「 台湾新政権、現状維持を日米が支援 」
『週刊新潮』 2016年1月28日号
日本ルネッサンス 第689号
台湾の運命だけでなく日本及びアジア全体、ひいては米中関係の行方にも大きな影響を与える台湾の総統選挙は、野党・民進党主席の蔡英文氏の大勝利に終わった。そしていま、再び「日米台vs中国」の構図が鮮明になりつつある。
「加油台湾! 加油台湾!」「台湾!台湾! 台湾!」
1月15日、ざんざん降りの雨の中、民進党の勝利を信じて集った3万人とも4万人とも見られる大群衆が歓喜と期待の大合唱を繰り返す。
「加油」は「頑張れ」の意味だ。
翌16日投開票の総統選挙で、民進党は蔡氏が得票率56%で次期総統の座を勝ち取った。同時に行われた立法院(国会)選挙でも113議席中68議席を得て、国民党を35議席の野党へと一挙に追い落とした。この結果は、外省人(中国人)の馬英九総統が2期8年間の任期中に進めた中国傾斜政策に対する、本省人(台湾人)の深い失望と反発を表しているといってよいだろう。
「蔡氏は大群衆を前に、台湾はデモクラシーだ、デモクラシーは台湾だという表現で、台湾のナショナル・アイデンティティーは民主政治にあると繰り返しました。彼女が演説で間をとる度に、聴衆は、『加油台湾!』、『台湾! 台湾!』とリズムをつけて3度ずつ、繰り返すのです。濃密な感情空間の中で、多くの支持者たちが涙を流していました。勝利を手にした蔡氏は『皆さんの流した涙を笑顔に変えるために全力を尽くしました。あなたの目にまだ涙がたまっていれば、どうぞ拭いて下さい。台湾の新時代を共に迎えましょう』と呼びかけました。現場で台湾人の歓喜と熱い涙を実感しました」
こう語るのは選挙監視団に日本代表の1人として参加し、約1週間台湾を取材した田久保忠衛氏だ。台湾人の選挙と新体制にかける情熱を、氏は2時間、雨の中に立ち尽くし、或いは記者会見の場で体感した。
「ひとつの中国」論を回避
台湾人のアイデンティティーを突き詰めれば、台湾人は中国人ではない、台湾人は台湾人だ、中国人扱いするなという思いに行き着く。しかし、中国共産党がその思いの前に立ちはだかる。中国が最も警戒するのが、蔡氏が独立志向を強めることだ。
馬英九氏の下で台湾の国民党政権は、いわゆる92年合意の存在を中国と確認済みだ。同年に台中双方が「中国はひとつ」と合意し、台湾は、ひとつの中国は中華民国だと言い、中国は中華人民共和国であると主張するというものだ。
当時、総統だった李登輝氏に、私は昨年9月、実際に92年合意はあったのかと尋ねた。李元総統は「総統だった私が知らない合意があるはずがありません」と、明確に否定した。
蔡氏は92年に台中間の会議が開催されたことは認めているが、合意については明言していない。合意を認めれば、台湾は中国の一部にされてしまう。如何なる形でも台湾を中国の一部へと追い込むことになる「ひとつの中国」論を回避するために、李元総統は、99年に台中関係を「特殊な国と国の関係」であると定義した。双方が国である。ひとつの国ではない。つまり台湾は中国の一部ではない、という意味だ。
右の理論構築に貢献したのが、当時、総統の諮問機関「国家安全会議」の一員だった蔡氏である。このような経歴と能力を持つ蔡氏であればこそ、中国の彼女に対する警戒心も強い。中国はすでに、台湾が「ひとつの中国」を認めることが全ての前提であるとの立場を明らかにしており、蔡氏に92年合意を認めさせるためにあらゆる圧力をかけてくると予想される。
大国中国の圧力に抗するのは容易ではないが、田久保氏は蔡氏の冷静沈着さに注目する。
「演説の間中、彼女の言葉と表情に注目せざるを得ませんでした。大群衆に熱く訴えかけるときも、大衆の熱い連呼が湧き上がるときも、氏は感情の嵐に流されることなく冷静で理性的でした。彼女は勝利演説で、台湾総統として自分は必ず強くなると宣言しました。困難に立ち向かうとき、総統としての自分は強くあり続ける。自分が強くあり続けることで台湾人も強くあり続けることができると語ったのです。これから担っていく責務の重さを十分に自覚していると感じました」
勝利を受けた記者会見で蔡氏はまず、日本との関係強化を明言し、南シナ海及び東シナ海の現状について質問されて、「航行の自由」「国際法の遵守」の重要性を強調した。この件りでも氏は、安倍晋三首相と意思の疎通をはかっている旨を語った。2300万人の国の総統が、13億人の国の主席に対するときに、日本の支えが大切だと言っているのである。
主権国家扱い
国家の要件は、領土を有し、そこに国民が住み、政府が統治する行政組織を持つことだ。台湾にはこの全てが揃っている。事実上の国家である台湾がその現状を維持できる国際社会こそ、日本の望む民主主義と国際法に依拠する人類の姿である。台湾の現状維持に力を貸すことは、台湾だけでなく日本の理想と国益に通ずるのだ。
田久保氏は蔡氏が繰り返し強調した「デモクラシー」に注目する。
「冷静で理性的な蔡氏は、独立などと軽々には言わないでしょう。しかし、デモクラシーを大義として掲げています。独裁国家に対して、公正で自由で平和な民主主義の土台にしっかりと台湾を立てようとしているのです。大陸中国の前で人類の普遍的原理を唱える台湾が、国際政治の中で或いは人類の歴史の中で、どれ程大きな意味を持っているか、私たちは正確に理解しなければなりません。安倍首相は誰よりも深くそのことを理解していると思います」
安倍首相は昨年8月14日、戦後70年談話を発表した。その中で台湾は他のアジアの国々と同列に扱われただけでなく、中国の前に位置づけられていた。田久保氏が強調する。
「安倍首相は台湾を堂々と主権国家扱いしました。蔡氏の演説の内容、記者会見での回答を合わせてみると、日台の目指す方向がぴったり合致していることがわかります。日台協力体制にはアメリカも加わります。日米台vs中国の枠組みが作られてきたということです」
こうした中、日本と台湾がすべきことは多い。まず、両国共に軍事力の強化に努めなければならない。中国は突出した軍事力増強路線を走り続けている。周辺諸国として自国の防衛力を増強するのは、各々の国民に対する責務である。また、台湾は国策として、中国経済への依存度を引き下げる努力をしなければならない。日本は環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に台湾を招き入れることだ。加えて、日台間の人的交流を意識的にふやすことだ。日台の国益が重なることを忘れてはならない。