「 安保法制「地道な説明を」安倍首相語る 」
『週刊新潮』 2015年9月24日号
日本ルネッサンス 第672回
9月11日、インターネット配信の「言論テレビ」で安倍晋三首相に話を聞いた。首相の出演は、翌週に参議院での平和安全法案の採決、成立を目指すという非常に微妙なタイミングで実現した。首相が発言に慎重だったのは当然だが、それでも1時間余り語った。
国民の平和安全法案に関する理解は深まっていないとして、法案採決を目指す安倍政権への批判は強い。同法案は衆議院では116時間も議論された。参議院でも100時間に達する見込みだ。なぜまだ、国民の理解は深まっていないのか。率直に質問すると、首相は次のように答えた。
「他の普通の国々では、どのようにして国民と領土領海領空を守るのか、しっかりと議論されますが、日本の場合、憲法、国際法、これまでの答弁の積み重ねを議論しますので、中々わかりづらいのは事実だろうと思います。具体的事例で説明していますが、反対する人々が戦争法案だ、徴兵制が始まるなどのレッテル貼りをする。残念ながら、それを信じる人々も沢山いらっしゃる」
日本がどれ程特殊な国であるかを示す答えである。他国では国民の命、国の主権そのものである領土領海領空を守るための具体的施策が論じられる。守りきれないという不安要素があれば、その部分を埋めるべく軍事力の増強や他国との連携強化は当然で、政権がそれをしない場合、統治責任が問われる。
ところがわが国では、占領軍が与えた憲法によって、世界の現実から目を背ける人々が育てられた。9条が日本の平和を守り、これからも守ってくれると信じ、他国の善意をあてにして眼前の危機に目をつぶる人々が多く生まれたのである。
無論、軍事力が全てではない。安倍首相も世界各国の指導者も、紛争や外交問題はまず平和的話し合いで解決すべきだと主張する。しかし、中国やロシア、北朝鮮のように、話し合いが通用しない国が現に存在する。武力を背景に他国の土地や海を奪い、国民を拉致する国々に対して、日本以外の諸国は話し合いと力の行使の両面で問題解決をはかる。9条が日本の平和と日本人の安寧を守ったと主張する人々は拉致問題、東シナ海、尖閣の現状をどう説明できるだろうか。
知性対反知性
一部の野党や「朝日新聞」などはこうした問題に目をつぶる。南シナ海の現状も無視して平和的話し合いが世界に通用するとの前提で、平和安全法案を徴兵制に至る戦争法案だとして非難する。
彼らは、法案の是非を判断するのに欠かせない国際社会情勢の厳しさは国民に伝えない。中国と朝鮮半島を除けば、東南アジア諸国連合(ASEAN)10ヵ国を含む殆どのアジア諸国が安倍首相の平和安全法制を大いに歓迎していること、早期実現を望んでいることも伝えない。日本の平和安全法案の早期成立を望む声は国際社会の圧倒的主流だが、そのことを報じないだけではなく、戦争法案だ、憲法違反だとして根拠なき非難を浴びせる一部の学者を持ち上げる。これでは到底、国民の理解は進むまい。
9月11日の「産経新聞」のコラム、「iRONNA発」にフリーライターの中宮崇氏が書いたことが事実なら、驚きである。氏は、安保法案反対のデモで法政大教授の山口二郎氏が学生達に向けて「安倍に言いたい!お前は人間じゃない!叩き斬ってやる」と演説したと書いている。
中宮氏は、山口氏が8月26日にツイッターで、「日本政治の目下の対立軸は、文明対野蛮、道理対無理、知性対反知性である」とつぶやいたとも紹介している。
山口氏の発言として報じられた言葉は、学者のそれとしては俄には信じ難い。私は首相に思いを聞いた。
「知性対反知性と言われるのであれば、『叩き斬ってやる』と言わない方がいいと思います」
と首相は答えたが、その通りだ。
国会、そして街頭で展開される不公正な攻勢に首相は晒され続けている。自民党は、ようやく平和安全法案が戦争法案ではないこと、憲法違反でもなく合憲であること、徴兵制はあり得ないことを説明したチラシや資料を配り始めた。遅きに失しているのは明らかだが、根拠なき批判に対処し始めたことは前進である。
それにしてもなぜ、自民党はここまで受け身なのか。平和安全法案の説明は首相が一手に担ってきた印象が強い。民主党の「集団的自衛権はいらない。個別的自衛権で十分だ」という主張も含めて、民主党以下野党の主張は攻め所が沢山ある。なぜ、自民党全体、もしくは政府全体で、もっと積極的に反論しなかったのか。その問いに首相が答えた。
「乱暴な議論はしないのが自由民主党の誇りです。地道に国民に説明したい。ですから、なるべく分かりやすく、具体例を示して話をするのです」
戦後体制への評価
「朝日」は8月23日の「天声人語」で「国民を見下す」として首相を批判したが、私はむしろ正反対の印象を抱いた。首相は極めて低姿勢である。矛盾の目立つ野党の主張は厳しく議論すれば容易に論破できる。にも拘らず、自民党も政府も反論の仕方が、不思議な程抑制的だ。
そう考えたとき、大きな疑問が湧いてきた。これは精神的専守防衛ではないのかと。
専守防衛は言わずもがな、わが国の安全保障の基本的考え方である。ひたすら守るだけで決して攻めていかない。軍事力行使に課したこの歯止めが、安全保障の議論を精神的に縛っているのではないか。首相が指摘したように、集団的自衛権の政府見解は約40年前のものだ。当時と今は国際環境が全く異なる。米軍の軍人、軍艦、航空機の数は半減した。他方、ミサイルなどなかった北朝鮮がいまやミサイルを持ち、中国の異常な軍拡は続く。日本はこの状況変化に適応して脱皮する必要がある。
8月14日に首相が発表した70年談話では、戦後体制を前向きに評価したが、つきつめていけば、これは年来の願いである戦後レジームからの脱却という考え方と食い違っていくのではないか。首相が答えた。
「70年前、私たちは二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないと誓いました。この歩みに誇りを持ちたい。同時に様々な仕組みが占領期間に出来上がったことも事実です。それが、今の時代に合っているのか、常に見直しをすることが大切です。自民党は憲法改正を党の大きな柱として掲げています」
「但し」と首相は前提を置いた。「政治にはタイミングがあります。平和安全法案が成立したら、まず経済で成果を上げたい。それと立党以来の悲願である憲法改正に粘り強く取り組みたい」と語った。
自民党内には、憲法改正先送りの可能性を論ずる声も出始めている。それを柔らかく否定した安倍首相の勁さを実感した件りだった。