「 勇気ある言論人夫妻が拘束 チベット弾圧の凄まじさ 」
『週刊ダイヤモンド』 2014年7月19日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1043
7月9日、北京発で共同電がベタ記事を送った。チベット人作家のツェリン・オーセルさんと彼女の夫で漢族の作家、王力雄氏が8日、自宅軟禁下に置かれたとの内容だ。
中国共産党の言論統制強化はすでに承知していたが、2人の名前を見て、背中がゾクッとする緊迫感を抱いた。
私は2人に会ったことはない。けれど幾度も会話を重ねてきたような親近感を抱いている。2人が協力して出版した『殺劫(シャーチェ) チベットの文化大革命』(集広舎)を読み、その日本語訳を完成した現代中国文学者の劉燕子氏らから話を聞いていたことが、私の親近感の背景にあるだろう。
2009年に日本で出版された同書は、中国全土に吹き荒れた文化大革命の最初のターゲットがチベットだったこと、彼らこそ最もひどい被害を受けていたことを、200点に上る写真を通して見せてくれる。
写真はオーセルさんの父が文革の時期(1966~76年)を通して撮りためたものだ。父親は、しかし、それらを箱の奥深くにしまい込み、未発表のまま亡くなった。オーセルさんは父の遺品の写真の束を、漢族でありながら『鳥葬─チベットの運命』という書を上梓するなど、深いチベット理解を有していた作家の王力雄氏に送った。王氏はオーセルさんを励まして『殺劫』の出版を実現させた。2人はその後結婚するのだが、『殺劫』は、まず台湾に持ち出されて出版され、次に日本で本になったのである。
チベット人が、文革を挟んで51年から83年の間にどれほど弾圧されたか。『殺劫』の解説を書いた読売新聞元中国総局長、藤野彰氏が数字を示している。抵抗による死者43万2000人、飢餓による死者34万3000人、獄死者17万3000人、処刑死15万7000人、拷問死9万3000人、自殺死は9000人だという。合計120万7000人が死に追いやられた計算だ。
82年の中国政府の人口調査は、当時の中国国内のチベット人総人口を387万人余としており、総人口の約3分の1が殺されたことになる。無論、中国政府は右の統計を全面否定しているが、200点余りの写真から見えてくるのは凄まじい弾圧がチベット民族を襲い続けたという事実である。
王氏は中国の官製文壇から独立した、日本風にいえばフリーライターである。中国の作家の多くは、中国政府機関の1つである中国作家協会(作協)に所属する。作協の一員であれば、取材、執筆、発表の機会を与えられ、政府から給与も支給される。便宜を図ってもらえ、収入も保証されるが、自由はない。一党独裁の中国でフリーライターの道を選ぶことはいばらの道を歩むことだ。一切の便宜も特権もなく、逆に常により厳しく監視される。監視は弾圧と背中合わせである。
氏は、99年、45歳のとき新疆ウイグル自治区に調査に赴き、突然、「国家機密搾取」の容疑で42日間拘束された。死と拷問の恐怖に晒され続けたこの体験を通して、彼は漢族共産党政権によるウイグル人弾圧の実態を知ることになる。
少数民族に関する知識は持っていても、漢族として少数民族の感性、いわば魂に触れる次元までは到達できずにいたのが、自身が拘束され、外界との接触を絶たれ、死の恐怖に直面したとき、初めて、漢族に虐げられてきた人々の心に肉迫することができた。
01年、彼は、作協にとどまることは恥辱であると宣言して脱会した。その勇気ある言論人夫妻が、いま、再び拘束された。拘束された人々への精神的、物理的拷問の凄まじさを思うと、わが身の置きどころがない。言論、表現の自由を享受する日本の言論人の責任として、中国の実態を厳しく告発していきたい。