「 『尖閣』のために沖縄『下地島空港』が必要だ 」
『週刊新潮』 '05年6月30日号
日本ルネッサンス 拡大版 第171回
沖縄といえば、基地の街、反戦反基地の印象が強い。しかし、その沖縄でいま、微妙な変化が生じつつある。基地の過重負担は絶対に受け容れられないが、国際社会に生れた新しい潮流をとらえ、沖縄の将来展望を描きたいという意識である。政府が合理的な国防計画を示し、日米両国の在沖縄軍事力が総体として減少するのなら、沖縄は自衛隊の駐屯をより大きな規模で受け容れることも可能とする考えだ。後に詳述する下地島空港への自衛隊の駐留も前向きに考えられるというのだ。
だが、昨年12月、稲嶺惠一知事は、私の取材に対し、下地島の自衛隊使用は「絶対に反対です」と明言した。沖縄県の真意ははたしてどこにあるのか。方針転換はなされたのか。方針が変わったとすれば、それはなぜなのか。また、下地島空港の活用は、東シナ海で増大する中国の脅威に対してどのような戦略上の意味を持つのか。6月上旬、改めて沖縄を訪ね、下地島を見てきた。
沖縄本島から南西に300キロ、20分余り飛ぶと宮古(みやこ)島がある。同島から北西に4キロ、フェリーで15分の所に伊良部(いらぶ)島がある。
伊良部島は下地島と隣接しており、2つの島が伊良部町を構成する。人口6,800人余の、美しいこの町が注目を集めるのは、下地島空港にある3,000メートルの滑走路だ。
小さな町には不釣合な程立派な滑走路は、79年に完成した。軍事利用を嫌う沖縄県の強い反対で、民間目的以外には使用しないとの覚え書きが国と交わされ、日本唯一の民間航空パイロットの訓練飛行場となった。が、パイロットの訓練にはコンピュータによるシミュレーションが導入され、下地島の滑走路はその利用価値を低下させてきた。訪れた日、滑走路には人影もなく、静まりかえっていた。
下地島とは目と鼻の距離にある尖閣諸島周辺海域には、今年1月、中国海軍の最新鋭ソブレメンヌイ級のミサイル駆逐艦が遊弋(ゆうよく)した。6月21日には台湾もフリゲート鑑「鳳陽」を派遣した。尖閣諸島海域の資源をめぐって日台中3カ国の緊張は、いまこの瞬間も続いている。
緊張の海を眼前にする下地島の安全保障上の価値をどう判断すべきか。政府関係者は意外なことを述べた。
「下地島は沖縄本島から300キロ離れており、米海兵隊のCN46ヘリは航続距離が250キロ程です。辿りつけない。したがって在日米軍も米空軍もあまり興味をもっていない。日本の海自にとってはP3C哨戒機の中継基地としての価値がありますが、戦術的には必ずしも、ベストではありません」
一方、同島の重要性を軽視してはならないと説くのは、杏林大学総合政策学部教授の平松茂雄氏だ。
「沖縄から尖閣諸島への距離と中国・福建省から尖閣諸島への距離は大体400キロで同じですが、現状は圧倒的に日本不利です。那覇の自衛隊に配備されているのはF4ファントム、中国はスホーイ(SU)27戦闘機やSU37戦闘機を配備しています。日本のF4戦闘機は尖閣諸島まで飛べるけれど、わずかな時間しか滞空出来ない。中国の戦闘機は十分に尖閣諸島を制空出来る能力があります」
尖閣諸島に最も近い所に基地をもつのは台湾である。石垣島─尖閣諸島間の距離は台湾─尖閣諸島間とほぼ同じだ。日本にとって石垣島に航空自衛隊の基地を設けるのが、領土領海を守るためには最善だが、それが無理なら下地島の空港の活用でかなり有利な立場に立てると平松教授は指摘した。
下地島空港への評価は人によって異なっても、同島の地理的位置が日本の領土保全に有用であるのは間違いない。また、当の下地島、伊良部町にとっては、死活的な意味がある。
失われた国としての視点
現在同空港では年間約1,000時間の飛行訓練が行われているが、日数に換算すると約100日から150日の利用となる。つまり年に200日は利用されていないのだ。伊良部町には約3億円の赤字があり、財政は厳しい。経済振興策が必要で空港活用には大きな意味がある。こうして自衛隊誘致の動きが生れてきたのだ。
