「 サッカーくじ『toto』なぜ文部科学省の所轄なのか 」
『週刊新潮』 2001年6月7日号
櫻井よしこ告発シリーズ 第5回
サッカーくじ“toto”が始まった。所管官庁の文部科学省はこれを“スポーツ振興投票”と呼ぶが、“toto”はイタリアのトトカルチョから名前をとったように、歴としたギャンブルである。
サッカーくじの導入は、文部科学省が、自らが所管する特殊法人を通じて、従来はアマチュアスポーツの分野にとどめていた活動をギャンブルの胴元としてプロスポーツ界に広げたこと、また、従来は8億円ほどにとどまっていたスポーツ助成金の数十倍にのぼる金脈を手に入れたことを意味する。
文部科学省の意図を体現するのは特殊法人「日本体育・学校健康センター」である。同センターが直接の胴元となったサッカーくじは、現在6200カ所の売り場で、毎回平均28億円を売り上げている。今年度の目標は812億円、今年末までに売り場は9000カ所にふえる。
仕組みは、まず、Jリーグの公式試合の中から、胴元のセンターが13試合を指定、くじを買う人は、各試合の勝ち、負け、引き分けを予想、マークシートに予想を記入し販売店で投票するものだ。1口100円である。
全試合結果が的中すれば1等、1試合はずれると2等、2試合はずれると3等となり、各々の等級ごとに、当選金を分配する。但し、1等の最高額は1億円止まりである。
こうしてすでに7名が1億円を手にしたが、正解者が多ければ当選賞金は当然のことながら、少なくなる。今年3月から5月まで12回行われた実績でみると、1等賞金で最も少額だったのは第12回くじの2万2290円である。
センターのスポーツ振興投票部門の田村幸男氏が語った。「投票部長」という耳慣れない肩書きは彼がサッカーくじの直接担当者であることを示している。
「初年度の売り上げ目標は812億円です。ただ将来は2000億円が目標です。宝くじは年間9000億円、私どもは2000億円ぐらいで、スポーツ振興に457億円を期待しています」
サッカーくじは、実はファンへの賞金還元率が、競馬などに較べて低い。払戻金は競馬・競輪とも75%なのに較べて、サッカーくじは50%だ。この点を問うと田村投票部長は強い口調で答えた。
「だけどもね、テラ銭取るのが目的でやってるんですから。そういう収益をあげる目的でやっているわけですから。そこは譲りません。払い戻し率を75(%)にして売るくらいなら、もうやめたらいいんです。何のためにみんなが死ぬ思いをしてやっているのか・・・」
「もうやめたらいい」「そこは譲りません」「死ぬ思い」などという氏の言葉と語気の強さには、後に詳述するある事情が反映するのではないかと思わず推測したが、その前に、特殊法人としての同センターの複雑不合理な足跡を見てみよう。
第2臨調の第4部会長として特殊法人問題を手がけた加藤寛・千葉商科大学学長が語った。
「官僚は特殊法人の整理については全部反対でした。中でも我々が立腹したのが文部省でした。特殊法人の整理を、いくら言われてもやろうとしない。で、最後に出してきたのが日本学校健康会と国立競技場の合併案でした」
日本学校健康会は学校給食を手がける特殊法人である。なぜ給食と、世界のアマチュアやプロの一流選手が競技したり、サッカーやラグビーなどの試合に提供する施設を運営する特殊法人が合体しなければならないのか。加藤学長が笑って語った。
「我々も合併の理由を問い質したのです。すると文部官僚は、国立競技場で運動すればお腹がすくという意味のことを言いました」
こうして1986年に日本学校健康会と国立競技場が統合して、「日本体育・学校健康センター」が設立された。それでも文部科学省が傘下におさめる特殊法人の数は12、国土交通省の次に多く、同省の意外な側面を見せてくれる。
日本体育・学校健康センターも業務内容を拡大していった。90年にはスポーツ振興基金を傘下に設立、99年にはサッカーくじの直接担当部署・スポーツ振興投票部を、2001年には国立スポーツ科学センターも設置した。
今やセンターの業務内容は、学校給食、学校内での事故等への共済制度、サッカーくじ、スポーツ振興、スポーツ科学の研究、国立競技場の運営と幅広い。だが、この種の業務を、特殊法人としてのセンターが担う必要はあるのか。
衰退した「給食利権」
実はセンターの使命はすでに終わりかけていたのだ。サッカーくじ導入前のセンターの主たる仕事は学校給食事業だったが、同事業自体が時代遅れになっていた。行革問題に詳しい評論家の屋山太郎氏が語った。
