日本古来の歴史こそ力の源泉
『週刊新潮』 2014年1月2日・9日号
日本ルネッサンス 第589回
「2014年は行動の年にしなければならない」
オバマ米国大統領はクリスマス休暇に入る前、12月20日の会見でこう語った。もっとも、主に語られたのは、医療・福祉政策、財政、国家安全保障局による盗聴とスノーデン事件、増え続ける不法移民、低空飛行の支持率問題など、国内問題だった。わずかにソチ冬季五輪とイラン問題が質問されたが、大統領もメディアも国外のことには殆ど興味を抱いていないかのようだ。
オバマ大統領の国際情勢への関心の低さとアメリカ世論の内向きさが2013年の世界情勢を激変させた。
米国がシリア不介入を決め、核開発を止めることにはならないと批判的に見られている暫定合意をイランと結び、対エジプト政策が一貫性を顕著に欠いたとき、中東の盟主、サウジアラビアもエジプトもイスラエルも米国に疑問を抱き始めた。米国が超大国として担保してきた国際社会の秩序が根底から揺らぎ始めたのだ。
アジアにおいても米国の影響力の低下は著しい。12月12日、北朝鮮の金正恩第1書記が叔父の張成沢を処刑し、朝鮮半島は事実上の有事態勢に入った。北朝鮮有事は突きつめれば中国との対決に行きつく可能性がある。それでもオバマ大統領は北朝鮮問題解決の場として、中国が主導する6ヵ国協議を最優先する。
当の中国は探査機の月面着陸に成功し、月面基地と独自の宇宙ステーションの建設に乗り出した。宇宙での優位性を確立して、21世紀の戦争、サイバー戦争に打ち勝つのが目的だと見る専門家は少なくない。オバマ大統領は中国のその脅威から目を逸らしがちではないか。
米国の圧倒的な力が相対的に衰退し、世界が超大国ゼロの時代に入りつつあると指摘するのは、コンサルティング会社、ユーラシア・グループのイアン・ブレマー氏である。世界の潮流が大変化する節目で重要になるのは、新しい現実を見てとり、変化に対応する能力だ。米国主導の世界秩序に過度に依拠してきた分、日本は最も敏感に変化を読みとらなければならない。米国依存体質から出来るだけ早く抜け出して、普通の民主主義の国としての力をつけるのだ。
神話はただの物語ではない
そこで2014年、私たちは何よりも、精神的無国籍状態からの脱却を目指したいものだ。占領政策が日本に植えつけた最大の病根は、日本人を日本の文化文明の由来から切り離したことだ。
国には民族の歴史があり、往々にして神話として伝承されている。歴史と神話を学ばない国民は自分が何者であるかを知らない。自分が何者かを知らない人間や民族が、事に直面したとき、如何に行動すべきかを的確に判断し、十分な力を発揮することなど出来ない。だからこそ、米国は占領政策で、日本の歴史教育を歪め、神話も教えさせなかった。日本人は独立回復後もその政策を正さなかった。
神話は決してただの物語ではない。古代の人々が体験したこと、願ったこと、そうありたいと努力したことなど、その民族の最も大事にしている価値観がぎゅっと凝縮されて詰まっている物語風の歴史そのものだ。
そこで、この冬休みに日本国の由来を最もよく伝える一冊、古事記を読んでみたらどうだろう。古事記をひもといて改めて感じるのは、古代から日本人は権力者の独断を避け、合意で統治してきた国だった点だ。
伊弉諾神と伊弉冉神の日本の国造りを引き継いで、完成させたのが大国主神である。大国主神は独断ではなく、常に周囲の神々の助けを得て、事案を進めている。完成の暁には天照大御神に国を譲った。大国主神は自分のために日本国を造ったのではなく、より大きな存在としての天照大御神のために働いた。大国主神は他者の利益、公のために全力を尽くしたということだ。
国を譲り受けた天照大御神は日本の統治を自分の子孫神に担わせるべく地上に天降りさせるが、そのときも、どの神がふさわしいか、他の神々に相談するのである。絶対的な正しさと力を以て導くキリスト教的な全能の神、一神教の強固な力を持つ神は日本には存在しない。
この点について、『現代語古事記』(学研)を著した竹田恒泰氏の指摘が面白い。わが国の天つ神(天上の神々)は全能ではないがゆえに、国つ神(地上におわす神々)の様子がよくわからなかったというのだ。そのことを氏は、地上の悩みを解決するのに天つ神の力を借りようとしても必ずしもいつも地上の思いが天上に通じるとは限らない。だから、神々にお願いをするときは、はっきりと事情を書いた祝詞を上げるのがよいと書いている。何をどうしたいのか、個人個人がまずしっかり考えることが大事だという点で、日本の神々は国民に明確な意識と独立心を促してきたと考えるのは、あながち行き過ぎではあるまい。
弱き者への慈愛
地上の事情に疎くとも、天つ神は、国つ神の泣き声だけはよく感じとっていた。竹田氏は、皮をむかれた因幡の白兎が大穴牟遅神に助けられた物語や、泣いている火遠理命を塩椎神が助けた物語を事例として挙げている。日本の神々の弱き者への慈愛が感じとれる。
古代日本人のこの価値観は、古事記より100年以上も前に作られた十七条の憲法にも貫かれている。同憲法の精神は、為政者は身を慎み、国民一般のために公正な国造りに尽すべしというものだ。以来約1,400年、各藩の藩校や寺子屋教育、武士道の教えに顕著なように、日本人は為政者に守られながらも、自らの責任を果たす気概を育ててきた。
その価値観は明治の開国と共に「五箇条の御誓文」にまとめられたが、これこそ世界に誇るべき内容である。身分にかかわりなく、ひとりひとりの国民の意見に耳を傾け、新しい国造りをせよと説く姿勢は、十七条の憲法、及び古事記にも通底する。個々の人間への公正な視点が、国際社会で花開いたのは1919年のパリ講和会議のときだ。第一次世界大戦後、国際連盟の結成に向けて、その基本的規範として日本は人種差別撤廃を高々と提唱した。
日本の提案は米国によって不条理にも退けられたが、人種差別を憎む日本の価値観に揺らぎがなかったことは、大東亜戦争の最中、ドイツと同盟を結んでいるにも拘わらず、日本政府が日本の国家意思として多くのユダヤ人を救った事実に示されているではないか。
そしていま、日本は60年を超える長い戦後の沈黙を経て、発言と行動を求められている。中国の不条理極まる価値観を抑制させる役割が日本に期待されているのだ。よりよい国際社会の構築に貢献するためにも、日本人の由来を知り、日本人らしさを取り戻したいものだ。