「 日章旗を土足で踏みつけさせる中国 大事に取り扱い返還してくれる米国 」
『週刊ダイヤモンド』 2015年12月5日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1111
本当にうかつだったが、西岡力氏に指摘されるまで、私は気付かなかった。
北京市郊外にある「中国人民抗日戦争記念館」は「抗日戦争勝利70年」の今年、全面改装され7月に公開されたが、広い館内を一巡する道順の一画に異様な空間がある。ガラス張りの床の下に日章旗を埋め込み、参観者はわが国の国旗を土足で踏みつけなければ一巡できない構造だというのだ。
これだけでも日本国への許し難い侮辱だが、氏が憤る原因はまだある。
「ガラスの床下の日章旗には、『祈武運長久』などの言葉と多くの人の名前が書き込まれています。出征軍人に家族、友人、故郷の人々が心を込めて寄せ書きをしているのです。皆、その旗を大切に身に着けて戦った。しかし彼らが捕虜になったり、戦死したとき、寄せ書きの日章旗は奪われた。抗日戦争記念館の日章旗はそのようにして手に入れた旗でしょう。しかし、軍人の私物は戦時国際法では本人に返還しなければなりません。遺品であっても死者を冒涜する扱いは許されません。それなのに中国政府と中国人は国際ルールを平然と破り、日本国をおとしめる材料として利用する。わが国は断固抗議し、日章旗返還運動を起こすべきです」
朝鮮問題専門家の氏は同じ記念館の中国人慰安婦の展示が真っ赤なうそであることも突き止めた。
国を挙げて対日歴史戦争を展開する中国の姿がいかに異質で突出しているか、米国との比較で見てみたい。今年8月、オレゴン州の歴史家、レックス・ジーク夫妻が安倍晋三首相を官邸に訪ねた。夫人は敬子さん、日本人だ。夫妻は全米から寄せられた71枚の「寄せ書き日章旗」を手渡すために来日したのである。
夫妻にお会いする機会はなかったが、私は事前にお2人の進める「OBON2015」計画について聞き、本当に感動した。
敬子さんは戦死したおじいさまのことはほとんど知らずに育った。ビルマ(現ミャンマー)での戦死だったが、遺骨も戻されていない。ところが、2007年、おじいさまが出征時に持っていった寄せ書きの日章旗がカナダで見つかり、無事、ご遺族に戻された。
このときからご夫妻の「寄せ書き日章旗返還」を進める地道な活動が始まった。日本語を読めない米国人にとって、寄せ書きされた日章旗は一種の芸術作品に見える。戦場で米軍兵たちが日章旗を見つけては持ち帰った背景には、国旗についての彼らの考えが日本人とは異なるというもう1つの要素もあっただろう。米欧では旗は第一義的には軍隊、国、敵味方を区別するためのものだ。戦場で敵の旗を奪うことは大きな軍功を意味する。日本人にとっての旗、とりわけ寄せ書きの日章旗への感覚はそうした国の印という意味に加えて、家族の祈りと愛、兵にとって心の支えという意味がある。
官邸で首相に日章旗を手渡したジーク氏は、「日の丸が(日本政府ではなく)家族(や友人たち)から贈られたものだと知って、米国人たちは、日本に返還したいと願っている」と述べている。寄せ書きの旗が1人1人の兵の形見であること、父、息子、夫を見送った人々の愛情と尊敬のこもったものであることを理解したとき、多くの米国人は、旗の返還に協力を惜しまなくなったというのだ。
ガダルカナル島、ペリリュー島、硫黄島、沖縄、多くの激戦地で戦った日米両国だが、70年を経たいま、互いを見る視線には相互理解と未来への希望がある。ジーク夫妻の静かな努力はその後も続いており、日本に戻された日章旗は3桁の数になった。
日章旗を日本の軍人の魂と、家族の愛情と祈りの表現として、大事に取り扱ってくれる米国、その旗を土足で踏みつけさせる中国。この相違を日本人は忘れてはならない。