しかし、町議会で展開された自衛隊誘致の動きは結果として頓挫した。顛末を今年5月25日「消えた自衛隊誘致 小さな島の選択」という番組で琉球放送が報じた。話を統合すると、小さな町の大きな混乱は3月16日の伊良部町議会で表面化した。下地島空港への自衛隊誘致の決議案が9対8で可決されたのだ。その2日後、同町議会は再び、進行していた宮古地域6市町村の合併協議からの離脱を決議、可決した。民間企業の誘致が難しいなかで、彼らは自衛隊誘致による町の経済発展に賭けたといえる。合併すれば他の自治体の反対で、自衛隊誘致が難しくなると判断したのだ。
ところが、一連の動きは住民への十分な説明なしに行われた。反対派の住民の怒りは大きく、3月24日、町民集会が開かれた。琉球放送は住民6,800人余の半分以上の3,500人が集まったと伝えている。集会には18人の町議全員が参加したが、自衛隊誘致に動いた町議らが糾弾された。彼らは、全ては島の安全と町の財政安定のためであると訴えた。災害時には自衛隊は命がけで救助活動をやってきた、伊良部町は自衛隊反対の気持は強くはない、むしろ誘致によって振興策が期待されると説明した。
だが、住民らは納得せず、遂に、自衛隊誘致も、市町村合併離脱も、白紙撤回するとの結論が打ち出された。
地元の琉球放送は、一連の動きの背景に本土勢力が存在すると伝えたが、自衛隊誘致の試みはそれだけでは説明出来ない。事情は複雑なのだ。たとえば、伊良部町の浜川健町長は、4年前、自ら自衛隊誘致を国に要請した人物だ。町議会は当時全会一致で誘致を要請した。だが国は動かず、要請は宙に浮いたまま4年がすぎ、町長もすでに反対の立場に変わった。
振興策と基地問題が複雑に絡み合い、その時々の状況で人々の考えも立場も変わると見なければならない。そして何よりも沖縄には基地の重い負担を引き受けてきた歴史がある。その負担が心に刻まれている。今、伊良部町に行ってみると、市町村合併に伴って行われる10月1日の首長選挙で話題はもちきりである。テーマは財政であり、振興策である。東シナ海、日本の領土領海の安全に関して重要な意味をもつ下地島空港の問題は、伊良部町の手を離れ、市町村合併の結果生まれる新自治体の課題となるかに見える。
沖縄県副知事の牧野浩隆氏は、下地島空港の一件は、ひとり伊良部町だけの問題ではあり得ず沖縄県の問題だと明言する。
「いま、米国の戦略が変わりつつあります。米軍再編は、沖縄駐留の米軍の規模の縮小につながります。我々は日米安保に反対でも、基地の過重負担を問題にしているのです。だから自衛隊と米軍の軍事力が総体で減っていくことが重要です。米軍削減のあとを自衛隊が補完し、結果として軍事基地の規模が縮小していくのであれば、理解出来ます」
イデオロギーの呪縛
県の政策参与、比嘉良彦氏も語った。
「米軍再編を支える合理主義を日本もとりいれればよいのです。一番よいのは、7年とか10年の単位で米軍を自衛隊に置きかえることです。我々は日米安保を否定しません。米軍には有時に展開してもらう有事駐留でよいのではないかと考えます」
日米安保条約に反対しないとは言いながら、事実上の日米安保条約否定論ともとれる。少なくとも、そのように解釈されかねない。それはまた、日本の軍事力の飛躍的な増強にもつながりかねない。
この考えが、ただの観測気球ではないことは5月11日の稲嶺惠一知事の講演からも窺える。知事は後援会主催の「県政フォーラム」で米軍再編に関する協議は第二段階を迎えていること、自衛隊と米軍の組み合わせの中で米軍削減に伴って自衛隊による肩代わりの論議が浮上すると公の席で語ったのだ。
比嘉参与が説明した。
「これまでの沖縄の議論は全て後ろ向きの色彩を帯びざるを得ませんでした。自衛隊や基地についての前向きの考えはありません」
どれ程本音で語っても、基地についての沖縄の人々の前向きな考えは、暗黙の了解をもって表現されるところでとどまる“基地はいいよ”とはどうしても言えない状況が続いてきた。
だが、事情は変わったというのだ。牧野副知事が補った。
「たとえば下地島です。政府との合意では、同空港の使い方は“沖縄県が決める”となっています。県民の総意としての決断を知事が下す。地域の発展に本当に資すると判断すれば、県がそのように決めればよいだけなのです」
