「 『加藤の乱』から10年、谷垣自民党と民主党は同根同類の政党 」
『週刊ダイヤモンド』 2010年11月27日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 864
菅直人首相と仙谷由人官房長官への批判報道が溢れている。両氏の問題の本質は、どう見ても日本を愛しているとは思えない政治をしていることにある。国の枠組みを超えて「地球社会」を目指し、国民であるよりも「地球市民」でありたいと願っているような両氏に、「日本」あるいは「祖国」という思いが稀薄なのは当然であろう。
複数の調査で内閣支持率は20%台に落ちた。支持率の急激な変化を見れば、さらに10%台に落ち込むのは避けられないと思われる。
問題は、にもかかわらず、自民党がいっこうに国民の信頼を回復できないことだ。次の選挙では民主党には入れたくないという有権者が急増しているのに、自民党も支持したくないと考える人びとは少なくない。理由は、菅政権と谷垣自民党が同根同類だからだ。
少し時間を巻き戻して、10年前の11月に起きた「加藤の乱」を思い出してほしい。内閣不信任案採決を、加藤紘一氏が欠席した事件である。当時支持率低迷を続けていた森喜朗首相が内閣改造を断行し、人心一新で難局を切り抜けたいとしたのに対し、加藤氏は、森氏を降ろして自分が首相になれば行き詰まりは解決できると考え、加藤派の大部を引き連れて採決に欠席し、不信任案を可決させようとした事件だ。
結論からいえば、企ては失敗したのだが、一連の経緯は、現在につながる興味深い人間模様を浮き彫りにする。
「森降ろし」はその計画と展望を、加藤氏が語ったところから世に知られることになった。「読売新聞」主筆の渡辺恒雄氏が主宰する少人数の評論家や記者の会合、「山里会」で加藤氏が語ったのだ。ところが会合者の中に、当時の森首相の秘書がいた。会での話は「絶対オフレコ」が前提といわれているが、秘書氏はすぐに自分の主(あるじ)に加藤氏の「企み」を伝えた。
一方、メディアも勘づいた。第一報を入手した記者の1人は、裏取りに走った。当時加藤氏は、山﨑拓、小泉純一郎両氏と「YKK」グループをつくり、存在感を誇示していた。記者は、森降ろしの企みを、小泉氏に当ててみた。すると小泉氏はこう答えた。「えっ、もう言っちゃったの?」。
こうして加藤氏の思惑はスクープ報道となって世の中を駆け巡った。森首相もただちに反撃を開始、加藤グループの切り崩しに成功した。秘書氏は山里会から除名されたが、主を守り通すという責務は果たしたわけだ。
だが、ここから先が大事な話だ。加藤氏が「森降ろし」と自身の「首相就任」およびその後の政局に自信を持っていたのは、当時、民主党幹事長だった菅氏の支持と連携に自信があったからだ。氏は複数の人間に、菅氏の番号を登録している携帯電話を見せて、自慢げに語っていた。
「必要なら5分以内に話が出来る」
菅氏とは「同志の仲」「ツーカーの仲」だと自慢していたのだ。しかし「乱」には敗れ、加藤派は周知のようにその後分裂した。さらに氏は脱税および政治資金問題で自民党を離れた後、議員辞職に追い込まれた。
現在は政界にも自民党にも復帰しているが、自民党現総裁の谷垣禎一氏は、加藤氏の側近中の側近だった。「乱」の失敗を認める記者会見の席で、大粒の涙をこぼし「あなたが大将なんだから!」と加藤氏の肩を抱くようにして励ましていたのが谷垣氏だった。氏が加藤氏同様、菅氏とも「ツーカーの仲」なのかは、私は知らない。だが、価値観が似通っていることは確かだ。
つまり、谷垣自民党は、「加藤の乱」が、決起から10年後に巧まずして実現した姿であり、菅氏との協力が政治力の源泉と考える人が主導するのが自民党である。「菅政権もダメ、谷垣自民党もダメ」という国民は、両者が同根同類であることを見抜いている点で、きわめて正鵠を射ている。自民党が変わらなければならないゆえんだ。
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トラックバック by 愛国を考えるブログ — 2010年11月27日 04:33
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トラックバック by ミミズのマフラー — 2010年11月29日 21:58