下の中国を、私たちはどのように理解すればよいのか。
民主主義や国際法という価値観、国の大小に拘らず、各国の主権は尊重されなければならないという、日本をはじめとする西側諸国にとっては余りにも明白なルールの下で「やってはならないこと」は明らかだ。南シナ海で中国が進める7つの島々の埋め立ては、まさに現在進行形の侵略である。そうしたことを指摘された習主席の回答は、批判を物ともしない開き直りともとれるものだ。その発言から私たちは中国を中国たらしめている要素に気づかなければならない。
共同記者会見で、オバマ大統領が東シナ海、南シナ海問題に関して、航行と飛行の自由、自由貿易を維持するために率直な議論をし、米国の「重大な懸念」を習主席に伝えたと語ったのに対し、習主席は、「中国は平和的開発の道を探り、諸国とよき近隣精神に基づいてパートナーシップを築いてきた」と躱(かわ)した。
軍事防衛上の必要性
「南シナ海の島々は古代から中国領だ」と取りつく島もない開き直りで、「我々には領土主権と、法に適った正当性のある海洋権益を主張する権利がある」「南沙諸島の埋め立ては如何なる国をも目標にしたものではなく、軍事転用する気もない」とも語った。
この主張はどの国も認めない。現に5月31日、シンガポールでのアジア安全保障会議で、中国人民解放軍の孫建国副総参謀長が「軍事防衛上の必要性を満たす目的だ」と述べている。南シナ海での中国の年来の行動は、埋め立てがまさに軍事目的であることを示している。
同様の開き直りと虚偽の主張がサイバー問題でも展開された。オバマ大統領が「米企業と米国民への高まるサイバー攻撃の脅威に、米国は大変深刻な懸念を抱いていることを、首脳会談では再度、提起した。サイバー攻撃は中止されなければならない」と述べて、「米国はあらゆる手段を用いて米企業、米国民と国益を擁護する」と中国に警告を発した。
首脳会談に先立つ事前協議では、米側がサイバー攻撃に従事する中国企業や個人に「前例のない制裁」を科すと意思表示したことも報じられた。事前協議でも首脳会談でも厳しく警告された習主席は、しかし、こう述べるにとどまった。
「中米両国はサイバー大国であり、対話と協力を進めるべきだ」
サイバー犯罪に共に立ち向かうべく両国は協力に合意したとはいえ、他人事のようなコメントである。
国際社会の規範に基づけば、他国の領土領海への侵略問題も、サイバー攻撃問題も、胸を張って主張するのは憚られるはずだ。だが、中国の姿勢からはそんな思いは感じとれない。クリミア半島併合は正当な行為だったと主張するプーチン氏と相通ずるものがある。一党専制独裁政治下では、国際法、条約などの国際規範は容易に破られるといえばそれまでだが、「中国の夢」「中華民族の偉大なる復興」などのスローガンを掲げる中国には、もっと深い歴史的背景がある。
新型大国関係を受け入れ、その確立に協力するよう繰り返し米国に申し入れる中国の行動は、まさに世界規模での価値観の変換を目指すものだ。力をつけた中国はパクスアメリカーナを超えて、中国の価値や規範に世界が従い、中国の考える平和と秩序を世界に広げたいと望んでいるのではないか。大国となった中国にはそれを要求する権利があると、彼らは考えているのではないか。
なぜ中国人はこれ程不遜なのか。彼らの考えは日本人の視点で見ていては理解できない。中国人の側に立って彼らの発想で見なければならないと説くのが東京大学教授、平野聡氏の『「反日」中国の文明史』である。
「智」の力
氏は、中国文明が生まれ拡大していく過程について、優れた中国文明が、劣位にある漢字を用いない周辺民族に、恩恵に溢れた教えを及ぼし、周辺民族が中国文明を尊敬する形で広がっていったと、中国人は考えているのだと説明する。「この歴史的現象への揺るぎない信頼と確信が、中国文明における世界観の核心を占めている」と説く。
自らの絶対的優位を信ずる中国文明では、差別が当たり前である。「強きものが弱きものの上に君臨するという鉄の事実を互いに率直に認め」「そのうえで共存を実現させようという構図」が中国文明だと平野氏は説き、「誰もがそこにある上下関係を厳しく守ったうえで、上に立つ者が徳・思いやりを示すことによって、本当の調和が社会に満ちあふれ、究極の平和と共存が実現する」と中国人は考えると指摘する。
ここからさらに発展して、中国文明を最高のものとする思想の中では、周辺諸国の民族は中国文明をひたすら学び、模倣することによって自らの水準を高め、よりよい中国文明の一員となることが期待される。そこでは、周辺の夷狄(いてき)に対して優れた自らの礼を無制限に模倣させることが大いに奨励される。それが「中国文明の度量の本質」であるからには、たとえば知的財産や著作権の盗用に対し日本や米国が本気で怒っていることなど、彼らには逆に理解し難いと、氏は見るのである。
現代中国の恨みは、西洋近代文明によって中華の秩序と価値観が打破され、さらに、日本が西洋の価値、制度、流儀を取り入れて成功し、中国の上位に立ったことだ。幾重もの堪え難い屈辱感を抱く隣国に、日本はどう対処すべきか。日本が自らを優れた文明国と位置づけて「徳」を振りかざして外交を行えば、中国と同じ地平に自らを置くことになると平野氏は警告する。それよりも、普遍的価値として確立出来る「智」の力を打ちたてよ、というのが氏の結論である。中国の考え方を知ることなしには、日本の道も切り拓けないということである。