「 米国はリビア方式を貫けるか 」
『週刊新潮』 2018年5月31日
日本ルネッサンス 第804回
約3週間後に予定されている米朝首脳会談を前に、朝鮮労働党委員長の金正恩氏が、またもや恫喝外交を展開中だ。北朝鮮の得意とする脅しとすかしの戦術に落ち込んだが最後、トランプ大統領はこれまでのブッシュ、オバマ両政権同様失敗するだろう。いま大事なことは二つである。国家安全保障問題担当大統領補佐官、ジョン・ボルトン氏のいわゆる「リビアモデル」の解決策を貫くことと、「制裁解除のタイミングを誤れば対北交渉は失敗する」という安倍晋三首相の助言を忘れないことだ。
北朝鮮の恫喝は米中貿易摩擦に関する協議が行われるタイミングで発信された。5月16日、北朝鮮第一外務次官の金桂冠氏が、米国が一方的な核放棄を強要するなら、米朝首脳会談開催は再考せざるを得ないと言い、ボルトン氏を、「我々は彼に対する嫌悪感を隠しはしない」と名指しで批判した。ボルトン氏はホワイトハウス内の対北朝鮮最強硬派と位置づけられている。
翌日、トランプ氏は大統領執務室でこう反応した。
「北朝鮮の核廃棄についてのディール(取引)ができれば、金氏はその地位にとどまることができるだろう。そうでなければ、『完全崩壊』の運命を覚悟すべきだ」
同時に、ホワイトハウスのサンダース大統領報道官もトランプ氏も、リビア方式は考えていないとのメッセージを発信した。サンダース氏は、「リビアモデルではなくトランプモデルだ」とも語った。
ここで見逃せないのは、「リビアモデル」という言葉を用いながらも、その正確な意味をトランプ氏が理解していないと思われることだ。トランプ氏は北朝鮮へのリビア方式の適用は考えていないとして、次のように語っている。
「米国は(リビアの)カダフィを存続させるなどというディールはしなかった。しかし、米朝で合意が成立すれば、金氏は米国による安全の確約と十分な保護を得て彼の国を統治し続けるだろう。彼の国はとても豊かになるだろう」
日朝会談にも負の影響
この他にもトランプ氏は、米軍はカダフィを滅ぼすためにリビア入りした、などとも語っている。しかしカダフィ氏は核を廃棄したから殺害されたのではない。反対に、彼は核廃棄によってクビをつないだのだ。8年間生き延びた果てに2011年に、リビア国民に殺害されたのである。
ここは大事な点だ。この点の理解なくしては米朝会談にも、いずれ開かれるであろう日朝会談にも負の影響が及ぶだろう。
03年12月、地下の穴蔵に潜んでいたイラクのサダム・フセイン大統領が米軍に発見された。それを見てカダフィ氏は震え上がった。3日後、カダフィ氏は英国政府経由で米国政府に「これまで行ってきた核開発をすべて止める」と伝えた。
米英両国は中央情報局(CIA)と秘密情報部(MI6)の要員を直ちにリビアに送り込んで、秘密の核開発施設など全ての拠点を開示させた。その上で翌年1月に米空軍がリビア入りし、濃縮ウラニウムやミサイルの制御装置などを米国に運び出した。3月には艦船を送り、遠心分離機をはじめ核開発に関する装置のすべてを搬出したのである。
一連の作業は3か月で終了した。すべてが終わった時点で初めて米国はリビアに見返りを与え始めた。米国とリビアの国交正常化は06年5月。カダフィ氏は核放棄を伝えてから8年後に殺害されたが、これは核放棄とは無関係だ。
10年から中東に吹き荒れた民主化運動、「アラブの春」がカダフィ氏の惨めな死の直接的な原因である。リビア国民が民主化運動に触発されて、長年続いたカダフィ家による専制支配に抗して立ち上がったのだ。その結果、カダフィ氏も子息達も、殺害された。これが11年10月だった。
日本でも、ボルトン氏の主張するリビア方式と、アラブの春での殺害を混同してとらえる向きがある。しかし両者は無関係である。トランプ氏の先述の発言は、氏がその違いを理解していないことを示している。
理解していなければ、トランプ氏は正恩氏に、「米国は北朝鮮の体制転換を考えているわけではない。従ってリビアモデルはとらない」と言い続けるだろう。そこに浮上するのが、「段階的核廃棄と、段階ごとにそれに見合う経済援助を北朝鮮に与える」という方式だ。これこそ北朝鮮と中国が主張する方式で、元の木阿弥である。アメリカは失敗し、トランプ氏が日本のために発言し続けている拉致問題も解決されないだろう。だからこそ、03年からのリビア方式による核問題解決と、11年のカダフィ氏殺害の背景の相違をまずトランプ氏に、次に正恩氏に認識させることが非常に大事なのである。
対北政策で微妙な違い
トランプ氏の下で、米国の北朝鮮政策を担っているのがボルトン氏とマイク・ポンペオ国務長官である。両氏の間には対北政策で微妙な違いが見てとれる。5月9日、2度目の平壌訪問で米国人3人の身柄を取り戻してワシントンに連れ帰ったポンペオ氏は、その直後の11日、「正しい道を選べば北朝鮮には繁栄があるだろう」と語った。非核化の成果が何も見えていないにも拘わらず、制裁緩和に言及するのは早すぎる。同じ日、ボルトン氏は対照的な発言をした。
「完全、検証可能、不可逆的な核廃棄(CVID)だけでなく、ミサイル、生物化学兵器の廃棄が実行され、日本人と韓国人の拉致被害者問題も解決されなければならない」と語ったのだ。
北朝鮮との交渉でどちらの方針が失敗するか、過去の事例から、ポンペオ氏の方針であることが明らかだ。成功はボルトン方式の中にしかない。
トランプ氏はこうも語っている。「中朝首脳の2回目の会談以降、(正恩氏の側に)大きな変化が起きた」「習(近平)主席が金正恩に影響を与えている」と。そのとおりである。
北朝鮮の態度の豹変は米中貿易摩擦を巡る高官級協議の時期に重なる。中国が有利な条件を勝ちとるために北朝鮮を取り引き材料に使おうとしたのが見てとれる。そうした中、トランプ氏は「自分のように強い貿易圧力を中国に加えた大統領はいない」とも語っている。中国に対米貿易黒字を1年で約20兆円も削減せよと迫り、それができなければ大幅に関税を引き上げるという強硬策を突きつけたことを誇っているのだ。圧力には圧力を、力には力を以て対抗するという姿勢である。そうでなければ、中国も北朝鮮も動かない。その点で揺るがなかったからこそ、トランプ外交はここまで辿り着けたといえる。
しかし、リビア方式についての誤解に見られるように、トランプ外交には危うさがつきまとう。その危うさを修正するのが安倍首相であろう。