「 戦後70年談話、日本らしい貢献を説け 」
『週刊新潮』 2015年4月23日号
日本ルネッサンス 第652号
安倍晋三首相の訪米と米議会上下両院合同会議での演説の日が近づくいま、吉田茂、鳩山一郎、岸信介ら先人たちの考え方や日米関係が思われる。先人たちは、戦後、共産主義勢力と反共勢力の熾烈な闘いが日本を舞台にして展開される中で、必死に日本の国益を探った。GHQの日本占領は、マッカーサーの下、保守反共で知られる参謀第2部(G2)部長のウィロビー将軍と、有能な弁護士で配下に多くの共産主義者を抱えたリベラル色の強い民政局(GS)局長のホイットニー将軍の2つの勢力が競い合う形で進められた。
ホイットニーを頂点とするGSの勢力は旧ソ連や中国に強く共鳴した人々で、日本を二度と立ち上がれない弱い国に据え置こうとした。他方ウィロビーのG2は、日本は尊敬すべき国であり、敗れはしたがまともな独立国に戻るべきで、それがアメリカの国益だと考えた。前者は弱い日本派、後者は強い日本派と呼ばれる。
日本の不幸は、占領初期の2~3年の間、GSの力がG2の力を上回り、日本国憲法に典型的に見られるように、国家の基本部分に非常にリベラル色の強い左翼的枠組みが作られてしまったことだ。日本を弱い国のままにして、アメリカの庇護の下に置き続ける土台が作られたのだ。
アメリカは日本に武力保持を禁ずる憲法を作ったが、しかし、冷戦の萌芽の前で方針転換に踏み切った。日本がいつまでもアメリカのお荷物であり続けることはアメリカの国益にも適わない。日本は再軍備すべきだと、彼らは考え始めた。
日本は独立・国際法上も、また国の実態においても・を回復する機会に恵まれたわけだ。しかし、そうしたアメリカの働きかけは必ずしも歓迎されなかった。敗戦で国土を焼かれ家族を失った国民には、再軍備は戦争のイメージに結びついたかもしれない。軍事費を使わずに経済にだけ力を注いできた財界や政治家も、軍事的にアメリカに頼りきりの方が楽だと考えたかもしれない。歴代の首相は、安保改定や憲法改正は余りにも膨大なエネルギーを消耗する課題ゆえに、つい回避したかもしれない。およそ皆がアメリカによる再軍備と軍事力増強の働きかけを拒否しようとした中で、岸信介だけは例外だった。
「イージー・ウェー」
1950年3月、日本がGHQの占領下にあったとき、後の国務長官ジョン・フォスター・ダレスが来日した。ダレスは翌年の講和条約の内容を示し、日本に再軍備を求めた。時の首相、吉田は再軍備については「全く頑固で1インチたりとも譲り」はしなかったと、吉田内閣の外相、岡崎勝男は語っている(『ダレスと吉田茂』村川一郎編著、国書刊行会)。
当の吉田も「(ダレスは)かなり失望したな。再軍備の件だけではなく、不快感をもった様子だった」と語っている(同)。
すでに東西の冷戦が始まっていたこの時期に、頑として再軍備を拒絶した吉田を、ダレスは世界情勢の読めない男だと思ったのではないか。
その後、日本はサンフランシスコ講和条約に署名し、日米安保条約を結んだ。日本は一応独立を回復し、アメリカに基地を提供したが、アメリカは日本防衛の義務を負うわけでもないのに、日本国内で発生した紛争には米軍の出動が許されていた。まるで植民地のような取り決めで、安保条約改定は焦眉の急だった。
吉田内閣の後に誕生した鳩山一郎内閣は、55年8月、外相、重光葵を訪米させた。重光がダレスに改定問題を持ち出すと、ダレスは「かんで吐き出すような口調で」「日本にそんな力があるかね」と「一議にも及ばず拒否した」(『岸信介回顧録』廣済堂)という。
鳩山内閣は2年で退陣し、岸信介が首相となる。岸の訪米は57年6月、アイゼンハワー大統領と初めて顔を合わせた。このときアイクは、大使館に戻る岸を自分の車で送るという破格のもてなしをした。翌日の正式な首脳会談で岸が安保改定を申し入れると、ダレスは2年前とは打って変わって承諾、日米安保委員会の設置を提案した。8月初旬に委員会は発足し、約3年後、日米安保改定が実現した。
なぜ岸の申し入れは受け入れられたのか。岸が自主独立の気概と行動を示したからであろう。岸には2つの考えがあった。条約を根本的に改定する方法と、条約には手をつけず、交換文書で事実上の改定を相互に了承する方法である。
前者は両国の国会、議会の承認が必要だが、後者ならその必要はない。いわば「イージー・ウェー」だ。
原理原則は国益
岸は、たとえ困難でも日米両国民は安保条約の意義を充分に考えた上で改定する必要があり、日本は独立国として日本民族自らが日本を守るという本当の自衛精神を確立すべきだと考えたと語っている。
岸がアメリカに提唱した「日米新時代」は日米の対等を前提にしており、岸は日本が国力に相応しい自衛力を整える国防計画も定めていた。
こう考え行動した岸を、アイゼンハワーもダレスも信頼した。岸の描く日本国の形はアメリカの国益に合致すると彼らは判断したはずだ。
国家の行動の原理原則は国益である。岸の目指したのはまず日本の国益だったが、それは価値観を共有するアメリカの国益にもかなう。だからこそ受け入れられた。自主独立を目指し、より困難な道を選んだ岸に、アメリカ側は敬意を表するのを惜しまなかった。
いま日本が目指すべきは、岸のように、勇気をもって日米両国の国益に資する政策、戦略を実現することである。一言でいえば、全ての面における日米関係の強化である。
経済では環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の合意が最優先だ。アシュトン・カーター国防長官は「TPP合意はアメリカの輸出を1250億ドル(15兆円)分押し上げる」「米国がアジア太平洋地域への関与を続けていくことを強調し、米国の国益や価値を反映した国際秩序の推進に役立つ」として、TPPの合意は「空母1隻と同じ位重要だ」と語っている。
TPPは経済を超えて加盟国の価値観にまで影響を及ぼす。入りたくても入れず、アジアインフラ投資銀行の創設で世界を中国式金融で席巻しようと試みる中国の前で、日米が協力して世界モデルとしてのTPPを実現すべきだと、安倍首相はアメリカを叱咤激励するのがよい。
もうひとつは軍事である。アメリカが内向きになって生じた空白を日本が埋めていく前向きの気持と、憲法改正の困難な課題に取り組む心意気を伝えることだ。
歴史の反省は、戦後70年の日本の平和の歩みに反映されている。その上に立って日本の新たな平和への貢献を約束し、歴史を乗り越えるのがよい。