「 泉田裕彦新潟県知事が展開する論は理解不能 」
『週刊ダイヤモンド』 2013年10月5日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1004
東京電力福島第1原子力発電所(以下1F)の一連の事故を防ぐ第一歩が、早期にベント(排気)を行って水素爆発を防ぐことだった点について異論はないであろう。そのベントに関して、新潟県知事の泉田裕彦氏が展開する論は、正直言って訳がわからない。
東電側が設置しようと、すでに工事の一部に着工したのがフィルター付きベントである。これは原子力規制委員会の決定により7月に施行された新安全基準で義務づけられた。
一方、東電は7月2日の取締役会で柏崎刈羽原発6,7号機の安全審査を早期に申請する方針を決定。フィルター付きベントは安全基準を満たすために当然、設置しなければならない。こうしたことの説明を含む書類を持って、7月5日、東電の廣瀬直己社長が新潟県を訪れて泉田知事と会談した。知事は地元への説明前に安全審査を申請する方針を決めたとして強く反発し、書類の受け取りさえ拒否した。
泉田知事は東電がフィルター付きベントの設置に着手したことにも強い不満を示したが、この種の感情論こそが原発問題を救いようのない支離滅裂の世界に落とし込んでいく。
周知のように1Fの一連の水素爆発は、ベントが遅れて格納容器内の圧力が高まった結果である。国会の事故調査委員会の記録を読むと、1Fの吉田昌郎所長は大津波発生の翌日、3月12日午前0時6分に、ベントの準備を命じている。それを受けて東電は午前1時30分に官邸にベントの申し入れをした。政府は午前5時44分に1Fから半径10キロメートル圏内の住民に避難命令を発令し、住民の避難が完了したか否かの確認作業を主として東電に行わせ、ベントが実行できないまま時間が過ぎていった。加えて、午前7時11分に菅直人首相(当時)が現場に乗り込み、吉田所長に状況説明を求めた。首相の行動で約2時間が奪われ、ベント作業はさらに遅れた。こうして12日午後3時36分、1号機が水素爆発を起こした。
どの専門家も悔やむことの一つが、なぜ各原発にフィルター付きベントを設置しておかなかったかということだ。チェルノブイリの事故後、日本を除く他国の原発ではフィルター付きベントの設置は常識となっていた。
実は日本でも設置すべきだという主張は展開されていたのだ。チェルノブイリの事故後、その必要性を日本で最初に主張したのが北海道大学の奈良林直教授だった。氏は、当時は電力業界にも強い反発があったと述べる。それは主にコスト面からの反対だったが、それ以上に強い反対が地元自治体や住民の側から表明されたとも語る。
フィルター付きベントを設置するための新たな工事の許可を申請すると、なぜそれが必要なのかと問われる。「安全のため」と答えると、では、いまの原発は安全ではないのかと問われる。
原発は「絶対安全」の前提で了承されているために、絶対安全なら追加工事は不必要なはずだという理屈になってしまう。電力事業者は摩擦を恐れるあまり、新たな工事はさらなる安全のためで、科学や技術は常に最新の要素を取り入れることが大事だという当然の論理を展開できず、黙り込んでしまったのが実態だったそうだ。
かくして日本の原発にはフィルター付きベントが設置されなかった。フィルターがついていればベント時、放射性物質は約1000分の1にまで取り除かれる。住民の健康被害の危険は大幅に低下する。吉田所長が決断したとき、住民の避難が完了したかを心配する必要もなく、すぐにベントができて、事故も発生しなかった可能性がある。
そう考えると、県への報告前にフィルター付きベントの工事に着工した東電よりも、泉田知事は7月5日に東電の資料の受け取りを拒否した自身をこそ反省すべきであろう。