「 与党推薦の参考人が憲法違反と断罪 集団的自衛権に学界が反対する理由 」
『週刊ダイヤモンド』 2015年6月27号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1089
6月4日、衆議院憲法審査会で自民党推薦の参考人、長谷部恭男・早稲田大学教授が政府の集団的自衛権の行使や平和安全保障関連法案は憲法違反だと意見陳述した。
小野寺五典元防衛大臣は「言論テレビ」の番組で、「与党推薦の参考人が与党案を真っ向から憲法違反だと断罪する前代未聞の事件によって、安保法制の論議は安倍首相が集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした1年前の振り出しに戻りました」と嘆いた。
日本大学教授の百地章氏は長谷部氏の、「集団的自衛権の行使は憲法違反である。なぜなら、従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかないから」という主張は、論理的におかしいと批判した。「長谷部氏が違憲と断ずるからには集団的自衛権の行使が憲法の枠を超えているということを説明しなければなりません。たとえ従来の政府見解の枠を超えた解釈であっても、憲法の条文の枠内であれば、憲法違反にはならないからです」。
そもそも国連は国連憲章第51条によって国連加盟の全ての国に集団的自衛権を認めている。百地氏が語った。
「サンフランシスコ平和条約第5条Cも、無条件でわが国に集団的自衛権を認めています。国際法上、日本国が集団的自衛権を行使できないという解釈が生まれる余地は全くないのです」
加えて、日本国憲法第9条の1項にも2項にも集団的自衛権を禁ずる文言はない。国際法も国内法規もわが国に集団的自衛権の行使を禁じる条項はないことを確認した上で、砂川判決を見てみよう。最高裁判所は1959年12月16日、砂川判決によって日本国に集団的自衛権を認めた。
「同事件は米駐留軍と旧安保条約の合憲性を問うものでしたが、判決はわが国が主権国として持つ固有の自衛権を何ら否定していないとしています」と、百地氏は指摘する。
旧安保条約はその前文で、サンフランシスコ平和条約も国連憲章も日本国および全ての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているとして、「これらの権利の行使として、日本国は暫定措置として米国がその軍隊を維持することを希望」した旨を明記している。
「つまり、旧安保条約で日本国政府は集団的自衛権の行使を認め、国会もこれを承認した。砂川判決は当然、この認識に立つわけですから、同判決のいう『自衛権』が個別的そして集団的自衛権を含むのは当然なのです」
百地氏の主張は合理的で、筋が通っている。それにしても日本の憲法学者の多くはなぜ右の解釈の対極に立ち、憲法を否定的に解釈するのか。私はそこに戦後憲法学界に君臨した宮澤俊義氏の影を見る。
宮澤氏は26歳で東京帝国大学の助教授に就任した俊英である。59年の定年まで東京大学法学部の憲法講座を担当し、戦後の憲法学界に決定的な影響を与えた。詳しくは西修氏の『憲法改正の論点』(文春新書)を参照していただければと思うが、宮澤氏はもともと、「大日本帝国憲法は民主主義を否定してはいない。ポツダム宣言を受諾しても、基本的に齟齬はない。法令的に改めるだけで十分」だと考えていた。連合国軍総司令部(GHQ)の現行憲法に関しては、日本人が「自発的に」作ったわけではない、「自己欺瞞にすぎない」とまで批判した。
にもかかわらず、その後、GHQ作成の憲法を全面的に受け入れ、護憲論を奉じ、憲法学の権威となった。GHQの圧力の前で、宮澤氏がGHQの意向を受け入れた結果、氏は憲法学の泰斗となり得たのではないだろうか。
氏の弟子たちは当然、氏の学説を踏襲しなければポストを得られない。かくして日本の憲法学界は現在に至るまで、日本の自立を望まないGHQの精神を体現し、集団的自衛権行使は憲法違反だなどと主張するのではないか。