「 お家騒動の真っ只中にある文藝春秋 論壇の中心を形成する日はくるだろうか 」
『週刊ダイヤモンド』 2018年6月9日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1234
月刊「文藝春秋」は「中央公論」と共に輝くような雑誌だった。物書きを目指す者たちが、その両方に毎月でも記事を書きたい、書かせてもらえる力量を身につけたいと願っていたはずだ。
私はいま、物書きの端くれに連なっているが、私の物書き人生は文藝春秋から始まっている。初めて記事を載せてもらったのは34年前の1984年だった。「微生物蛋白について」という記事である。それ以前、私は英語で海外新聞用に記事を書いていたため、微生物蛋白の報告は日本語で書く最初の大型記事だった。
微生物蛋白は元々、日本の技術で生まれ、海外で家畜の飼料として本格的に生産されていた。だが、日本では「石油蛋白」として報道されたために、印象も評判も悪く、各方面で集中砲火を浴び製品化には至らなかった。
なぜ、この記事を書いたのかといえば、当時私は米ボストンを本拠地とする月刊新聞の仕事をしており、その編集会議がルーマニアで開かれた。チャウシェスク専制政治の下にある社会主義国に初めて行くのであれば、何かこの国について記事を書こうと考え調査したら、日本と社会主義国間の合弁事業の第一号がルーマニアにあった。それがこの微生物蛋白だったのだ。
結論からいえば、先述のように日本発の技術はルーマニアでは活かされていたが、日本では潰された。潰したのは、「朝日新聞」だった。松井やより氏の記事を発端として、反微生物蛋白のキャンペーンが展開されたのだ。
私は日本での取材に加えてルーマニアの現地取材を行い、当時シンガポールの特派員になっていた松井氏にも電話で話を聞いた。幅広く網をかけ、読み込んだ資料は大きな山となっていた。
それらを元に私は80枚の原稿を書いた。文藝春秋の当時の編集長は岡崎満義氏だ。彼は原稿をバッサバサと切り60枚に縮めた。赤の入った原稿を、私はまじまじと読んだものだ。あの詳細もこの描写も切られている。この情報はとても苦労して確認したのに、跡形もなく消されている……。
しかし、ゲラになった文章を読んで深く反省した。スラスラと読める。読み易くなっている。全体の4分の1が削除されたが、言いたいことは見事に全部入っている。私の文章が下手だっただけのことなのだ。
大いに反省した後、題について納得できない言葉があった。「朝日新聞が抹殺した“微生物蛋白”」という題の、「抹殺」は強すぎると言って、私は抗議した。
だが、編集長は「その言葉がこの記事の本質なんだ」と言って譲らない。私は編集長を説得できずに引き下がったのである。
その後、堤堯氏など名編集長と呼ばれた多くの編集者に多くのことを教えてもらって、私は今日に至る。文藝春秋という媒体と、そこで知り合った編集者諸氏はいわば本当の友人だ。
その文藝春秋がお家騒動の真っ只中だ。現社長は松井清人氏で、6月に退任するらしい。松井氏が後任に選んだ社長はじめ役員に対して、文藝春秋の幹部たちが異を唱えている。
人間関係の詳細については、私より詳しい人に任せたい。ただ松井氏に対する批判が社内にあるのは当然だと思う。松井氏の下で文藝春秋はかつての大らかな総合雑誌であることをやめ、イデオロギー色の強いつまらない雑誌になってしまったからだ。
このところどの号を見ても反安倍政権を謳う記事ばかりだ。安倍晋三氏を「極右の塊」と呼んで「打倒安倍政権」を目指すと、会合でのスピーチで語ったのも松井氏だ。文藝春秋が左右の論客を大らかに抱えて日本の論壇の中心を形成する日はくるのだろうか。6月末に文藝春秋の株主総会が開かれる。そのとき彼らは新しい出発点に立てるのだろうか。