「 沖縄の二大紙が報じない県民の声 」
『週刊新潮』 2012年6月7日号
日本ルネッサンス 第512回
沖縄の二大紙、「琉球新報」と「沖縄タイムス」を幾十年か、記憶に定かでない程の年月、購読している。
感想を率直にいえば、両紙はもはや新聞ではないと思う。理由の第一は、両紙がまったく同じ記事を掲載することが少なからずあることだ。社説まで一言一句違わないという印象さえ抱いてしまう。手元の直近の紙面でいえば、第6回太平洋・島サミットの5月27日の記事である。琉球新報3面の「中国けん制狙う日本」「初参加の米と連携」などの見出しがついた10段の大記事は、同日の沖縄タイムスが2面と3面に分けて報じた「日本、絆維持に腐心」「中国、太平洋へ急伸」の見出しの、これまた大きな記事と一言一句違わない。恐らく共同通信の配信記事を見出しや段落の分け方などのみ各自が行って、中身はそのまま使っているのであろう。
物書きとしては、恥を知れと言うしかない。自分の足で稼ぐのが記者の誇り。自分の識見、洞察力で物するのが、社説を書く論説委員の誇りである。にも拘らず揃いも揃って沖縄二大紙の知的怠惰は甚しい。
二大紙の知的欠陥は記事内容の偏りにも顕著である。物事を公平に見たり全体像を把握する努力の跡が見えず、イデオロギーに凝り固まった記事をこれでもかこれでもかと読まされるのは、辛いものだ。
それでも私は両紙を購読し続けている。理由は沖縄の実態を知りたいこと、日本の行方を考えるとき、安全保障、歴史観、中国外交などを中心とする沖縄問題の解決が非常に重要だからだ。これらの事柄を筆頭にいわゆる沖縄問題は数多くあるが、いずれも不条理ともいえる捻れ方をしている。主な要因のひとつが二大紙の偏向報道だと言ってよいだろう。
二大紙の伝える「沖縄の声」や「沖縄の良識」が、必ずしも沖縄県人一般の考え方や感じ方と重なるわけではない。沖縄での取材や数百人を対象に度々行ってきたボランティアベースの講演の体験から、私はそう感じている。
反戦平和が免罪符
むしろ、両紙と沖縄県民の思いは離れる一方ではないか。たとえば今年2月12日投開票の宜野湾市長選である。反米軍基地闘争の立役者で当初、圧倒的に有利と報じられていた伊波洋一氏が、新人の佐喜真淳氏に僅差で敗れた。伊波氏は2010年の沖縄県知事選挙に宜野湾市長2期目を途中で退任して出馬して敗れ、2月の選挙で市長への返り咲きを狙い、再び敗れたわけだ。
同市には普天間飛行場があり、伊波氏が勝てば普天間問題の解決はさらに難しくなると見られていた。二大紙は伊波氏を持ち上げたが、県民、市民は結局、氏を選ばなかった。このことに見られるように、沖縄県民は必ずしも、米軍基地にはなんでも反対、自衛隊にはすべて反対、日本本土には常に強い反感を抱く、ということではないのである。
長年の沖縄取材で得たそのような沖縄観が、沖縄の小さな文芸誌「うらそえ文藝」(2012年5月号)で沖縄の人々の声として特集されている。沖縄の人々の本当の気持は二大紙の社論や報道とは重ならないと、同誌を読んで改めて実感した。
300余頁、年1回発行の同誌は「沖縄思想が対応する現実問題」と題した宮城能彦沖縄大学教授(社会学)と、詩人で同誌編集委員の星雅彦氏の対談をはじめ、「ゆすり・犯す」を主題とする5編の時事評論を掲載している。評論集の総合タイトル「ゆすり・犯す」が、ケビン・メア前米国沖縄総領事が学生たちへの講義で言ったとされた「沖縄はゆすりたかりの名人」という言葉と、田中聡前沖縄防衛局長がオフレコの場で語ったとされる「犯す前に犯すと言うか」との発言を指しているのは言うまでもない。
5本の評論の中には、沖縄人権協会理事長で、左翼運動の中心的な人物、福地曠昭氏の、メア・田中両氏に対する徹底的で感情的な非難の評論がある一方で、両氏への非難に事実関係から迫り、「ゆすり」や「犯す」という発言の存在自体を否定したのが、評論家の津嘉山武史氏である。どちらに説得力があるか。事実を押さえて、事の経緯を辿った津嘉山氏の評論の前では、福地氏の評論は色褪せて見える。
津嘉山氏は、「沖縄を始めとする反基地運動やその他の左翼的運動を積極的に行なっていた活動家で、土井たか子氏が代表を務める『憲法行脚の会』の事務局長」としての、猿田佐世という弁護士に言及し、メア氏は、「(猿田弁護士が)仕掛けた罠に、(略)見事に嵌められたという見方が今では一般的」と結論づけている。
反戦平和が免罪符となっている沖縄の言論界で、津嘉山氏の評論は言論人としての誇りと信念なくしては展開できないものだ。集団の力を恃んで碌に検証もせずに一方的な決めつけ記事を書く二大紙の記者、論説委員全員がお手本とすべきであろう。
同誌の迫力はここにとどまらない。「沖縄的」なるものの「偏狭」さを歯に衣着せずに語り、沖縄の甘えを分析した宮城・星両氏の巻頭対談こそ痛快である。
甘えの概念
宮城氏は1972年の沖縄復帰のとき、小学6年生だった。その世代には「私は日本人か沖縄人か、私は何者か」という問題意識があった。いまの若い世代は、その疑問と無縁でありながら、「自分は日本人というより沖縄人と言いたい」と主張するという。日本人であることに疑いをもつ必要がなくなった彼らが、そういった主張を許してくれる日本という国に甘えている結果だと、氏は分析する。多くの事象の基底に、甘えの概念がこびりついていると沖縄の知識人が指摘するのだ。そうした世論形成に貢献してきた二大紙の特徴を両氏はこう論じている。
「沖縄の新聞はこの10年、キャンペーンのためのペーパーなのかな」と感じてきたと宮城氏が言えば、星氏は、「沖縄の新聞のキャンペーンが国を動かすようなところにきている」「その味を覚えてつぎつぎ策謀するメディアが存在」し、「自己の捏造を許容し、他者の捏造を非難する」のだと応じる。
こうして出来上がった現代の沖縄の思想の特徴を星氏は、「反国家・反権力、日本に対する根強い異質感」と断じ、沖縄はこの風土の下で異論を封じ込めてきたと指摘する。異論を唱える人物には二大紙が先頭に立って、物事を捏造し非難し、凄まじい人格攻撃を行ってきたとの見方だ。現代の沖縄の学問、研究分野に人材が払底しているのは、沖縄の言論界において議論が封じられてきたからだとの両氏の分析は鋭い。
小さな文芸誌がこんなにも大胆に明晰に沖縄問題の本質を説き明かしている。二大紙となんと対照的なことか。このような文芸誌と論者が存在する沖縄に、私は大きな希望を抱きつづける。また明日から、我慢して二大紙に目を通していこうと思う。