「 訴えるゴア元米副大統領 」
週刊『週刊新潮』 2007年4月5日号
[特集]日本ルネッサンス 第258回
映画「不都合な真実」が連日立ち見だそうだ。元米国副大統領のアル・ゴア氏が世に問うた同作品は、慈しみ合いのなかで、家族を形成してきたゴア家の物語と、人類の直面する環境問題を融合させた内容である。人間の欲望と身勝手ゆえに進んだ地球温暖化。たったいまから皆が生活を変えなければ、「将来世代に対して、破滅しかないような、小さな小さな未来しか残してやれなくなる」と訴える。現在の便利な生活を変えたくない人々にとって、それを変えなければならない理由となる゛不都合な真実〟に目を向けよと警告を発している。
他方、今年2月2日、「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の第4次報告書で、地球温暖化が人間の営みの結果であることが、初めて公式に確認された。゛不都合な真実〟を正式に受け入れた形だ。
IPCCでは2,500人の科学者や専門家が最新の知識と高い意識で、継続的に、地球を観察してきた。その結果、今世紀末、気温は20世紀末に比べて最大6.4度上昇するという悲観的な見通しを示した。1901年から2000年の100年間の気温上昇は0.64度。今世紀は10倍の上昇で、温暖化は凄まじく加速するというのだ。
だが人類が直面する環境の危機は、実はこれよりはるかに厳しい、と首都大学東京の西澤潤一学長は力説する。このままでは将来世代に「小さな未来」さえも残すことは出来なくなる。人類以下、植物系を除く全生物があっという間に死滅する、そしてその時期はわずか80年先でしかないと断言するのだ。
西澤氏と、共同研究者のエコシステム研究会代表で工学博士の上墅勛黄(うえのいさお)氏は、約80年で人類を滅亡に導く道を「悪魔のサイクル」と呼ぶ。
両氏は2000年、『人類は80年で滅亡する』(東洋経済新報社)を、05年には『「悪魔のサイクル」へ挑む』(同)を出版、地球温暖化を引き起こす二酸化炭素の急激な増加と、恐怖の結果について警告した。西澤氏が語る。
「地球環境の何が問題か。人々は温暖化や北極の氷がとけて水位が上昇するのを心配しています。これらのことに対しては、人類は技術的に対応出来ないわけではありません。しかし、一旦始まると手の打ちようがないのが二酸化炭素の増加です。人間は神の恩恵に甘えて勝手なことをやりすぎてきました。早急に策を講じなければ、いま大気の0.038%を占める二酸化炭素は間違いなく加速度的に増えます。濃度3%で人類は窒息死します」
二酸化炭素濃度は人間の健康をどのように蝕むのか。兵庫医科大学の吉永和正博士の研究によると、酸素濃度が12%以下になると、人間の生命は危機に陥る。ちなみに大気中の酸素濃度は21%だ。だが、酸素が20%としても、二酸化炭素が残り80%を占めるとき、犬なら1分間で呼吸が止まり、数分後に死亡する。酸素があっても二酸化炭素が一定量以上になると、生命は危険に晒されるのだ。
メタンハイドレートの恐怖
゛その時″は、80年後に訪れる
一方、30分間吸い続けても後遺症の残らない濃度を「脱出限界濃度」という。二酸化炭素の場合は5%だ。人間の場合、二酸化炭素濃度10%の空気を吸うと、耳鳴りや震えが起き、1分間で意識を失う。30%濃度では即座に意識不明となる(『「悪魔のサイクル」へ挑む』)。
では、二酸化炭素濃度が、脱出限界濃度の5%よりも低い3%であれば、大丈夫なのか。そうではないと上墅氏は言う。
「脱出限界濃度は、極めて限定された時間内のことです。脱出出来ない濃度3%の中で24時間暮らすとしたら、生き残りは不可能です。苦しみ続け、最後は悶え死ぬことになります」
西澤氏は、科学者こそが地球メカニズムを把握して、政府に迫り行動をとらせなければならない、残された時間は10年だと主張する。「無為に10年をすごせば、80年で人類は滅びます」と断言もする。