「学校給食は当初、各省学校が文部省から補助金と物資の割当てを受けて、自校方式で賄っていたのです。これは戦後まもなくのことで、まだ食糧難の影をひきずっていた時代のことです。
1955年に日本学校給食会が設立され、ここが小麦、米、脱脂粉乳、牛肉の4品目を一手に扱いました。4品目を指定物資として、一括購入し全国の学校に卸したのです。それだけでは足りずに、チーズ、油、砂糖、サバの缶詰、トマトケチャップ、ジャムなど21品目も同様に一括購入しました。これを彼らは文部大臣の承認が必要なことから承認物資と呼びました」
日本学校給食会1982年に日本学校安全会と合併して日本学校健康会となった。これが国立競技場と再合併してサッカーくじの胴元、日本体育・学校健康センターになったことはすでに述べた。
屋山氏が説明した。
「彼らは給食物資の一括購入という社会主義統制経済を実施しただけでなく、給食の調理にまで踏み込みました。それまで各学校が工夫し自由に調理していたのが、2~3校分まとめて調理する方が効率的だとして給食センター方式を確立し、文部省の傘下においたのです。当時、多くの学校がこの方式を取り入れました。組織が出来ていくと各学校で昼食だけをつくるパートの職員ですんでいたのが、給食センターの職員はフルタイムの地方公務員となりました。センターには所長も必要となり、学校の校長などが天下りました。文部行政全体の天下り構造が出来ていったのです。そして90年には調理員8万6000人、栄養職1万2000人で10万人が給食に携わるようになりました。年収500万円として、5000億円の人件費です。また、センター一括購入の食品資材は5000億円と推測されましたから、1兆円のお金が給食をめぐって回ったのです」
田村幸男・投票部長が反論した。
「承認物資の取り扱いは98年にすでにやめました。指定物資のうちお米は昨年度、指定を外しました」
この流通革命の時代に、米はなんと、昨年度まで、その他の指定物資はまだ、政府の統制経済の枠の中だというのだ。この事自体、大きな驚きである。田村氏は米は割引き価格で購入していたから安いのだと強調したが、農林水産省から物資に対する補助金が出されており、その分は、税金の形で私たちが負担しているにすぎない。全国一律に特定の食糧物資を使わせること自体、気候と農産物の多様性に富んでいる日本の実情を無視するものだ。にもかかわらず、田村部長は語る。
「学校給食に関して我々の果たしている役割は、物資の供給に加えてより内容のある学校給食の情報発信です」
特殊法人としてのセンターが、学校給食について一体、どんな情報を発信しているのだろうか。田村部長だ。
「カフェテリア方式で給食を出すとか。または栄養を偏らせないメニューの実例を、例えば北海道での工夫の話を九州の人はわからない。それで研究会を一杯作ってそういう情報の流通をやっています」
いかにも苦しい説明である。
カフェテリア方式がどれだけ重要情報か。北海道の調理の工夫は、北海道の風土と食材を反映させたものだ。北海道のメニューを九州や沖縄にそのまま持っていこうとする発想もおかしい。そのための研究会を「一杯つくる」ことなど金輪際してほしくない。
同センターの仕事量がどれだけ減っていたか。例えば90年度の物資売渡し、つまり承認物資や指定物資の売渡しは約335億円だった。これが承認物資を全廃したあとの99年度には150億円に減った。内約90億円はコメである。昨年度からそのコメの取り扱いもやめたので、単純計算すればセンターの取り扱い高は60億円に落ちる。センターの役割縮小は数字の上からも明らかだった。
学校給食におけるセンターの役割は残されていると主張する田村氏でさえも、興味深い事実を述べた。給食部の人材を、いま、サッカーくじの方に移しているというのだ。
「サッカーくじには今、20名の職員がいますが、3分の1以上は給食部からです」
理事の都賀善信氏も述べた。
「学校給食には、はじめ50人くらいいました。今、主たる仕事は普及事業と衛生管理です。徐々に組織を変えてきているのです」
彼らも学校給食で彼らの果たすべき役割が消滅しつつあることを実感しているのだ。役割を失い、存在意義をなくした組織は消えていくべきだ。しかし、官僚たちは決して既得権益を手放そうとしない。そして彼らの“頭のよさ”は、利権の確立となると数倍シャープさをます。サッカーくじについての驚く程の深謀遠慮がその例だ。
暗躍する文部官僚
サッカーくじに至るスポーツ振興の方向性を作ったのは、中曽根康弘元首相だという。83年、氏は私的諮問機関としてスポーツ振興懇談会を組織、政府と民間が各々500億円を出資、計1000億円の基金を作ろうとした。
