「 二度の北朝鮮工作船への対応にみる日本の過剰な自己規制 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年1月19日号
オピニオン縦横無尽 429回
考え方や感じ方が変化していくときに、その変化のなかから成功の果実を生み出していくには、仕組みそのものを変えていく作業が必要だ。制度や法律の改革があって初めて、価値観の変化は本物となる。
昨年末の奄美大島沖での北朝鮮の工作船事件は、日本の海の安全と国民の安全のためには、日本は行動するという気持ちを示したものだ。しかし、よくみると、1999年に能登半島沖で北朝鮮の工作船を取り逃がしたときと、大きな差はないと専門家は指摘する。
この指摘を意外だととらえる人も多いことだろう。なぜなら、前回は、工作船は悠々と逃走し、今回は沈んでしまったのであるから、その差は大きいとみえるからだ。にもかかわらず前回とあまり違わないという理由は、通常の国がとるであろう行動に較べて、今回海上保安庁がとった行動は、相手の船の人間に危害を及ぼさないという前提を守った、きわめて自制したものだったからだ。海保の最初の射撃は船体前部に向けられており、これは、この部分にはあまり人間がいないという前提で、船を停(と)めることを狙ったものだった。接近し、相手方から撃たれて初めて正当防衛で海保も応戦した。
能登半島沖での工作船事件後、海保は怪しい船を見つけても相手に危害を与えるような攻撃はしてはならないという法律は改正された。合理的に必要と判断される場合は武器使用、つまり相手に危害を与えてもよいとされた。
今回、工作船の発見が領海内でなく排他的経済水域であったために、海保は、相手方から攻撃されるまでは、危害を与えるような攻撃はしなかった。この点で、前回と大きな差は、じつはないのだと専門家は解説する。武力行使に慎重なのは、もちろんよいことである。だが、通常の国の通常の行動パターンに従えば、停船命令を無視する船に武力行使を行なっても少しも不思議ではない。なぜ、海保は、正当防衛の段階までそれをしなかったか。
背景には内閣法制局の考え方がある。法制局は、たとえ国際法で認められていても、国内法的裏づけがなければ行動を起こしてはならないという立場だ。国際法だけでの縛りでは、日本は信頼できないから、もっときつく縛る必要があると自らを貶める考え方だ。改正された法律には領海内での規定はあるが排他的経済水域での規定がない。つまり海保が行動したくても国内法による裏づけや根拠がなかったのだ。だから海保は動けなかった。したがって、もし相手の船が発砲せず、ひたすら逃げていれば、今回も、臨検さえできず取り逃がした可能性はある。
国際法をきちんと尊重することだけで、なぜ、不十分なのだろうか。内閣法制局にはかつての高陞号(こうしようごう)をめぐる日英中の動きを学んでほしいものだ。
1894年、7月25日、日本の軍艦浪速が、英国旗を掲げた運送船高陞号と豊島沖で遭遇した。日清両国の海戦の場である。浪速は高陞号を撃沈し、英国は烈しく日本を非難した。しかし、ここから先が英国の英国らしさであり、当時の日本の日本らしさだった。双方とも詳しく調査して判明したのは、日本が見事なまでに国際法を遵守していたという事実だった。
浪速はたびたび信号を発して高陞号に停船を命じたが応答もない。そこで浪速は船内の人びとに脱出の機会を与えたのち砲撃を開始した。船内には清国の軍人1100人が乗っており、この船は商船を装った軍用船だったことも判明した。国際法のどこにも違反していなかった日本の対応に、英国外相キムバレーは日本に賠償を求めるのは不可能だと船会社に勧告したほどだ。
私たちは戦後50年あまりを、自らを信ずることなく過ごしてきた。それがどの国よりも厳しい自己規制の法律だ。だが、歴史を振りかえれば、国際法を遵守し世界の信頼を得た時もあった。今、それができないはずはない。