西澤氏の強調する不可逆の「悪魔のサイクル」とはなにか。鍵はメタンハイドレートだと上墅氏は言う。
「燃える氷」とも呼ばれるメタンハイドレートは海溝などの深海底に多く蓄積されている。日本近海の埋蔵量だけで、現在の日本の天然ガス使用量の約1,600年分に相当する。それがエネルギー資源として人類にとっての福音となるのか、破局を招く誘い水となるのかは、まだわからない。唯一明確なのは、大気中の二酸化炭素濃度削減の鍵がメタンハイドレートの崩壊防止にあるという点だ。
メタンハイドレートは、海洋中のメタン(CH4)が、水の分子に取り囲まれ凄まじい水圧で凝縮されてシャーベット状もしくはゼリー状に固まったものだ。メタンの地球温暖化効果は二酸化炭素に較べて実に24倍、恐るべき温暖化物質だ。大気中に36億トン、地中にはその3,000倍の量が眠るが、大気中の二酸化炭素濃度を上げないためには、地中や海中に閉じ込められているメタンを空気中に放出しないことが重要なのだ。
メタンハイドレートは圧力と温度に極めて敏感だ。圧力の減少や海水温の上昇でシャーベット状の固まりが一気に崩壊し、大気中に噴き出す。そこで水蒸気(H2O)と結びついて大量の二酸化炭素となる。
ところが海底深くメタンハイドレートを封じ込めている圧力はさまざまな人的要因或いは自然の動きで変化する。一例が海洋資源の開発に伴う掘削である。海洋資源の掘削がメタンハイドレート層を破り大爆発を引き起こした例は、20世紀だけで40件を超えると上墅氏は指摘する。
「暴風雨にも耐える強さの巨大なオイル・リグ(掘削装置)を、メタンハイドレートの爆発は容易に倒し、周囲を火の海にします。最深で海底2,000メートルに達する掘削は爆発を誘発する危険と背中合わせです」
地震もまた、メタンハイドレート崩壊の原因となる。日本海溝のみならず、周辺の海に大量のメタンハイドレートを蓄えている日本にとって重大事である。
「日本列島は4つのプレートに囲まれています。西日本を載せているユーラシア・プレート、東日本と北海道を載せる北米プレート、それらの下に潜り込んでいる太平洋プレートとフィリピン海プレートです。太平洋プレートは、ハワイから日本に向かって1年間に約8センチずつ、動いています。この複雑な地質構造ゆえに日本は世界有数の地震大国なのです」と上墅氏。
地震の発生が、メタンハイドレートの崩壊につながることは04年のスマトラ沖大地震でも確認された。JALと東北大学は高度1万メートル上空の二酸化炭素濃度を世界各地で毎日、測定しているが、スマトラ沖地震のとき、測定値が一気に増えていたのだ。
゛悪魔のサイクル″とは
メタンハイドレートの崩壊は海流の温度上昇によっても起きる。8,000年前、メキシコ湾暖流がノルウェー沖に流れ込んで起きた巨大な崩壊がその一例だ。このとき、大量のメタンが噴出し、凄まじい反応を引き起こした。海中には幾百ものクレーターが残り、大量の炭素ガスを放出した。その結果、気温は10年間で4度も上昇したのだ。
IPCCの報告書は、地球規模で人類が膨大な量の化石燃料を使い続ければ、今世紀末の気温は最大6.4度上昇すると警告した。ノルウェー沖の現象はわずか10年で4度も気温を押し上げた。メタンの温暖化効果が如何に凄まじいことか。
これらの事実を念頭に想像力を働かせてみる。日本周辺のメタンハイドレートの蓄積、地震大国、南海トラフ(溝)の近くに流れ込む暖流の黒潮。日本がとりわけ環境行政に力を入れなければならないゆえんである。上墅氏も厳しく警告する。
「南海トラフは震源地でもあります。地震か黒潮か。同地域でのメタンハイドレート崩壊の可能性を考えておくべきです。ノルウェー沖の二の舞が起これば日本発の急激な温暖化が進行することになります」
温暖化と大気中の二酸化炭素濃度の上昇は、あざなえる縄のように切りはなせない。温暖化は「悪魔のサイクル」の結果であり原因でもある。その相互関係は海流の変化からも読みとれる。
