「 司法判断が割れた原発の安全性 重視すべきは専門家尊重の最高裁判断 」
『週刊ダイヤモンド』 2016年4月16日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1129
4月6日、九州電力川内原子力発電所1、2号機の運転差し止めを求めた周辺住民の仮処分申し立てを、福岡高裁宮崎支部の西川知一郎裁判長が棄却した。約ひと月前の3月9日、福井県の関西電力高浜原発3、4号機に運転差し止めの仮処分決定を下した滋賀県大津地裁とは正反対の判断を示した。
司法判断は真っ二つに割れたが、川内原発を取材した体験から、私は福岡高裁の決定が妥当だと実感する。原子力規制委員会は日本の原発安全基準は世界一厳しいと言う。取材をするとその厳しさは想像以上である。
例えば、竜巻に備える大型ポンプ車などは幾本もの鎖でコンクリート床につないである。緊急時に動かそうとすれば、1本1本の鎖を外すのに手間取るのではないかと逆の危機感を抱く。過ぎたるは及ばざるがごとしではないかとさえ思う。
真の安全性を確立するには、規制委の非現実的とも思われる厳しい安全基準を広く情報公開することが欠かせないだろう。とりわけ周辺住民への説明と住民による原発敷地内の視察は欠かせないのではないか。そこで多くの人は恐らく私と同じように、どれだけ厳しい基準が電力会社に課されているかを知り、その上で、厳しいだけが全てではなく、より合理的な安全基準に改めることができる余地を電力会社と共に見いだせるのではないか。
運転差し止めにされた高浜原発も、稼働を許された川内原発同様の厳しい基準を満たしているのである。少し話がややこしくなるが、高浜原発は3・11を受けて運転を中止し、関電は規制委の定めた新たな安全基準を満たす努力を重ねた。規制委の審査に合格して再稼働直前に至ったとき、県内の住民から再稼働阻止の仮処分申し立てを受けた。
福井地裁の裁判官は同地裁での任期の最後に再稼働を認めない決定を下して去った。対して関電は直ちに異議を申し立て、同じ地裁の別の裁判官が審理して、前任者の決定を覆し、高浜原発はようやく再稼働に至った。それが今年の1月と2月のことだった。
ところが今度は隣接する滋賀県の住民が大津地裁に、高浜原発の稼働中止の仮処分を申し立てた。そして山本善彦裁判長が住民の訴えに基づいて運転中の高浜原発を再び停止させたのだ。
すでに報道済みの経緯だが、原発に関する司法判断のぶれが見えてくる。なぜこのような結果になるのか。弁護士の髙池勝彦(たかいけ・かつひこ)氏は大津地裁の山本裁判長の判断に疑問を突き付ける。
「決定書では山本裁判長は高浜原発の安全基準は十分ではないと度々指摘していますが、何が不足なのかは言っていません。関電が疑問に関して説明させてほしいと要請していますが審尋を打ち切っています。また、住民側には保証金を納めさせないことにしたのも非常に奇妙です。これだけでも山本裁判長は公正さを疑われても仕方がないでしょう」
仮処分申し立ては迅速に処理される。そのため判断を間違う危険もある。そこに損害が生ずるとき、それを担保するために必ず、保証金を納めさせられる。額は債権額の2割が相場である。関電は原発1基を休ませれば1日2億円の損失が出る。2基で4億円、ひと月で120億円、保証金はその2割で24億円だ。
住民負担の限界をはるかに超える金額を払うことは無理だが、訴える側にも慎重さを求めるためにある程度の保証金は常識だと、髙池(たかいけ)氏は言う。それが今回ゼロだった。一方的に住民側に偏った姿勢だとみられても仕方がない。
公正さを疑われる司法判断で国の基本であるエネルギー政策が揺らぐのは国益につながらない。いま大事なことは、原発の安全性は専門家の意見を尊重すべきだとした1993年の最高裁判断を重視することではないか。