「 矛盾だらけのエネルギー政策 野田民主党政権の責任は重い 」
『週刊ダイヤモンド』 2012年10月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 956
野田民主党政権の下で日本のエネルギー政策が漂流中だ。
1956年1月の創設以来、わが国の原子力政策を推進してきた「原子力委員会」が2日、原子力政策大綱の策定を中止し、有識者による策定会議も廃止した。正力松太郎氏が初代委員長を務め、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏も委員となった原子力委員会は、日本の原子力政策の根幹である原子力政策大綱を定め、ほぼ5年ごとに見直してきた。
それが活動を中止し、今後、原子力政策は「エネルギー・環境会議」(エネ環会議)が決定することになった。エネ環会議は首相以下関係閣僚で構成するが、同会議の特徴はすべての原子力関係者を排除したことだ。原子力の専門家を欠いた枠組みの中で、政治家たちが政治主導の看板を掲げて創設したわけだ。そんなエネ環会議が打ち出した原発政策の指針、「革新的エネルギー・環境戦略」が矛盾だらけなのは、当然のことだろう。
彼らの新戦略では「2030年代に原発ゼロ」を目指すことになったが、核燃料サイクルは維持し、青森県で建設中だった大間原子力発電所の建設再開も容認し、中国電力の島根原発3号機、東京電力の青森県東通原発1号機の建設も認めるという。
原発ゼロ方針と、核燃料サイクルの維持や複数の原発建設の容認には整合性がない。矛盾だらけの政策に原発立地県の福井県が怒り経済界が強く反発、米国も強い不満を伝えた。結果、野田政権は「30年代に原発ゼロ」戦略の閣議決定を見送らざるを得なかった。
また、野田政権は「この戦略は原発ゼロに直結するものではない」「安全が確認された原発は、引き続き重要な電源として再稼働させていく」との説明を米国のホワイトハウス、エネルギー省、国務省などに伝えていたことも、その後判明した(「日本経済新聞」9月30日)。つまり、原発ゼロ政策を事実上変更したのだ。
日本の未来と世界のエネルギー分野における熾烈な競争を見れば、原発ゼロ方針の変更は正しかったと思う。だが一連のプロセスで民主党が見せた迷走は、日本のエネルギー政策を決めているのは誰なのかと考えさせる。国内の反原発勢力か、反原発に反対する米国か。明らかなのは民主党が明確なエネルギー政策を持ち合わせていないということだ。
原発・エネルギー計画を決定する立場にある経済産業省の有識者会議委員長、三村明夫・新日鐵住金取締役相談役は、政府の目指すところが不明な状況で、責任ある議論はできないとして、ここでの議論も中止したままだ。
いま、日本国にはエネルギー政策を決める主体が存在せず、国家戦略なき日本はまさに漂流しているに等しい。この異常事態の責任は野田佳彦首相に加えて、枝野幸男経産大臣、細野豪志前環境大臣、古川元久前国家戦略担当大臣らにあると言ってよい。菅直人前首相らの責任も無論大きいが、菅氏退陣後、エネルギー、原発、福島問題に関わってきた人々こそ、最も重い責任を負っている。
枝野氏は国のエネルギー政策の大局に立つべきところを反原発イデオロギーにこだわり続け、原発ゼロ政策の長期目標の決定に与した。古川氏は原発政策を世論に丸投げして政治責任を放棄した。細野氏は強い反原発感情の理由となっている放射能問題で正しい科学的説明をせず、世論と感情に従うことで、放射能汚染問題を徒に混乱させ、その解決と福島の再生を遠のかせた。
3氏共に政治家として無責任の限りであるが、驚くことに民主党内の評価は異なるようだ。細野氏は野田首相の有力な対抗馬とされ、いま、党の全政策に目を光らせる政調会長に就任、枝野氏は経産大臣として留任した。この政権が日本の未来にもたらす負の影響を不安に思わずにいられない。