「 『鑑定人尋問制限』から『専門参審制』など 医療過誤裁判では改革どころか改悪に向かっている 」
『SAPIO』 2001年2月28日号
司法改革が日本を変える 第8回
医療事故の中でも、医療機関側にその責任がある場合を医療過誤と呼ぶ。1999年1月、横浜市立大学病院では心臓の患者と肺の患者を取り違え、手術後に気付くという信じられない事故が起き、刑事責任を問われた。続く2月、東京の広尾病院では看護婦に誤って消毒薬を点滴され、女性患者が死亡するという事故があり、病院側がその事実を隠していたことが明らかになった。こうした医療過誤をめぐる報道はあとを絶たない。ところが日本では自分がじつは医療過誤に遭っていることさえ気が付かないことが多いとされている。仮に気付いたとしても医療という専門性の壁やその裁判の長期化、金銭的な問題から泣き寝入りするケースが少なくない。医療過誤裁判の現場を改めて歩いてみると、日本の司法改革が見落としている“もうひとつの司法危機”に気付かざるをえないのだ。
最近の医療科学の進歩には目ざましいものがあります。DNAの解析が進み、遺伝子操作はもちろんクローン人間の実現も可能なほどです。人間は完全に神の領域に踏み込んだと言えるでしょう。こうした科学の進歩は、不治の病とされていた病気の治癒を可能にするなどいろいろな意味で福音をもたらすと同時に、使い方によっては影の部分をも生み出します。だからこそ、科学や医学に倫理的価値をどう根づかせていくかが緊急の問題です。
科学の影の部分のひとつが医療過誤です。非常に進んだ医療の中で、思いもかけないことで多くの患者が命をおとしたり、症状を悪化させています。例えば患者を取り違えて手術する、薬と間違えて消毒薬を点滴するなど、呆れるばかりの医療ミスや医療事故が相次いでいます。こうした医療関係者側が起こす医療事故、つまり医療過誤は、医学の進歩と正比例するかのように増えており、いまや、誰にとっても他人事ではないのです。
元薬害エイズ弁護団のひとりであり、医療問題弁護団の代表として長年、医療過誤訴訟に取り組んできた鈴木利廣弁護士は言います。
「医療のなかには2つの危険が潜んでいます。1つは例えば盲腸という診断ができずに腹膜炎になって死亡する“病状悪化型”の医療事故。もう1つは、手術でミスをしたり投与された薬を飲んでショック死するなど、医療行為そのものの危険性から生まれてくる“医原病型”の医療事故です。この種の医療事故がかなりあることが次第に明らかになってきました」
日本における医療過誤訴訟の新受件数は、最高裁判所の統計によれば1年間に629件(98年)にすぎません。現実には医療過誤はもっと多く発生していると思われますが、実際にどれだけのケースがあるのかは正確な調査もなくわかりません。
「それを推測するものにハインリヒの法則というものがあります。1人の死亡者が出たとき、その背景にはヒヤッとするようなニアミスでけがをした人が29人いること、さらにそのうしろには、けがはしなかったけれど、ヒヤッとした人が300人いる。その300人に対する策を講じなければ、1人の死亡者は救えないという事故対策の考えです」
と鈴木弁護士。医師を「お医者様」といい、医師が間違いを起こすはずがないという意識の強い日本では、この割合はもっと高くなるかもしれません。
アメリカではハーバード大学の医学チームが、ニューヨーク州の84年1年間の救急病院における退院患者約300万人の中から1%の3万人を抽出して追跡調査を行ないました。その結果、全国で1年間に医療過誤で亡くなっている人の数は約10万人、医療事故の被害を受けている人が35万人いるという報告がされました。医療過誤で死亡している人は、交通事故死者の2倍にも及んでいたのです。
「アメリカでは、90年に医療過誤原告側弁護士のネットワークなどがつくられ、医療過誤裁判を変えていこうという動きが出てきました。その背景には、“医師は過ちを犯してはいけない”という価値観から、“医者も人間だから過ちを犯す。それも日常的に犯しているんだ”という考え方への変化があり、医者を一人一人罰していても医療事故はなくならないという見方をするようになったのです」(鈴木弁護士)
そして今、「人は過つもの」ということを前提にして、そのことを組み込んだ医療事故防止対策をつくるという考え方が欧米諸国での主流になっています。人間が過ちを犯しても、人命が失われることのないような仕組みをつくっていこうという考え方です。しかしこのような変化が生じていることを、まだ十分には意識していないのが日本の医療界です。