スポーツ立国を目指した同構想は、しかし、政府出資金250億、民間からは44億円の計294億円に縮小されてスタートした。これが現在のスポーツ振興基金である。300億円に欠ける基金は、5%の金利で運用すれば約15億円の利益を生み出す。しかし、実質ゼロ金利のここ数年間、基金の生み出すお金も大幅に減少してきた。文部省としては、新しい財源をどこで作り出すかが工夫のしどころだった。サッカーくじ誕生までの動きを仔細にみると、表面には出てこないものの、新財源を求める文部省が、背後で実質的にくじ法案を作ったことが見えてくる。
『日の丸とオリンピック』(文芸春秋)の著者でスポーツジャーナリストの谷口源太郎氏は、「サッカーくじの陰の仕掛け人は文部省」と断じた。
「サッカーくじは、1992年1月末に、日本オリンピック委員会(JOC)の古橋広之進会長と日本体育協会(体協)の青木半治会長が当時の宮沢首相らに要望書を提出したことから始まったとされています。
要望書にはスポーツくじの実現はJOCや体協の“総意”と書かれています。しかし、両機関ともに、それまで、一度もサッカーくじについて議論も検討も、決議したこともありません。それどころか、JOCは消極的でさえありました。すでに彼らは国庫補助金をもらっていたからです」
にもかかわらず、古橋氏らがサッカーくじ実現を国会に陳情したのは「当然、文部省から指令が来た」からだというのだ。谷口氏が語る。
「文部省はサッカーくじ導入について表面的には自分たちは旗は振らない姿勢でした。文部省がギャンブルの胴元になってよいのかという批判を恐れていたからです」
現にこの批判は国会で現実となった。教育を司る役所がギャンブルを仕掛けることへの反対は強く、法案はなかなか提出されなかった。提出されたと思えば野党の反対に遭って継続審議となり、ようやく6年を経て6回目のトライで98年に成立したのだ。
「一方で、文部省には自由になるお金が少ない。スポーツ振興基金も結局はわずかな金額しか動かせません。権益の大きさに関しては振興基金とは較べるべくもないサッカーくじに、大きな魅力を文部省は感じ、じっと待ったと思います。そして、元来プロスポーツには殆ど関わってこなかった文部省が、Jリーグ発ォの頃になって、体育局内にプロスポーツの専門官を置きました」
サッカーくじ導入に文部省が大きな役割を果たしたことは『朝日新聞』も報じた。編集委員(当時)の大高宏元氏は97年5月2日夕刊のコラム『スポーツマインド』で、JOCの古橋会長らに「文部省から『明日、文相や国会に、サッカーくじ実施の陳情に出向いてほしい』との呼び出しがかかった」と報じ、法案作りに関わった文部省OBの「バクチじゃなく、宝くじに近い一種の寄付的行為だと仕立てるのに苦労した」とのコメントを報じている。くじ導入の陳情は、確かに文部省側から古橋氏らに促されたものなのだ。
また、事情通の新聞記者は、文部官僚と文教族議員らは協力して練り上げた案を、直前までひた隠しにしていて、何も知らなかった古橋氏らに突然、表舞台に躍り出て要望せよと押しつけたと語った。文部官僚と文教族の利権を狙うタッグマッチが透視される。
事実、94年6月7日の『朝日新聞』に、森喜朗首相は「Jリーグが始まる5年ぐらい前から、サッカーくじについてひそかに研究していた」と語っている。80年代には、くじ導入の準備は文教族間では始まっていたのだ。
一方、文部省は早くも89年と91年の2回、職員をイタリアに派遣してトトカルチョの仕組みを研究、周到に導入を前提とした調査を始めていた。
90年当時、文部省体育局競技スポーツ課長だった向井正剛氏が語った。
「90年頃と思います。Jリーグの立ち上げのときに、日本サッカー協会が所管である私を訪ねてきて、トトカルチョに話題が及びました。私は、サッカー協会単独の要望ではなく、スポーツ界の総意として、スポーツ振興のためにということで陳情した方がよいとアドバイスしました」
大義名分は、スポーツ振興という美しい目標に置き、自分たちは決して表には立たない文部省の方針がここでも確認される。
先の新聞記者が説明した。
「表立った動きをしたのはスポーツ議員連盟です。江本盂紀、釜本邦茂、橋本聖子、旭道山らの議員諸氏は積極的に動き、議員立法の形で法案を提出し、可決していきました。しかし、実態は法案の中身から全て、官主導です。これが、どれ程、官僚たちの思惑に沿って融通無碍に巨額の資金を動かしていくことが出来る内容か、スポーツ議連の面々は理解していないと思います」
