「 最新技術が払拭、小泉元首相の憂慮 」
『週刊新潮』 2013年11月28日号
日本ルネッサンス 第584回
「原発は即ゼロがいい」「核燃料サイクルもいま、やめたほうがいい」
11月12日、日本記者クラブで小泉純一郎元首相はこう語った。氏の主張の最大の根拠は核廃棄物の最終処分場がないという点だ。本当にそうか。世界の実情も併せて見てみよう。
使用済み核燃料を含む放射性廃棄物には低レベル、中レベルから高レベルのものまである。低レベル廃棄物は青森県に埋設センターがあり、高レベル廃棄物についても、たとえば埋める場合のコンクリートへの影響などについて、すでに岐阜と北海道に研究機関が出来ている。
確かに氏が指摘したように高レベル廃棄物の最終処分場は決まっていない。だが世界で明確に処分場が決まっているのは北欧だけであり、他のどの国も日本同様未定だ。
理由は住民の反対に加えて、高レベル廃棄物の放射能レベルが普通の自然状態に戻るのに10万年かかるとして、それを地中に埋めるのが本当に賢い方法なのかと、世界各国は真剣に考えているからではないか。もっと早く、自然に近い状態に戻す技術が確立されつつあることが、こうした議論の背景にある。
たとえば、10万年のプロセスは、使用済み核燃料をプルサーマルで燃やすと8,000年に短縮されるという。これを次世代型高速増殖炉で燃やすとさらに300年に短縮され、同時に高レベル廃棄物の量も7分の1に減少するという。
日本の高速増殖炉は「もんじゅ」である。もんじゅと言えば問題だらけのイメージがあるが、世界の実情を見ると、原発技術を保有する国々がいま再び高速増殖炉を目指し始めているのも事実である。
科学は進歩する
たとえば米国はカーター政権の時に高速増殖炉の商業化を延期すると決めた影響で、1998年に、それまで運転していた高速増殖炉の実験炉を止めた。しかし、いままた、高速増殖炉技術の確立を目指している。理由は原子力技術の維持及び核廃棄物対策である。
スーパーフェニックスという実証炉を98年に停止したフランスも米国同様、再び、2025年の実証炉運転開始を目指して開発中だ。理由はこれまた廃棄物対策である。
ロシア、中国、インドはもっと積極的に25年から30年を目途に高速増殖炉の商用炉運転を目指している。
実は私はかつて高速増殖炉の実用性を否定的に捉えていた。90年代に米国やフランスが相次いで高速増殖炉を止め、日本のもんじゅでナトリウム漏れ事故も起きたことが理由である。だが、いま、新たな技術で前述のように10万年が最終的に300年に短縮されることがわかってきた。科学は進歩するのである。小泉氏が懸念する10万年問題はかなりの部分、解消される可能性がある。
次に、放射性廃棄物処理の技術を見てみよう。前述のプルサーマルも高速増殖炉もまず、放射性廃棄物の処理がその第一歩である。処理方法はいま、大別して二つある。①ガラス固化体にして保存する、②キャスクという容器に入れて保管する、である。ガラス固化体もキャスクの技術もすでに世界で確立されており、日本は長年その恩恵を受けてきた。たとえば、日本の原子力発電で生まれる使用済み核燃料はフランスなどで再処理されてガラス固化体となり、日本に送り返され、いま、青森県にある鉄筋コンクリートの保管施設の中で空冷されている。
フランスに頼る一方で、日本は自国の放射性廃棄物を自国で処理しようと、①の技術の確立を目指して青森県六ヶ所村の再処理工場を建設してきた。再処理工場ではプルトニウムとウランを分離した後の高レベル廃棄物を、電気を流してガラスを溶かすメルターという装置で均一に溶かし、キャニスターというステンレス製容器に流し込んで固化体にする。同技術はフランスが何十年も前に確立し商業運転してきた。それを日本は今年夏、ようやく完成させた。
フランスがずっと前に出来たことが、なぜ日本は今年まで出来なかったのか。ここに原発問題につきまとう日本の深刻な問題がある。
前述のように再処理工場では、プルトニウムを取り出し、これをもう一度燃やせる形にするが、そのとき、白金族というプラチナの親戚のような物質が多量に生まれてくる。北海道大学の奈良林直教授が説明する。
「白金族などの不溶解残渣がメルターに沈澱してしまうのです。そこに通電すると電気は白金に流れてガラスのほうに行かず、固まらない。これがガラス固化を妨げる最大の問題だったのです」
フランスは、この処理の一つ前に沈澱槽を作り、白金を沈澱させてから通電する。ところが日本ではコストダウンを迫られ、沈澱槽を省略したという。奈良林氏の説明だ。
理性的かつ科学的な議論
「沈澱槽を省略した形で計画書を出し国の許可を得ていますので、後になって、やはり沈澱槽を設けたほうがよいとわかって、計画変更を要請したのですが、地元も国も認めない。元々の計画通りにやれというわけです。だからずっと苦労しながら、白金も一緒に混ぜながら処理する技術の開発に何年もかかったのです」
かつて、私は青森県の再処理工場を2度、取材した。1度目は泊まり込みの取材で、なぜ、再処理技術がうまくいかないのか、繰り返し尋ねた記憶がある。
答えは、「科学は日進月歩で、難問も必ず克服出来る」という、如何にも科学を志す人々特有の楽観的なものだった。経営陣も含めて、奈良林氏が指摘した原子力行政の硬直性には、誰も言及しなかった。
彼らはなぜ、沈澱槽のことを言わなかったのかと、いまでも私は不思議に思うが、世論の厳しさの前でそんなことを言える雰囲気ではなかったのであろう。とまれ、ガラス固化実験の度に、失敗が強調されて報じられ、再処理工場は機能しないという印象を広げていった。無論、私もその一人だったのであり、それは私の大いなる反省点である。
柔軟に考えさえすれば、比較的容易に解決出来る問題が、頑迷な政策ゆえに深刻な問題となって立ち塞がる。理性的かつ科学的な議論の必要性を痛感するゆえんだ。
こうした理性的かつ科学的な視点の欠落という点で小泉元首相の発言は、突出している。最新情報を踏まえず、逆回転している。廃棄物処理技術は前進しているのである。その結果、「捨て場がない」との主張も修正の必要があるのではないか。いま放射性廃棄物と私たちが呼ぶものは、たとえば白金は将来の燃料電池車の触媒に利用可能だ。捨てる発想から、放射性廃棄物を時間の経過の中で将来のレアメタル資源に変えていく夢にこそ日本は挑戦すべき時なのである。