人間の犯したミスが人命を損なう事態につながらないための幾つもの防止対策を欧米諸国は打ち出し、実施してきました。そのひとつが、インフォームド・コンセントです。これは医師が患者に十分な説明をして、同意を得たうえで治療をするという考え方で、欧米では50年代から60年代にかけて、定着していきました。一方、日本でインフォームド・コンセントを承認した初の判決は、はるかに遅れて92年8月31日のことでした。東大脳外科での手術に関して、どんな治療を選ぶかについて患者の選択権、自己決定権のために説明が必要だということを明言した判決がはじめて出されたのがこの時だったのです。
余談になりますが、この判決を出したのは、東京地裁の魚住裁判長でした。薬害エイズの民事訴訟を担当した裁判長で96年3月29日の和解を実現させ、患者の被害状況をよく汲みとったあたたかみのある公正な所見を出した裁判長でした。
日本での医療過誤への対策は欧米諸国に較べて明らかに立ち遅れが目立ちます。そして、被害患者が救済を求めて起こす医療過誤裁判にも多くの困難がつきまとっています。
鈴木弁護士は、医療過誤裁判には3つの壁があると指摘します。
「専門性、密室性、封建性です。専門性とは、まさに医学という専門的な知識が必要だということ。密室性というのは、日本ではカルテが十分に書かれていないことと、病院内部でかばい合う体質があって、病院のなかで何が行なわれたのかがよくわからないこと。3つ目の封建性とは、医師同士のかばい合いで、鑑定人になった医師が被告の医師の不利になるような鑑定結果を出さない傾向があることです」
被害者である患者側にとって、こうした壁を乗り越えるのは容易ではありません。では、実際に患者側の弁護士はどのように医療過誤裁判を戦っているのでしょうか。
同じく医療問題弁護団のひとりである福地直樹弁護士はこう話します。
「まず第一の専門性の壁ですが、治療が誤っていたことを立証するためには、その疾病や治療に対する医学的な知識が不可欠です。弁護士は訴えを起こす段階では、少なくともその疾病や治療に関しては医者と同じレベルに立たなければなりません。裁判を起こしてから勉強するのでは全然間に合いませんから。協力医と呼ぶ、公正な立場でアドバイスしてくれる医師の存在も不可欠です」
そして第二の密室性の壁は、患者側の手元に診療記録など、間違った医療行為を行なったことを示す証拠がないことです。そのため裁判所を通して証拠保全の手続きをすることになります。
福地弁護士の説明です。
「裁判所の執行官が病院に行き、『○時に裁判所が来て検証します』とその時間の1~2時間前に証拠保全の決定を手渡し、その間にカルテをきちんと出しておくようにという命令を出します。何日も前に知らせていたのでは、カルテを書き換えられてしまう危険がありますから」
最近はカルテは提出されるようになったそうですが、ミスだとわかった段階で書き換えられてしまう可能性もあり、それは防ぎようがありません。カルテは本来患者に付属するものですから、いつでも自分のカルテを見ることができるようになっていれば、改ざんされる心配はありません。しかし、カルテ開示の法制化は、日本医師会の反対によって見送られました。日本の情報開示が先進国のなかでとりわけ遅れているといわれる理由のひとつです。
「日本医師会や国立大学病院、国立病院などでは独自にカルテ開示のガイドラインを出しました。しかし、それがきちんと実行されているかというと、かなり疑わしい。現場の医師の意識が変わらないままで、カルテ開示を断わられるケースもまだあるのです」と、福地弁護士。
そして第三の壁、封建性。医師同士のかばい合いについて福地弁護士はこう指摘します。
「裁判所が選んだ鑑定人というのは、当事者が出す鑑定書に比べて利害関係がないという前提になっている。だから公平だというわけです。ところが医師は他の医師の行なった医療行為を批判することを避けようとしますし、鑑定人が被告から推薦を受けていたり、被告の医者の友達だった、というようなケースもあるのです」
『手術室の中は闇』(講談社)の著者である、井上外科胃腸科病院の井上毅一院長も指摘しました。
「日本の医師や病院は、事故の原因を明らかにしようとせずに、隠そうとばかりして、何一つ教訓としてきませんでした。そして他の病院や医師の医療ミスに気付いても、同業者同士、見て見ぬふりをしてかばい合ってきたのです」
