「 北朝鮮を利する韓国与党の敗北 」
『週刊新潮』 2010年6月17日号
日本ルネッサンス 第415回
任期5年の3年目で丁度半ばに達した韓国の李明博大統領にとって、6月2日の統一地方選挙での大敗は痛恨の一事だった。4,000近い市長、道知事などを選ぶ今回の統一地方選は、与党ハンナラ党が圧勝すると予測されていた。だが、主要16自治体の結果を見ても、ハンナラ党が制したのはわずか6つ。7つで野党民主党が首長の座を奪回した。
韓国の哨戒艦「天安」が北朝鮮の魚雷攻撃で沈没し、北朝鮮非難が高まり、ハンナラ党は追い風を受けていたはずが、なぜ、敗北なのか。
5月20日、軍民専門家による合同調査団が、海底から回収した北朝鮮製魚雷のスクリューなどを示して、天安沈没は「北朝鮮製魚雷の水中爆発」によると断定した。動かぬ証拠が発見されたことで、北朝鮮による攻撃などあり得ないと主張してきた野党民主党をはじめとする親北勢力は「パニック」に陥った。
5月24日、李大統領は天安沈没を「北朝鮮による軍事挑発」だと明言し、北朝鮮船舶の韓国領海の通過禁止、開城工業団地と乳幼児向け支援を除く南北間の交易・交流の中断、国連安保理での北朝鮮の責任追及を発表した。国民の約7割が、北朝鮮の犯行だと考え、李大統領の「断固たる対応」を支持し、北朝鮮への怒りは高まった。
だが、北朝鮮シンパの民主党は世にも不思議な反論を展開した。「天安撃沈事件の真の原因は韓国政府の北朝鮮敵視政策にある」というのだ。彼らは次のように言い始めた。
「李政権が北朝鮮を追い詰めたからこそ、北朝鮮側は反撃に出ざるを得なかった」「北朝鮮への膺懲がなければこんな事件は起きなかった」、したがって、「ハンナラ党が選挙に勝って、対北強硬政策を続ければ、最終的には戦争になる」「統一地方選挙は、戦争か平和かの選択だ」
本末転倒なキャンペーン
ハンナラ党への支持は戦争につながり、親北勢力の民主党への支持は平和につながる、悪いのは北朝鮮ではなく、李大統領なのだという、本末転倒を絵に描いたようなキャンペーンが大々的に行われ始めたのである。彼らの主張は北朝鮮当局の主張とピッタリ重なる。まず調査団が「北朝鮮犯人説」を打ち出した当日、北朝鮮国防委員会は「捏造だ」との声明を発表し、強く反発した。
李政権が「断固たる対応」を強調すると北朝鮮国防委員会は、「限界のない報復打撃で対応する」と強調する一方で、韓国が報復に出た場合は「全面戦争で応える」というおどろおどろしい脅迫宣伝を開始した。5月25日には北朝鮮の対韓国窓口機関である「祖国平和統一委員会」が、遂に李大統領を「逆徒」と呼び捨て、「断固たる懲罰措置を取るほかなくなった」と述べた。
南北間にはいまにも戦争が勃発しそうな緊張が生まれた。同件について、5月31日に北朝鮮における3年の任期を終えて帰国途中日本に立ち寄ったドイツの北朝鮮大使、トーマス・シーファー氏の話を聞いたが、シーファー大使も、南北間の緊張が極度に高まっており偶発的な要因で南北戦争が勃発する危険性があると、強い懸念を表明した。大使は北朝鮮軍は強硬派と現実派に二分され、金正日総書記が明らかに影響力を失いつつある分、強硬派に引き摺られる可能性が増しているとも語った。
民主党は徹底的にこの種の議論を先導した。北朝鮮は民主党への支援活動を活発に行った。ネットには「戦争か平和かの選択だ」という北朝鮮の主張そのものであり、不安を煽る与党非難が溢れた。そして、北朝鮮の犯行を裏づける調査結果の発表から選挙までのわずか2週間で、彼らの反撃は大きな成果を得たのだ。対照的に、与党側は殆ど何の手も打たなかった。
統一日報論説委員の洪熒(ホンヒョン)氏が語る。
「李政権の閣僚たちは、金泰栄国防相を除いて、誰も危機感を抱きませんでした。政府側が反論しないために、国民、特に若い世代は野党の主張が正しいのだと思い始めた。保守派も、もう政府は支える価値がないと考え始めたと思います」
選挙はまるで、「盧武鉉大統領が生きかえった」ような結果を生んだ。ハンナラ党の指定席と考えられていた首都ソウルの市長選は、最終的に現職のハンナラ党市長呉世勲(オセフン)氏が勝ったが、0・6ポイント差という僅差での辛勝だった。相手は盧政権で韓国初の女性首相となった韓明淑氏だった。
江原道では民主党の李光宰(イグァンジェ)氏が知事に当選した。氏はいま、政治資金問題で司法の裁きを受けている。洪氏が語った。
「高等裁判所で有罪が確定すれば辞職を迫られます。また氏は兵役回避のために右手人差指を切り落としたことでも知られています。人差指なしには銃は使えません。日本風に言えば全共闘世代のような『386世代』の多くが同じことをしましたが、李氏は事故で指を切断したと説明しました。後に意図的な切断だったとわかったのです」
彼らが兵役を拒否する理由は、「米国の植民地の傀儡軍には入らない」というものだそうだ。
親北勢力が逆に強大化
忠清南道知事に当選した安熙正(アンヒジョン)氏は盧武鉉氏の「右腕」だった。
「盧武鉉氏の選挙戦で不法政治資金を集め、逮捕され有罪になったのです。盧氏が大統領になったとき赦免されました。こういう人物が、あちらでもこちらでも復権した。盧武鉉、金大中両政権の左翼的な勢力が蘇ったと、私は感じています」
天安沈没事件で、本来、弱体化すると思われた韓国内の親北勢力が逆に強大化するという不思議な結果が生まれたのだ。もう一点、見逃せないのは韓国軍機密情報が公開されてしまったことだ。
天安沈没の原因解明のプロセスで、同艦の構造、エンジン、搭載武器装備、人員などおよそ全てが公開された。本来機密であるべき情報の全公開は、20隻ある天安と同型艦の脆弱性を高める結果を生んだ。洪氏は、同じことが米軍に起きたと仮定して、米国はここまで情報公開するか疑問だと述べる。
「韓国軍には、北朝鮮に十分な警戒心を抱くというより、同情的な見方をする向きがあります。選挙の時期、現役の陸軍少将が、盧武鉉前政権時代の05~07年当時、彼が一つ星の階級だったときに、北朝鮮の工作員に、北朝鮮有事に対する韓米合同作戦『5027』の詳細を漏らしていたことが発覚しました。実名は非公開ですが、イニシャルはK、現階級は二つ星の師団長級(日本では陸将)です。彼は軍司令部の参謀長の地位にありました」
北朝鮮の衰退という現実の前で、韓国は内側から崩壊するのか。それほど北朝鮮の対南工作が成功したのかと考えこまざるを得ない選挙結果だった。