「 認識せよ、力が支配する世界への変化を 」
『週刊新潮』 2018年7月19日号
日本ルネッサンス 第810回
ドナルド・トランプ米大統領は、6月8、9日にカナダ・ケベック州で開かれた先進7か国首脳会議(G7)に遅れて現われたうえ、2日目は午後の会議に出席せずに早く帰った。
鉄鋼・アルミの輸入制限拡大、制裁関税問題などで、他の6か国と相容れず「6+1」の対立となったのは周知のとおりだ。居心地の悪さから抜け出したその足で、トランプ氏は朝鮮労働党委員長の金正恩氏に会うためシンガポールに向かった。
首脳会談を終えて、「私は彼(金正恩氏)をとても信頼している」とコメントし、会談翌日には「もはや北朝鮮の核の脅威はない」とSNSで呟いた。
米韓合同軍事演習中止にまでつながったトランプ氏の楽観は、しかし、物の見事に粉砕された。6月29日、NBCテレビは、北朝鮮の非核化の意思に疑問ありとして、米政府当局者の「北朝鮮が米国を騙そうとしている明確な根拠がある」との声を報じた。衛星写真から北朝鮮の核関連施設が拡張され、建設が進んでいるのが明らかになった。
そうした中、ポンペオ国務長官が7月6日、北朝鮮を三度訪れ2日にわたる協議に臨んだ。平壌の順安(スナン)空港で会見したポンペオ氏は一連の会談はすべて「非常に生産的」だったと語った。
しかし氏が飛び立ったあと、北朝鮮の朝鮮中央通信は「米国側の『強盗的な要求』を北朝鮮が受け入れざるを得ないと考えているなら、それは(アメリカの)致命的な誤りだ」という、ポンペオ氏の説明とは正反対の論評を発表した。
自身の発言が「強盗的な要求」と非難されたにもかかわらず、平壌から日本に直行したポンペオ氏は、こう弁明した。
「北朝鮮は誠実だった。実際にそうだった。報道を、いちいち気にしていたら気が狂う。ギャングスターのような要求をしたと言われたが、世界はギャングスターだらけだ」
「敵と味方」の区別
今回の協議でも北朝鮮が完全な非核化(CVID)に応じないであろうことは明確になった。非核化実現の意思があれば核兵器解体についての議論が当然なされるはずだ。だがポンペオ氏は「騙された」ことを認めない。「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)紙は7月2日の社説で「ヨンビョンでの活動拡大は金(正恩)が首脳会談での果実を、非核化に踏み出すことなしに手にしたことを示す」としてトランプ外交の失敗を指摘した。
トランプ氏は今月の11日から2日間、ベルギーでNATO(北大西洋条約機構)首脳会議に出席するが、氏はNATO諸国に軍事費増額を要求する手紙を送付済みだ。
NATOはロシア(旧ソ連)の脅威に対処するために西側諸国が1949年に創設した。どの国であれ加盟国への攻撃は自国への攻撃と見做して、全加盟国が互いに守り合う集団的安全保障の仕組みがNATOだ。
トランプ氏は、そのNATOは米国におんぶに抱っこだ、自国防衛なのに十分な軍事費を払っていない、と非難する。2014年3月、ロシアがクリミア半島を奪い、東ウクライナに軍事侵攻したとき、NATO諸国は自国のGDPの2%を国防費に回し、うち20%以上を軍備や装備の充実に使うと合意した。合意を守ったのは、米国(3.57%)、ギリシャ(2.36%)、英国(2.12%)、エストニア(2.08%)の4か国で、EUの盟主、ドイツは1・24%、フランス1.79%、カナダ1.29%などにとどまる。
こうした状況にトランプ氏は怒り、NATO諸国の首脳になぜ基準を満たせないのかと、非難する書簡を出した。世界最大規模の軍事予算を使っている米国としては当然の不満であろうが、その怒りを認めても解せないのは、NATO諸国との首脳会議後に、ヘルシンキで米露首脳会談を行うことだ。
トランプ氏はカナダでのG7に先立って、ロシアをG7に復帰させるべきだと語った。フランス政府高官は、クリミア半島はロシアに併合されたままでロシア復帰の条件は整っていないと批判し、メルケル独首相もメイ英首相も同意見を表明した。
前述のようにGDP比2%の条項はそもそもウクライナ侵略で、ロシアがクリミアを奪ったことが直接のきっかけだった。トランプ氏はこの2%条項を守らないといってNATO諸国を非難する一方、その原因を作ったプーチン大統領とは「うまくやれそう」だとして首脳会談に臨むというのである。
G7で対立して正恩氏に会いに行く。NATO諸国を叱りとばしてプーチン氏に会いに行く。共通の矛盾が見てとれないか。トランプ氏には「敵と味方」の区別がつかないということだ。
日本ができること
いま世界で起きているのは大きな価値観の戦いである。トランプ氏の頭の中では秋の中間選挙が最も重要なのだろうが、国際社会は約100年振りに、自由を掲げるアメリカの価値観が専制政治を掲げる中国の価値観に取って代わられようとする局面に直面しているのだ。アメリカ主導のパックス・アメリカーナが揺らぎかけ、中国主導のパックス・シニカの時代に引き摺り込まれようとしている。ルールを基本とする世界から、力を基本とする世界へのシフトが起こりつつあるのだ。中国的な価値観を受け入れ、自由や民主主義を弾圧しているのが北朝鮮やロシアである。
従って米朝関係も中国ファクターを入れて考えると分かり易い。正恩氏は「朝中はひとつの家族のように親密で友好的」で、「朝中はひとつの参謀本部の下で緊密に協力」すると語っている。トランプ氏も「中国との貿易問題を協議するときは北朝鮮のことも考える」と語っている。
米国が北朝鮮問題で梃摺(てこ)ずることは中国にとって大歓迎だ。北朝鮮が無茶な要求をすればするほど、アメリカは中国の協力を必要とする。今回の北朝鮮によるポンペオ氏に対する強盗呼ばわりも、中朝が示し合わせて行った可能性がゼロではないだろう。折しも米中両国は、互いに制裁関税に踏み切った。まさに戦争である。
この局面で日本にできることは多い。アメリカが成し遂げようとしていることは、不公正な貿易で利益を上げる中国的手法の排除であろう。そのようなことはTPP(環太平洋経済連携協定)にとどまりさえすれば、多国間の枠組みの中で出来たことだ。
だが、トランプ氏はそのことに気づかない。それだけに安倍晋三首相の役割は大きい。欧州連合(EU)は日本との経済連携協定(EPA)に11日、署名すると正式決定した。日本が主導したTPPは合意済みだ。これらの枠組みを早く発効させて、中国中心になりかねないRCEP(東アジア地域包括的経済連携)に先行し、価値観を同じくする国々との連携を広めることが大事だ。