牧野副知事はこうも語る。
「イデオロギー抜きならば、下地島の飛行場は普天間の現状より安全です。伊良部島があり、そこから突き出た下地島は、ずっと安全なはずです」
下地島は海の中に突き出た島である上に、住民はいない。下地島の土地は全て沖縄県の所有であり、伊良部町の住民は本土から行った空港施設関係者らごく一部を除き、全員伊良部島に住んでいる。イデオロギー抜きで考えれば、下地島は宜野湾のまん中に基地を擁し続けるよりはるかに安全で合理的だとわかる。だからこそ、比嘉参与は、10月に予定されている下地島を含む同地域の選挙では、下地島空港問題を沖縄全体の安全保障の一部と位置づけて住民に問うことが大事だと言う。比嘉参与が強調した。
「イデオロギーに縛られている限り、下地島空港に自衛隊を誘致することや、それによって日米安保全体を沖縄も受け容れやすくなるなどという政策を公約には出来ない。そんなことを言えば選挙に負けると一般的に思いこんでいるのです。
しかし、選挙故にこの問題をタブーにして、選挙後に自衛隊誘致をまた持ち出したりすれば、それこそ住民への裏切りです。必要ならば、大きなビジョンの中で、真正面からこの問題を政策で問うていく決意が必要です」
問題は、いかにしてイデオロギーを乗り越えるかである。沖縄県民のイデオロギーの問題のみならず、政府と沖縄県が相互の信頼をどう築いていくかである。
今、選択すべきは何か
稲嶺知事に対する政府の信頼はどうみても厚いとは言えない。むしろ、普天間の基地を沖縄本島北部の辺野古に移転するとの公約を掲げて選挙を戦い、知事に当選したにもかかわらず、現在に至るまで、移転は行われていない。その間、政府は、移転の見返りの意味をこめて、他の県に対するよりも沖縄の産業振興に力を尽した。にもかかわらず、事態は動いていないという思いがある。
このような見方は、政府のみならず、先述の稲嶺氏の後援会が主催した知事の講演会でも質問の形で表現された。稲嶺氏を支えているはずの後援会のメンバーでさえ次のように激しく問うたのた。
「(基地の)辺野古移転をやるということで県民の信任を受けたわけですからどうあろうと、進める方向の方がよい」。さらにこの人物は、移転を進めてこなかった知事に対し、「君子は偽りの言葉なし、論言汗の如し」などと、迫っている。
6年前、沖縄は普天間の県内移転を軍民共用等を前提に受け容れた。今、100社を超える企業が誘致された。無論、経済が全てではないが、基地とのバランスを保つことによって経済を発展させてきたことも事実である。経済の安定から沖縄の安定が生まれることを政府は理解しなければならないが、沖縄に対しては、より根源的な説明が必要だ。
内閣府関係者が語る。
「米軍再編によって、在日米軍の規模が縮小されることもあります。しかし、私たちは中国、北朝鮮の脅威を軽視するわけにはいきません。在韓米軍の一部兵力削減や司令部機構を38度線の後方に移すことは、朝鮮半島での米軍の力が、若干弱まることを意味します。加えて、最近顕著になってきた中国の覇権国家的な行動に、米国は敏感です。中国を念頭に置けば、沖縄米軍基地を縮小するにしても、抑止力は強化しなければならない。沖縄の重要性は高いのです」
小泉首相は、基地問題を日本全体で負担する方策を考えると述べた。日本と沖縄の安全保障のために、その言葉の実行が必要だ。
だからこそ下地島や伊良部町で展開される混乱を、政府は軽視してはならないのだ。沖縄の振興をはかりつつ、沖縄ひとりに基地を負担させる状況を改める行動が必要だ。混乱は政府の国防政策の欠如から生まれているからだ。日本が問題を放置してきた間に中国は軍事力を増強した。台湾海峡の軍事バランスが中国有利に傾くのは早ければ2010年と見られている。近い将来、東シナ海の軍事バランスが劇的に変わる可能性は極めて高い。政府は、米軍再編の波を捉え、日米安保が真に効率的に機能する体制を築かなければならない。下地島への自衛隊の展開は、日本の安全保障を総合的に構築する第一歩だ。日米安保の全体像のなかでの下地島の位置づけを明確に示すことが出来て、はじめて下地島の自衛隊配備がまともに議論されるだろう。