「 平壌でも謝罪を計画していた吉田清治 」
『週刊新潮』 2018年3月1日号
日本ルネッサンス 第792回
2月5日、元自衛官の奥茂治氏に会った。氏は、慰安婦問題で嘘をつき、現在の日韓関係のこじれの原因を作った吉田清治氏の、まさにその子息の依頼で、清治氏が1983年暮れに韓国忠清南道天安市の「望郷の丘」に建てた「謝罪の碑」を損傷した人物だ。奥氏は自分の行為を韓国当局に自ら報告し、召喚に応じて韓国に赴き、身柄を拘束され、出国禁止措置、起訴、裁判を経て、今年1月11日、懲役6か月、執行猶予2年の判決を受けた。
7か月以上にわたった出国禁止措置にもめげず、氏は元気だった。多くの友人を作ったらしく、帰国前には、30人を超える韓国人が別れの宴を催してくれたそうだ。
「人間を知ってみると憎めない国ですよ。逃げも隠れもしないのに韓国の裁判所は私を出国禁止にし、その間、ホテル暮らしです。近所の人たちが大いに同情してくれて友達になり歓送会も盛大でした」
一般庶民はこのように親切ではあるが、一方で反日感情に毒されてもいる。そのはじまりが吉田氏の嘘ばなしであり、氏を持ち上げた「朝日新聞」であろう。奥氏が語った。
「法廷闘争の中で、いろいろな資料に目を通しました。検察側が提出した資料の中に驚くべきものがありました。在日本大韓民国婦人会中央本部に宛てた吉田氏の陳情書です。1983年5月19日付け、手書きで4頁です」
その中で吉田氏は「3つの願い」を書いている。➀「韓国人を強制連行した」人間として、サハリン残留韓国人を養子にして償いの一端としたい、➁「強制連行謝罪碑」を建てたい、➂「板門店経由平壌往復旅行」をしたい、である。
➀は実現していない。大高未貴氏が清治氏の子息の独白を、『父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白』(産経新聞出版)にまとめた。その中で長男は父親の清治氏について、「生涯仕事らしい仕事に就いたことがない」と語っている。このでたらめな父親の生活を支えたのが子息である。子息頼りで暮らしていた吉田氏が、養子を迎えて面倒を見たいと申し入れていたその無責任振りに改めて呆れた。
収入につながる「謝罪旅行」
➁は、同陳情書から約7か月後に望郷の丘に碑を建てて実現した。
注目は➂である。吉田氏は、「板門店経由平壌への道は、三十数年間にわたって、往来が途絶えてい」る、「根本的な原因は日韓併合であって、原状復帰の責任は日本人に」あると書いている。
日本の敗戦後、旧ソ連は北緯38度以北を占領し、以南を米国が占領した。金日成は旧ソ連の力を借りて北朝鮮を席巻し、1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国を建国した。南北分断の責任は日本よりも米ソにある。だが、吉田氏にとって、歴史の事実などどうでもよかったのであろう。氏は謝罪して収入を得る道にすでに足を踏み入れていたのだ。
吉田氏が右の陳情書を書いたのは1983(昭和58)年5月19日だった。その2か月余り後の7月31日にはあの悪名高い著書『私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行』を三一書房から出している。同書で氏は、韓国済州島で連日、暴力的な「慰安婦狩り」をして1週間で200人の若い朝鮮人女性を「狩り出した」と書いた。
この本を出した頃、吉田氏はそれまで長男と住んでいたアパートを引き払い、それ以前の家賃の3倍もする所に移った。お金の心配をする長男に吉田氏はこう言ったそうだ。
「500万、1000万はすぐに入るから心配しなくていい」
どのようにしてそんな大金を手に入れるつもりだったのか。陳情書に書いたことと無縁ではあるまい。
「この道を通って、ソウル・平壌間を往復して『謝罪旅行』を行なう事は、私の悲願であります」
この頃、吉田氏は日本国内で自らの「戦争犯罪」を懺悔する講演を行っていた。当然、講演料としての収入があったであろう。
さて、氏は「謝罪旅行」には2つの目的があると、書いている。➀黄海道、平安南道、平安北道、咸鏡南道、咸鏡北道の五道(県)の韓国人に謝罪する為に「強制連行謝罪碑」を平壌にも建立させてもらう、➁南北分断家族の手紙を平壌に配達したい、そのために、金正日夫人宛の手紙を、韓国政府高官の夫人から託してもらえればそれを届けたい。
収入につながるであろう謝罪旅行をし、金正日夫人へのメッセンジャーになりたいというのである。
吉田氏の子息は、父親は戦前戦中に済州島に行ったことはないとして次のように証言している。
「(済州島に行ったことのない)父は、済州島の地図を見ながら、原稿用紙に原稿を書いていました」
対外発信する責任
大高氏がなぜ、あれほど克明に書けたのか、と驚いて尋ねると、
「ですからそれは、出版社や周りにいた人たちに発言をしていただきたいんです」と子息。
こんな人物の嘘を朝日新聞は十分調べもせずに大きく報道し、そのうえ、長年放置した。朝日新聞も、朝日で慰安婦報道に関わった記者たちも恥を知るべきであろう。奥氏が実感を込めて語った。
「日本では朝日は吉田証言は虚偽だとしてすべて取り消しましたが、そのことは韓国を含む海外には伝わっていない。私は裁判で朝日が吉田証言をすべて取り消したと言ったのですが、裁判官も検察も全く知りませんでした。そこで私は朝日が実際に自社の記事を取り消したことを、詳しく証明しなければなりませんでした」
改めて指摘したい。如何に自社の報道が間違っていたかを、英文、ハングル、中国語などで明確に対外発信する責任を朝日新聞は果たすべきである。
興味深いのは、韓国の司法が、奥氏のケースを手早く片付けようとした点だ。
「取り調べ中検事に3回、強く勧められました。罰金50万ウォン(約5万円)で帰国させてやる。早く日本に帰れと。彼らは吉田清治が大嘘つきで、朝日新聞の報道も大嘘だったことを韓国に広めたくなかったようです。そこで私は主張しました。どうか起訴してください。吉田証言はすべてデタラメです。父親の嘘が大新聞で報道され、日本人全員が酷い精神的苦痛を被っているのに、吉田氏の子息には世界に広まった父親の嘘を打ち消す力がない。しかし謝罪の碑は父親の印税で建てられたとされており、父亡きいま、父の息子の自分に碑の所有権も、処分する権利もある。その権利を、子息は私に行使してほしいと頼んでいるのです。だから、5万円で帰国なんてできません」
結局、韓国司法は奥氏を起訴し、有罪とした。奥氏が笑って語る。
「吉田氏と朝日の嘘が伝わることが大事です」