サッカーくじの法律には、政令や法令で定めるという項目が20もある。法律に担当官僚の自由裁量の余地を大幅に残したのだ。文部省と文教族議員の利権もまた拡大されたわけだ。
先の記者は、こうした巨大な利権構造の構築に文部官僚OBの果たした役割は大きいと強調し、古村澄一氏の名前をあげた。
古村氏は、文部省体育局長を経て、89年に退官、日本体育・学校保健センター理事長のポストに天下った。氏は異例の4期8年を務めたが、氏の理事長在任期間は、サッカーくじ検討の当初段階から法案審議を経て成立までの期間と一致する。
当の古村氏はこれを全面否定した。
「熱心だったのは体協やJOCです。私が裏で動いたことなど全然ありません。文部省がお膳立てしたというのも違うと思います。ただ、鉄砲の撃ち方を教えてやったのではないでしょうか」
当時、日本はメダル獲得数が減っていた。82年のニューデリーでのアジア競技大会では中国に抜かれて金メダル数2位、86年のソウル大会では韓国にも抜かれて3位に転落。メダル獲得のための選手の強化育成資金がJOCは喉から手が出る程に欲しかった。
古村氏はその点を指摘し、文部省やセンターにとってサッカーくじは自らが望んだ仕事では決してないと強調した。
だが、古村氏が異例の長きにわたって務めたセンターに、サッカーくじが割り振られたのも事実である。ここには全く何の関係もないのだろうか。
スポーツ振興という「美名」
サッカーくじは、本当にスポーツ振興に役立つのか。その役割は特殊法人のものなのか。言うまでもないが、彼らは、仕事は民間企業に丸投げし、その上に安住するのだ。
また、くじでは売り上げ金の50%が払い戻され、15%が経費として使われる。残り35%を財務省、地方自治体、スポーツ団体で3等分する。つまりセンターが配分するのは全売上高の11.7%である。スポーツ振興と言いながら、これで本当にスポーツ振興なのか。また、配分先はこれから外部の人材で構成する審議委員会が決めるという。とりあえず、お金だけを先に集めているわけだ。最終売り上げ2000億円を目指す団体としてはいい加減すぎないか。
スポーツ議連の参議院議員、釜本邦茂氏が語った。
「サッカーくじ実施の透明性と公平性の確保はとても大事です。分配も国会が厳重に監視していくべきです。
運営に特殊法人が関わること自体は、文部省が具体的な実施方法として考えることであって我々が考えることではないんじゃないか」
江本盂紀参議院議員も楽観的だ。
「どこが運営するのか、我々議員はあまり議論しなかった。特殊法人がどんなものかも勉強していなかった」
江本議員は、くじを担当するのにセンター以外、出来るところはなく、センターが不正を働くこともないと思うと述べた。だが、センターの中にあるスポーツ振興基金の不正受給問題が明らかになったのはつい昨年のことだ。ライフル射撃協会や重量挙げ協会の不正受給問題が表面化し、それをきっかけに内部調査をしたところ、20団体に不正が明らかになった。
谷口氏が批判した。
「10年にわたってスポーツへの助成事業をしてきながら、他社から指摘されるまで不正なおカネの流れに気づかなかったのが彼らです。年間たったの8億円でこんな有様です。これが、2000億円の売り上げで、数百億円の助成を始めたらどうなるのか」
取材すると、センター側のくじに寄せる思いの深さが、一種の興奮として伝わってくる。田村投票部長の「テラ銭取るのが目的」「譲りません」という断固たる言明は文部省やセンター主導で謀ってきたくじの実現と来たるべき大きな収入への抑えきれない期待の発露ではないだろうか。
死にかけていたこの特殊法人は、サッカーくじでものの見事に息を吹き返した。不必要な給食事業と社会主義経済さえもお手上げの一括購入や統制経済を続けながら、求められてもいない存在を必死に継続してきた彼らが新たに手にしたのは、これまで彼らが目にしたこともない巨額のお金を生み出す仕組みである。
この利権の構造にぶら下がるのは、相も変わらず天下り官僚とその部下の職員達である。センターの逸見博昌理事長は文部省体育局長の天下り、都賀善信理事も、雨宮忠理事も文部省からの天下り、小林敏章理事は大蔵省からの天下りだ。常勤理事及び監事6名中、4名が天下りである。
スポーツ振興という美しい命題も、官僚にとっては自らの利権の確保、拡大としっかり結びついている。官僚の自己利益優先思考の中で、気がついてみれば、競馬、競輪、競艇、toto、日本国中に公営ギャンブルが溢れている。官業が、金融でも住宅建設でも民間企業を遙かに圧倒していることはすでにこの連載で指摘した。貯金も生活も遊びも官によって支配されているこの腐った国の在り方に、私たちは断固、ノーと言おう。