「 トランプディール外交、ロシアに有効か 」
『週刊新潮』 2025年3月13日号
日本ルネッサンス 第1138回
2月28日の米ウクライナ首脳会談決裂はトランプ米大統領とのつき合い方に関する大きな教訓である。1980年代後半、レーガン元米大統領は一発の銃弾も撃たず旧ソ連を崩壊へと導いた。今回プーチン露大統領は銃弾どころか言葉ひとつ発することなく西側の団結を粉砕した。
ゼレンスキー大統領は大国アメリカの大統領と副大統領に、世界が見守る中でやりこめられた。ヴァンス副大統領は「(米国の支援に)一度でも感謝の言葉を述べたか」となじり、トランプ大統領は人差し指を突きつけて「君にカードはない。カードはアメリカの手にある」と糾弾した。
そこで言い返したゼレンスキー氏の対応のまずさは当然指摘されるべきだ。しかし、ロシアが始めた侵略戦争をトランプ氏はウクライナが始めたと主張する。ウクライナは納得いかないだろう。もし米国が歴史問題で中国の大嘘を信じてわが国をなじるとすれば、私たちも到底耐えられない。それと似ているではないか。
ゼレンスキー氏は今回、鉱物資源開発を米国と合同で進める協定に署名するつもりで訪米した。合意内容は2月26日に正式な形で公表されており、トランプ氏も「(署名は)興奮する瞬間だ」と期待を寄せていた。首脳会談後は昼食を共にし、続いて協定書に署名する段取りが両国間で整っていた。だが、トランプ氏は怒りを抑制できず、会談をぶち壊した。
ディールのチャンピオンたるには感情の抑制が欠かせないだろうが、トランプ氏は感情の波に呑みこまれたわけだ。これで、元KGB要員で人たらしの天才(木村汎氏)、つまり騙しの天才といわれるプーチン氏を動かせるのだろうか。
今回の会談の目的は、⓵米国がウクライナの膨大な鉱物資源を手に入れる、⓶ウクライナを説得した上で、プーチン氏を停戦交渉の席につかせる、である。加えて期待値として次の目的もある。⓷プーチン氏をこちら側に引き寄せて中露を少しばかり引き離す、だ。
対中カードにはならない
トランプ氏の公約はMAGA(アメリカを再び偉大な国にする)である。中国がアメリカを追い越すような事態は許さないということだ。それにはまず経済で中国を圧倒せねばならない。これからはAI産業を制する国が勝利国となる。AIに必須の半導体は、レアアース等の鉱物資源なしには造れない。ウクライナの膨大な鉱物資源は中国との攻防を制するためにも、MAGAのためにも欠かせない。これが⓵の意味するところだ。
⓶については3月2日、ルビオ国務長官が米ABCテレビの取材に率直に語っている。「大統領はロシアをテーブルにつかせ、紛争を終結に導けるかを見届けようとしている」「ロシアの考えを聞かなければ、解決策は見出せない。だから交渉の席につかせることが大事なんだ」「交渉するのを妨げないでほしい。それをゼレンスキーがしてしまった」。
かつてトランプ氏はプーチン氏に、ロシアを再びG7へ仲間入りさせると語った。⓷と重なるが、そこには中露連携を弱めたいとの思惑がある。冷戦期、ニクソン大統領が旧ソ連と対抗するために中国に接近し、それを対ソのカードとして使った。今度は中国に対してロシアをカードにする発想だ。
複数の専門家は、しかし、ロシアの対中依存度が非常に高いという理由だけでなく、プーチン氏自身が中露関係の現状にさしたる不満を抱いていないと指摘してプーチン氏は対中カードにはならないと分析する。
こうした中、ゼレンスキー氏はいち早く交渉再開を望む意思を明らかにしている。トランプ氏もトゥルース・ソーシャル(自身が運営するSNS)でゼレンスキー氏に対して、「平和への準備ができたら戻ってくればいい」と投稿した。
トランプ氏にとって鉱物資源獲得は米国に実利をもたらす。現在中国が圧倒的シェアを持つレアアース市場を、米国主導に大転換させることになり得るからだ。トランプ氏が、プーチン氏が持ちかけるロシアの鉱物資源取り引きや鉱物資源大国のグリーンランドにも触手を伸ばす理由である。つまり、トランプ氏の中国と対峙する決意は揺らいでいないと見てよいだろう。これはわが国にとって好ましいことだ。
米国そして世界全体に迫る中国の脅威について、「ハドソン研究所」上席研究員・村野将氏の『米中戦争を阻止せよ』(PHP新書)が生々しく警告する。複数の敵対勢力に同時に対処する二正面作戦遂行の軍事的能力が米国には不足しているのが現実だ。米国では限られた軍事能力の下で、「複数の敵対勢力に対する抑止を維持し続けるためには、部分的に核兵器への依存を増やすこともやむを得ない、との考えが超党派の共通認識となりつつある」と村野氏は書く。
石破構文
敵対勢力による軍事行動のうち、私たちが最も厳しい形で直面するのが中国の侵攻である。仮に習近平国家主席が軍事的手段を行使するとすれば、それは間違いなく台湾に対してであろう。これは当然日本に対してということでもある。
国家基本問題研究所、総合安全保障研究会の衛星画像分析で、中国人民解放軍(PLA)が着々と準備を進めている実態が明らかになった。台湾及び日本を射程におさめるミサイル拠点がこの数年で急速に拡張、整備されているのだ。研究員の中川真紀氏は日本本土への攻撃が可能なミサイル部隊の整備について以下の事実を指摘する。
⓵吉林省の655旅団は日本全土をとらえる極超音速滑空弾道ミサイルを2020年から配備し始め、24年には一個旅団規模のミサイル運用を実現した。⓶山東省の656旅団には22年まで超音速巡航ミサイルが配備されていたが、24年には新型ミサイル配備の準備が始まった。⓷安徽省の611旅団ではDF-21Aミサイルが、射程が倍のDF-26に更新された。ちなみにこの旅団は習氏が去年10月17日に視察したところで、核ミサイルや核・通常対地ミサイルを運用している可能性がある。
この他にも日本全土及び台湾をとらえる複数のミサイル基地が存在しており、それら全てが攻撃能力を強化しているのだ。国基研企画委員で元陸上幕僚長の岩田清文氏は「PLAの対日攻撃能力が質、量共に飛躍的に増強されているのに対して、わが方にはPLAのミサイルを撃ち落とす能力が欠落している」と警告する。
またワシントンでは、台湾有事で「核がどう使われる可能性があるかだけでなく、(我々が)核をいつ、どこで使う必要があるか」が日常的に議論されていると村野氏は指摘する。
近年これほど中国の脅威が高まったことがない一方で、私たちは余りにその実態を知らない。軍事オタクと自称する石破茂首相は、国会での石破構文を多用した審議で自己満足している場合ではないだろう。予算成立のために立憲民主党をはじめ野党への妥協を重ねるばかりでは日本国の安全を保てるはずがない。