指摘されたような医学界の現状が医療ミスや医療事故を続発させる原因ともなり、裁判の場においての密室性、封建性の壁となっているわけです。
欧米諸国では、日本でみられるような医学界の排他性や密室性を排除するために非常に多くの努力を払っています。例えばカルテです。アメリカでは、転院するときはカルテが自動的についてきます。カルテは患者に属するもので医師や病院のものではないという考え方が徹底しているからです。また医療情報開示も徹底しています。例えばインターネットにキャンサーアクセスというホームページがあり、仮に乳がんを患ったというときにそこにアクセスすると、何十種類もある薬に対して、どの薬がどの段階で使われるかの情報が出てきます。また、病院ごとの各種のがんの治癒率も見ることができます。
あまりにも情報が多すぎて大変だという面もありますが、どの病院がどんな治療をしているのか、どこが治癒率が高いのかを、患者が知り、病院を選択することが可能なのです。
医師寄りの鑑定で下がった勝訴率
日本における医療過誤裁判の歴史は意外に古く、初めての判決は1905年(明治38年)に遡ります。鈴木弁護士の説明です。
「東大病院の産婦人科の助教授が卵巣嚢種の手術でおなかのなかにガーゼを忘れてきたという事件で、原告が敗訴したのが最初でした。初めて患者側が裁判によって救済されたのは、大正14年で、酔っぱらった医者が静脈注射の際、誤って筋肉内に注射液をたらしてしまい、神経障害を起こした事件です。しかし戦前までは、よほど誰がみてもおかしいと思えるような事件でなければ、患者は勝てませんでした」
しかし1963年(昭和38年)の「東大輸血梅毒事件」から判決の流れが変わります。梅毒に感染していた男性が提供者になり、輸血を受けた女性が梅毒に感染したこの事件で、最高裁は医師の注意義務について次のような判決を下したのです。
「人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのは巳むを得ないところといわざるを得ない」
この後、しばらくの間、患者側の高い勝訴率が続きました。ところが82年5月2日を機に、再び流れが変わります。当時の服部最高裁長官は憲法記念日の前日の会見で、次のように述べました。
「(住民訴訟や医療過誤訴訟など)従来の裁判官の知識経験だけでは処理できない問題を含んでおり、裁判官が過去の実績、経験に安住することは許されない」
非常に理に適った話だと思います。ところが実際には、医療過誤訴訟は被害者に厳しい方向に向かって行ったのです。
その間の経緯を鈴木弁護士はこう説明しました。
「この年の5月の連休明けに、最高裁は司法研修所のなかに専門研究会をつくり、医療過誤訴訟を取り上げました。被告側の代理人を呼んで裁判官にレクチャーさせ、裁判所は、医療事故は不可避なものだという理解を深めてしまったのです」
82年、日赤高山病院未熟児網膜症事件で、最高裁は、
「注意義務の基準となるべきものは、診察当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」
という判断を下し、原告の患者側が敗訴。以後、患者側の勝訴率は下がっていきました。
また、裁判の現場でも変化がありました。いわゆる“鑑定多用型”への転換です。
「それまでは鑑定医の意見も取り入れるけれど、被告の医師の尋問やそれ以外のお医者さんの尋問や文献など、いろいろなものを総合して判断してきた。それが基本的に鑑定医の意見に従って判決を出していこうという流れになり、勝訴率が下がっていくのです」と鈴木弁護士。
鑑定を担当するのは医師です。その意見を突出して重視するとしたら、医者同士のかばい合いの体質が厳然として存在する日本では、司法の判断はどうしても、医師側に有利になっていくと考えざるを得ません。
その後、薬害エイズ事件を大きなきっかけとして、医療への不信がより表面化し、医療過誤訴訟の件数も増えていきます。同時に医療過誤原告の会や医療事故情報センターなどもつくられました。そして医療問題弁護団の努力もあって、少しずつ勝訴率は上がってきました。
判断を放棄した日本の裁判所
