「 日本は南シナ海共同管理の先頭に立て 」
『週刊新潮』 2016年7月28日号
日本ルネッサンス 第715回
オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所が下した南シナ海問題に関する裁定への中国の反発は常軌を逸している。公然と国際法を否定する中国の前で、法治を旨とする民主主義陣営が確固たる手を打てないとしたら、ハーグの仲裁裁判所も国際法も意味を失う。いま世界は国際法を守るのか破るのか、法治を徹底させ得るのか、暴力支配の原理を許してしまうのか、という分岐点に立っている。
フィリピンの訴えから3年半、裁定は7月12日に下った。骨子は、
・中国の主張する「九段線」には国際法上の根拠はなく、歴史的領有権の主張も認められない
・スプラトリー諸島には海洋法条約上の「島」は存在しない。岩や満潮時に水没する暗礁を埋め立て、構築物を建設しても、領海や排他的経済水域、領空の権利は主張できない
・中国の埋め立てや中国船による漁業は周辺海域の生態系を破壊している
・中国船はフィリピンの石油探索や漁業を不法に妨害している
・仲裁手続きが始まっているのに、なおも大規模な埋め立てや造成を行ったことを非難する
などである。南シナ海に九段線を引き、内側すべてを自国領だとしてきた中国の主張を悉く否定した内容だ。裁定には異議を唱えることができないため、これが最終決定である。中国の驚愕振りは彼らが示した激しい反発に表われている。
習近平国家主席は裁定が下された当日に会談した欧州連合(EU)のトゥスク大統領に、「裁定に基づく如何なる主張や行動も受け入れない」と宣言した。
裁定後の15日からモンゴルの首都、ウランバートルにアジア欧州会議(ASEM)参加の51か国の代表が集った。安倍晋三首相は李克強首相と会談したが、李首相は安倍首相に「不必要なことに首を突っ込むな」と無礼な発言をしたと共同通信が伝えた。ASEMでは国際法の原則や国連海洋法条約に従った紛争解決の重要性を謳った議長声明が採択されたが、南シナ海という固有名詞を入れられなかったほど、中国の反対は強かった。
無法国家
王毅外相も中国外務省も、中国共産党機関紙の「人民日報」も、傘下の「環球時報」も、見事なまでに一体化して中国全体で国際法には従わない、つまり、中国は無法国家であると、自ら発信したのである。
裁定翌日の13日、外務次官の劉振民氏が中国の南シナ海白書を発表したが、その中で仲裁裁判所の判事5人への「ののしり」(invective)をエスカレートさせ、「偏向した、アジア文化に無知なフィリピン政府のために働く輩」と語ったと、米主要紙の「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)が揶揄した。
中国人民解放軍(PLA)副参謀長の孫建国氏は、16日、軍高官として、裁定後、初めての公式見解を発表した。清華大学における国際シンポジウムで、「判決は軍隊に幻想を捨てさせた」「軍事力を強化し、やむを得ない状況下で国家主権と権益を守るための最後の決定的な役割を発揮しなければならない」と述べた(『朝日新聞』7月18日朝刊)。南シナ海で軍拡するというわけだ。
孫氏は今年6月5日、シンガポールでのアジア安全保障会議で、「南シナ海の問題は完全に解決されている」「ウィンウィンだ」などと演説した人物だ。
事実と正反対のことを真顔で語る中国人に南シナ海での国連海洋法条約違反を許してしまえば、やがて中国は東シナ海でも、プーチン大統領は大西洋や地中海で、国際法を踏みにじっていくだろう。
21世紀の国際社会の基盤である国際法を自国の都合で曲げたり否定したりする隣国に対処するには、共同管理体制を作るべきだ。平和で、法に基づいてどの国にも開かれた海を守り続ける先頭に日本は立つべき時だ。シンクタンク「国家基本問題研究所」の理事で東海大学教授の山田吉彦氏は、「アジア海洋管理協定」を構想する。スプラトリー諸島をはじめとする南シナ海情報を集約し、共有して、複数国で警備する仕組みである。
共同管理と共同警備はASEAN諸国、オーストラリア、インドなどにとっても国益に資するはずだ。航行の自由やハーグの司法判断を尊重する意味で、フランスのル・ドリアン国防相も欧州諸国によるパトロールの可能性を示唆する。海上保安庁と自衛隊、各国のコーストガードと海軍の連携体制を作る先頭に、日本はアメリカと共に立つべきだ。
PLAの孫氏がいみじくも警告したように、中国が軍拡を以てこの状況に対処する場合、中国への抑止力を高めるためにこそ、国際協力が必要である。
秘密協定
他方で、中国の巧みな外交戦略と経済力を最大限活用した、搦めとり作戦も警戒しなければならない。アキノ前大統領から6月に政権を引き継いだロドリゴ・ドゥテルテ大統領はアキノ大統領の対中強硬策に否定的で、中国との2国間交渉に応じると語っている。
フィリピンと中国の関係は2004年、注目すべき展開を見せたことがあった。「フィリピン調査報道センター」(PCIJ)の資料によると、アロヨ大統領(当時)がスプラトリー諸島を含むカラヤン諸島のほぼ全域、実に2万4000平方キロのフィリピンの国土と海で中国企業が開発を行う権利を認める協定を結んでいたというのだ。PCIJのサイトには、同協定に関して「売国」「反逆」などの激しい非難の表現が散見される。
WSJは04年にアロヨ大統領がフィリピンの海に中国の法を適用するとの秘密協定を、中国と結んでいたと指摘している。
シンクタンク「日本国際問題研究所」の福田保氏は04年11月にアロヨ政権が中国と「防衛協力に関する覚書」を締結したこと、その背景に米比関係の悪化と中国の対フィリピン援助が拡大されたと指摘している。
一度あることは二度あると思わなければならない。今回も、中国が十分な額の援助を申し入れ、さまざまな開発計画を提案し、ドゥテルテ大統領の歓心を買うことは大いに予想される。
中国の負債総額はいまやGDPの2・5倍、168兆元(約2650兆円)だ。内、企業分が約5分の3、約1590兆円と推測される。かなりの部分が不良債権になる危険がある。債務不履行(デフォルト)に陥った企業も出始めており、急増しかねない。
このような状況下、尋常ならざる強気政策に出る中国の実相を捉えることが対処の基本である。こちら側が団結して原則を譲らないことだ。そうすれば、必ず、私たちの価値観で勝てるはずだ。