「 日本の悪夢、米中の大取り引きはあるか 」
『週刊新潮』 2017年11月9日
日本ルネッサンス 第777回
11月5日からドナルド・トランプ米大統領がアジアを歴訪する。北朝鮮情勢が緊迫する中で最も注目したいのが中国訪問である。
折しも習近平国家主席は第19回中国共産党大会を乗り切ったばかりだ。自身への権力集中で専制独裁者並みになった習氏にトランプ氏はどう向き合うのか。アメリカは価値観の旗を掲げ公正な秩序の形成と維持に貢献し続けられるか。トランプ・習会談は、間違いなく、アジア、とりわけ日本の命運を大きく左右する。
気になる記事が10月28日号の「ニューズウィーク」誌に掲載された。同誌や雑誌「タイム」の執筆者として知られるビル・パウエル氏による米中関係の分析である。
トランプ大統領が北朝鮮問題で中国と「大取り引き」(grand bargain)するのではないかというのだ。氏の分析はヘンリー・キッシンジャー元国務長官が10月にホワイトハウスを訪れたことに端を発している。
キッシンジャー氏の親中振りは周知のことだ。「年老いて弱くなったキッシンジャー氏がホワイトハウスに入ったそのタイミングが重要だ」と、パウエル氏は書いた。トランプ政権がアジア歴訪を前にアメリカのアジア政策を検討中に、大統領に助言することの意味は大きい。
パウエル氏の書く中国との大取り引きとは、➀中国は全ての手段を用いて金正恩氏に核計画を諦めさせる、➁アメリカが検証し納得する、➂アメリカが北朝鮮を正式に認め経済援助する、➃在韓米軍2万9000人を撤退させる、である。
在韓米軍の撤退は北朝鮮だけでなく、中国にとっても願ってもないことだ。反対に、韓国の安全にとっては危険を意味し、日本にとっては最悪の事態である。
米中のこのような取り引きの前提と見做されているのが、ティラーソン国務長官が繰り返し表明してきた「4つのノー」の原則である。
つまり、➀北朝鮮の政権交代(レジームチェンジ)は望まない、➁北朝鮮の政権は滅ぼさない、➂朝鮮半島統一は加速させない、➃米軍を38度線の北に派遣しない、である。
米韓同盟は消滅する
米軍が北朝鮮に入らない、つまり北朝鮮における中国の権益は侵害しないと言っているのであり、中国側が4つのノー政策に強い関心を寄せるのも当然だ。いま北京を訪れるアメリカの要人は皆、4つのノー政策に関して国務長官はトランプ大統領の承認を得ているのか、どこまで真剣な提案なのか、トランプ大統領はこれを正式な政策にするのかなど、質問攻めにあうそうだ。
キッシンジャー氏も、別の表現で、アメリカは中国の思いを掬い上げるべきだとの主張を展開している。たとえば今年8月11日の「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙への寄稿である。その中で、年来のアメリカの対北外交は全く効果を生んでいない、その原因は「米中の目的を融合させることができなかったから」だと指摘している。
米中は核不拡散で原則的に一致していても、各々の主張の度合は異なるとして、キッシンジャー氏は中国の2つの懸念を説明している。ひとつは北朝鮮の分裂又は混乱がもたらす負の影響への中国側の恐れである。もうひとつは、半島全体を非核化したい、国際社会の合意形成はともかくとして、朝鮮半島全体を非核化地域として確定したいとの中国の思いについての指摘だ。
ティラーソン氏の4つのノーに従えば、米軍は朝鮮半島から撤退する。即ち米韓同盟は消滅する。当然、中国の影響力は格段に強まる。アメリカはそれを受け入れ、さらに朝鮮半島からの難民の流入や多くの少数民族への影響を中国が恐れていることに留意してやるべきだと、キッシンジャー氏は言っているのである。
氏の中国への配慮は非常にきめ細やかだが、日本に対してはどうか。朝鮮半島の非核化を固定化したいという中国とそれに同調するキッシンジャー氏の頭の中には、その先に、日本には未来永劫核武装を許さないという信条があると考えるべきだ。この寄稿を読んで、私は1971年に周恩来首相に、在日米軍は中国に向けられたものではなく、日本の暴走を許さないための配備だと氏が語っていたことを思い出した。
斯様にキッシンジャー氏は論文で中国の主張を代弁しているのであり、氏は同じようなことをトランプ大統領に助言したはずだ。
北京の代弁者としてのキッシンジャー氏が中国政府にとって如何に重要な人物かは容易に推測できる。そのことを示すスピーチが、今年6月にロンドンで行われていた。
最悪の事態
マーガレット・サッチャー元首相の名を冠した安全保障関連のセミナーでのことだ。氏はサッチャー氏の先見性のある戦略論を讃えた後、中国について論じ、習氏を20世紀初頭の大戦略家、ハルフォード・マッキンダーにとって替わる存在と位置づけた。一帯一路構想で習氏が世界の中心を大西洋からユーラシア大陸に移行させたと持ち上げた。古代文明、帝国、グローバル経済と発展した中国が、西洋哲学とその秩序に依拠していた世界を新たな世界へと転換させていると評価した。
「この進化は中国の過去半世紀間での3つ目の大転換だ。毛沢東が統一を、鄧小平が改革を、習近平が2つの100年を通して中国の夢を実現しようとしている」と、氏は語った。
中国共産党成立100年に当たる2021年、中華人民共和国建国100年に当たる2049年、2つの100年で、中国はそれまでの人類が体験したこともない程強力な国家となり、並び立つものがない程豊かな国民一人当たりの富を実現すると、描写している。
共産党大会で中華民族の復興の夢を3時間余りも語った習氏の主張と、キッシンジャー氏の演説は重なっている。高揚した気分も同様だ。注目すべきことは、この演説が今年6月27日に行われていることだ。習氏の第19回共産党大会での演説は10月18日であるから、習演説の約4カ月も前に、その内容を先取りして行われたのだ。氏は習氏の考え方の全容をずっと前から聞いていたのだ。
田久保忠衛氏が語る。
「習体制と一心同体のようなキッシンジャー氏が、トランプ氏がアジア外交を考えている最中にホワイトハウスに招かれ耳打ちをした。米中関係が氏の思い描く方向に行けば、米朝の軍事衝突などあり得ない。日本は取り残され拉致被害者救出も含め、中・長期的に日本の出番はないでしょう。日本にとっての最悪の事態です」
自力で国も国民も守れない日本はどうするのか。もう遅いかもしれないと思う。それでも、強調したい。一日も早く、独立不羈の精神を取り戻し、憲法改正を実現することだ。それが安倍晋三首相の使命である。