96年1月23日、最高裁小法廷は画期的な判断を示しました。それは医療水準についてです。医療過誤や薬害事件に関して、「平均的医師が現に行なっている医療慣行」に従っていたことが免責の理由にならないというものです。医師に求められる実行すべき医療水準は「平均的医師が現に行なっている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく」と断じたこの判断は、医師に、最先端の医療情報に基づいて患者の治療にあたることを求めているともいえます。医療過誤を起こさない責任を、より強く医師側に求めたともいえます。
同時に裁判所は、この流れに逆行するような方針も取り始めています。鑑定人尋問はやらないという方向への動きです。
「例えば“医師には責任がない”というような鑑定書が上がってくると、その鑑定人を尋問したいと考えます。鑑定書のこの部分はどういう意味なのか、どういう過程でこういう結論に至ったのかと問いたくなります」
と福地弁護士が言うのも当然です。裁判所が選任する鑑定人が、裁判所の言うように「公平な第三者」であるならよいのですが、もし、そうでない場合、何の尋問もできないのでは、真相の究明はできません。
「以前から裁判所は医療過誤裁判については鑑定に依拠して、鑑定書通りの判決文を書くという傾向が見られるのです。もちろんそうでない裁判官もいますが、裁判所自身が事実認定し、判断するという姿勢がどうみても稀薄なのです。そのなかで鑑定人尋問を許さないということになると、患者は救われ難くなります」(福地弁護士)
これでは司法“改悪”にもなってしまいます。
これまでは、鑑定人への依頼があまりにも“お上”の発想で一方的だったため、鑑定人の引き受け手が少なくなってしまい、改善のために鑑定人の声を聞き、出てきたのが鑑定人尋問をやめてほしいという要望だったといいます。鈴木弁護士が弁護人側の問題を指摘しました。
「それは、自分の事件を有利に解決するために、科学を離れて罵倒したりするような弁護士がいることも理由のひとつです。あまりにも戦術的・戦利的な考え方に、医学者たちは良心的な人も含めて怒り始めている。この点は弁護士側も反省しなければいけないことだと思います」
とはいえ、鑑定人尋問をなくしてしまっては、裁判の公正を損なうことになりかねません。
さらに問題なのは、専門参審制の導入です。
一般に参審制とは、一般国民が審理に参加するもので、判決に一般国民の常識を反映させるために意義のあるものだと思います。しかし、専門参審制は、専門家である医師を裁判に参加させ、裁判官と同じ立場で審理に関与し、判断していくというものです。
「裁判所が自分で判断できないから、専門家の意見を聞きたい。そのために初めからべったりついてもらう、というのが専門参審制です。しかしこれでは専門家である医者の意見が裁判所の意見になってしまう。裁判所の判断がなくなってしまう。これは裁判官の職務放棄であり、司法権の放棄です」と福地弁護士は憤ります。
アメリカでは、医療過誤訴訟でも陪審制がとられていて、一般国民の常識がそこには働きます。被害者の痛みがわかる人たちの判断が取り入れられます。ところが日本の医療過誤裁判では、専門家である医師に頼ることで医師側に有利な方向での改革が進められようとしているといえます。
司法改革で被害者保護の必要性が叫ばれるなか、これは逆行する動きと言わざるをえません。
医療過誤裁判全般に対する裁判所の姿勢にも問題があります。
「医療過誤裁判は、ほとんどが民事訴訟として争われます。民事訴訟の概念には3つあって、1つは紛争解決機能、2つ目は権利保護、3つ目は司法秩序の維持です。ところが日本の裁判所は、伝統的に紛争解決機能をいわば唯一の機能としてきたような傾向があるのです」(鈴木弁護士)
社会をあるべき姿に近づけて、当然守られるべき権利を保護してほしいという考え方にウエートを置く一群の訴訟を、アメリカでは公共訴訟と呼び、日本では現代型訴訟と呼んでいます。
医療過誤などはまさに現代型訴訟の典型ですが、裁判所の関心は紛争解決に絞られがちです。例えば医療過誤訴訟で損害賠償請求をした場合、損害賠償に焦点をあてがちなのが裁判所の姿勢です。
「しかし医療被害にあった人たちが求めているのは、まず第一に、原因を究明してほしいということなんです。そして過ちがあったのなら謝ってほしい。そして二度と同じ過ちを起こさないでほしい。つまり、今回の被害が無駄にならなかったという証をつくってほしい、というのが被害者の思いなんです」(鈴木弁護士)
医療被害をなくしていくにはどうすればいいのか、もし被害に遭った場合、患者の思いの部分も含めて、いかにすくい取っていけるのか。そこにこそ司法は向かっていかなければならないと思います。