「 朝日は脅迫も自己防衛に使うのか 」
『週刊新潮』 2014年10月23日号
日本ルネッサンス 第627号
10月7日の「朝日新聞」を読んで、言論機関としての同紙の土台が腐蝕しつつあると感じた。
朝日は「天声人語」と社会面を割いて、札幌市の北星学園大学と同大学非常勤講師、植村隆元朝日新聞記者への支援の言葉を重ねている。
北星学園大は、植村氏の退職を求める脅迫状が届き道警に被害届を出したと発表。植村氏は家族の写真がネットに流出し非難され、87年の阪神支局襲撃事件が「身近に思え」ると訴えている。
言論には飽くまでも言論で応じるべきで、卑劣な脅迫や家族への攻撃は断じて許せない。天声人語子以下朝日人士の主張を俟つまでもなく、言論の自由こそ民主主義国日本の根本であることを、改めて強調したい。そのうえで尚、指摘せざるを得ないのは、脅迫状やネット上の攻撃を奇貨として自己防衛を図るかのような、朝日の姑息な精神である。
天声人語子は「過去の報道の誤りに対する批判に本紙は真摯に耳を傾ける」と書き、「キリスト教に基づく人格教育を掲げ」ている北星学園大が「慰安婦報道に関わっていた元朝日新聞記者が非常勤講師を務めていることを問題視され、辞めさせるよう要求されている」、「報道と関係のない大学を暴力で屈服させようとする行為は許されない」と主張する。
くどいようだが、どんな場合にも言論の自由を守るのは当然で、その点は何の異存もない。しかし、天声人語子には敢えて問いたい。植村氏は北星学園大の人格教育にどのように貢献すると考えるか、と。
23年前、女子挺身隊と慰安婦を結びつける虚偽の記事を書いた植村氏は、10月14日の今日まで、自身の捏造記事について説明したという話は聞こえてこない。今回、古巣の朝日に登場して、「捏造した事実は断じてない。今後、手記を発表するなどしてきちんと説明していきたい」と言っている。
一般論に薄めて責任逃れ
氏が説明責任を果たすのは当然だが、朝日の慰安婦報道検証記事から既に2ヵ月と1週間以上、この間、氏は何をしていたのか。手記でも何でも一日も早く発表せよ。言論人としての誠実さの一片でもあれば、疾うの昔に説明はなされていたはずだ。
23年間、捏造報道の訂正も説明もせず頬被りを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが、一体、大学教育のあるべき姿なのか。
「大学の自治」「学問や表現の自由」の大切さは天声人語子に指摘されるまでもない。しかし、植村氏の捏造報道と学問の自由、表現の自由は異質の問題である。自由と責任は表裏一体だ。言論をもって主張する自由と、その言説に重大な疑義が生じた場合、説明し誤りを正す責任は、一体でなければならない。
こうした事には全く触れず、「気に入らない他者の自由を損ねる動きが広がる。放っておけば、社会のどこにも自由はなくなる」など、およそ誰も反対しない主張を天声人語子は振りかざす。その主張は、しかし、居直りでしかない。
天声人語子以下、朝日全体が「批判に真摯に耳を傾け」ているとは到底思えないのが第三社会面の記事だ。そこで朝日は、8月5日の紙面で植村氏が「『慰安婦』と『女子挺身隊』を誤用したことを認めた」と書いている。だが、91年8月11日、植村氏は次のように報じている。
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』が聞き取り作業を始めた」
この女性、金学順氏は女子挺身隊の一員ではなく、貧しさゆえに親に売られた気の毒な女性である。にも拘らず、植村氏は金氏が女子挺身隊として連行された女性たちの中の生き残りの一人だと書いた。一人の女性の人生話として書いたこの記事は、挺身隊と慰安婦は同じだったか否かという一般論次元の問題ではなく、明確な捏造記事である。
それを朝日は、当時、両者の違いは判然とせず、植村氏は「誤用」したと説明する。一般論に薄めて責任逃れを図る。これでは「批判に真摯に耳を傾ける」などと言う資格はない。
日本のメディア史上、これほどの深刻な濡れ衣を日本に着せた事例は他にないだろう。それでも、朝日は居直り、自らを被害者と位置づけ、自己防護に走る。朝日が終わりだと確信する理由は、この恥ずかしいまでの無責任さにある。読者に信頼され、内外への影響力を保持する言論機関としての朝日の生命は、社会党が往時の面影もなく衆議院で2議席ばかりの社民党となり、政党として終焉に近づいているのと同様、尽きつつある。
朝日の犯した間違いは慰安婦問題だけではない。歴史の転換点で悉く間違えてきたが、慰安婦はその一例にすぎない。
思想的偏り
戦前の朝日がどれだけ戦争を煽ったかは今更指摘するまでもない。広島、長崎への原爆投下の後でさえ、昭和20年8月14日の社説まで、一億総火の玉となって鬼畜米英と戦えと国民を煽動した。そして戦後は手の平を返した。
戦後は専ら、自らの過去の責任に目をつぶり、戦前戦中の日本を悪とする論陣を張った。イデオロギーに凝り固まる余り事実を見ない。或いは自らの主張に沿った形で選択的に事実を取り上げる。時には捏造もいとわない。結果、絶望的な間違いを犯す。国家基本問題研究所副理事長の田久保忠衛氏は、朝日の思想的偏りを次のように語った。
「戦後、大きな影響力を持った朝日の論説主幹、笠信太郎は、日本の国際社会への復帰に際して全面講和を主張しました。朝日の主張とは反対に、日本政府はソ連や中国などを除いた多数講和(サンフランシスコ講和条約)で国際社会に復帰しましたが、これが正しい決断だったことは、その後の世界情勢を見れば明らかです。
それでも朝日は60年代、70年代、一貫して日米安保条約に反対の姿勢を示し、社会主義陣営に加担する主張を展開、米国の核は平和を脅かすが、ソ連の核は平和の核だというような主張をくり広げました」
冷戦時代、東西陣営の対立軸は、一党独裁と民主主義の対立だったにも拘らず、朝日はこれを社会主義と資本主義の闘いと捉えたとも、田久保氏は喝破する。資本主義はいずれ社会主義に敗れ、共産主義という理想の国家が実現するというイデオロギーを持ち続け、それが北朝鮮礼賛、中国の文革礼賛、ベトナム戦争での反米などにつながった。
「日教組支持、歴史教科書の反日的記述への肩入れ、尋常ならざる『南京大虐殺』の虚偽報道などもあります。慰安婦問題は、こうした多くの問題のひとつです」と田久保氏。
反省しない朝日を待つのは言論機関としての絶望的な衰退なのである。