海水は2,000年という長い時間をかけて、地球をひと回りする。海流の旅は北大西洋が起点である。冷たい北大西洋の海では、海水から氷山が出来る。氷は真水でなければ出来ないため、塩分やミネラルは海水中に全て排出される。比重が重くなった海水は海中に巨大な滝を作り4,000メートル下まで流れ込む。これを沈み込みというが、沈み込んだ滝は、海底の豊富なプランクトンを含んだ水を押し上げ、魚類を養う。こうして壮大かつ悠然たる深層海流は地球を巡るのだ。沈み込んだ深層海流は温度が低く、大量の二酸化炭素を含む。二酸化炭素は、温度が低ければ低いほど水に溶けるからだ。深層海流は懐深く二酸化炭素を抱いたまま、2,000年の旅を続けるわけだ。
大気圏には約7400億トンの炭素がある。海には約47倍、34兆9,000億トン余りが貯えられている。海洋は桁違いの量の二酸化炭素を吸収しているのだ。人間は日々化石燃料を燃やして凄まじい量の二酸化炭素を排出しているが、それらは大気圏や陸地にとどまるより、懐深い海に吸収されていたのだ。
ところが温暖化で海洋水が凍るどころか、氷河も溶け出すいま、海流の温度は下がらない。二酸化炭素の溶け込みも減少する。深層海流が二酸化炭素を引き受けていたのが、大量の二酸化炭素が大気中に残り始めているのだ。水温が1度上昇すると、海洋中の二酸化炭素、100億トンが大気圏に放出される。
「ラムネの栓を一気に抜いた状態を想像すればいいでしょう。海水から一斉に噴出すると思われます。我々の言う悪魔のサイクルの始まりです」(上墅氏)
地球面積の約70%を占める海が一斉に二酸化炭素を放出するのだ。「あっという間」に濃度3%に達し、人類は滅びていく。炭酸ガスが多くても生き残ることの出来る植物系の生物が人間にとって代わる瞬間だ。
人類は何をすべきか
高い二酸化炭素濃度は植物の育成に好都合だ。巨大植物群が出現する太古の昔に逆戻りするのだ。
過去6億年間で、生物は5回絶滅した。いま人類が直面するのは6回目の危機だ。魚類から両生類が生まれ陸地に上がった古生代から、恐竜や裸子植物全盛の中生代に変わるときにおきた絶滅と同じ状況だと上墅氏はいう。氏は5億7,000万年前から6,500万年前までの間に起きた生物の絶滅の危機と、現代の危機を重ね合わせながら語る。
「原因はメタンハイドレートの崩壊です。但し、あのときは微生物がメタンを食べて崩壊させた。サッカーボールのようにメタンハイドレートの形で140分の1に圧縮され凝縮されていたメタンが、微生物に食べられて崩壊し、二酸化炭素になった。大気中の二酸化炭素濃度が高まり温暖化が発生、多くの生物が絶滅した。生き残ったのは高濃度の二酸化炭素でも生きられる生物だけ。その太古の原始的生物の子孫が私たち人類です」
ゲノムの研究によって、ヒトとマウスの遺伝子は99%、同じだと判明している。両者は7,500万年ほど前に、小型のラットほどの真獣類から枝分かれして別々の進化の道を辿った。外見はネズミのような、人類の遠い遠い祖先は、メタンハイドレートの崩壊で激変した地球環境を雄々しく生き抜いたわけだ。しかし、7,500万年もかけて現在の形に到達した人類が、再び、゛あの時〟の微生物のように、メタンハイドレートを崩壊させ、その結果悶え死ぬとしたら、なんと愚かなことか。
そうでなくとも私たちは大きな枠組みでの人類と地球の運命を知ってしまっている。地球誕生から46億年がすぎ、あと46億年で地球は太陽に呑み込まれる。愛しいもの全てが影も形もなくなり、地球は超新星のように強い輝きを放ちながら消滅する宿命だ。けれど、あと9億年で太陽がエネルギーを現在の2割分、余計に放出し始めることもわかってきた。すると、地球上の水は全て蒸発して水素と酸素になり、生物は一切、生きられなくなる。それでも、あと9億年ある。それをなぜ、100年も生きられないような暮らしをするのか、と西澤、上墅両氏は問う。なんとしてでも、大気中の二酸化炭素濃度の上昇を防ぐことに、最大の力を注がなければならないのだ。