「 日本を悪者に仕立て上げてしまった菅、仙谷両氏の歴史観 」
『週刊ダイヤモンド』 2010年9月18日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 854
サハリン韓国人の二世ら約2,000人が州都ユジノサハリンスクで、日本政府に法的責任と賠償を求める決議を採択したと、「毎日新聞」が9月7日付夕刊で伝えた。菅直人首相は8月10日に日韓併合100年の談話を発表し、サハリン韓国人への支援継続を約束したが、彼らは、それは法的措置を認めないための措置だと切り捨てている。
彼らは(1)終戦でサハリンの朝鮮人は一方的に日本国籍を剥奪された、(2)日本政府は日本人だけを帰国させて朝鮮人を置き去りにしたなどと主張する。
結論からいえば、サハリン韓国人について、日本国には国際法上も道義上も責任はない。にもかかわらず、右の決議がなされたのは、首相談話を出した菅首相と仙谷由人官房長官の責任だ。
この問題について多くを教えてくれるのが、新井佐和子氏の『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか 帰還運動にかけたある夫婦の四十年』(草思社)である。氏は1970年代からサハリン韓国人帰還運動にかかわり、サハリン韓国人の夫と日本人の妻、朴魯学、堀江和子夫妻と知り合った。数十年にわたる交流および綿密な取材を経てまとめたのが同書だった。
サハリンは45年8月9日、ソ連の日ソ中立条約破棄によってソ連軍の手に落ちた。日本は米国に、サハリンはソ連に占領され、サハリンからの引き揚げは46年11月、「米ソ引き揚げ協定」に基づいて始まった。そのときGHQは日本政府に引き揚げ対象者は「(イ)日本人俘虜、(ロ)一般日本人」に限ると命じた。
一方、日本が敗戦すると、南北朝鮮共に朝鮮人はもはや日本国民ではないと宣言し、彼らは日本国籍を捨て去った。日本政府が朝鮮人から日本国籍を奪ったのではないのである。占領下の日本国政府には国籍剥奪の行政力もなく、むしろ彼らの日本国籍離脱は南北朝鮮政府の固い意思だった。
新井氏はサハリンの朝鮮族には3グループあったと記している。1番目が先住朝鮮人で、ほとんどが朝鮮半島南の出身で韓国人である。2番目が戦後北朝鮮から派遣された労働者グループだ。朴氏はその数を5万人、ソ連漁業省次官スタリコフは2万人と報告した。3番目が共産党員、軍人、ロシア語のできるソ連系朝鮮人で、第1、第2グループの思想教育や管理に当たった。
日本政府は第2、第3のグループについて、なんら責任はない。第1グループにも、前述のように、責任はない。彼らが南北朝鮮のいずれかに帰還するとして、それはソ連と南北朝鮮政府の問題である。
だが、日本政府は人道的見地から、サハリン韓国人の帰還事業を援助し始めた。それを利用したのが、仙谷氏の親しい友人で、人権派弁護士の高木健一氏らだという。新井氏が語った。
「日本赤十字の事業は、外交ルートのない国家間の渡航を仲介する人道援助として始まりました。それを高木弁護士など一部の活動家や社会党が、植民地支配や戦争責任の賠償的性格を持つものに変えてしまったのです」
日本政府もこの根拠なき批判を受け入れた。
「それまでは里帰り費用として1億数千万円程度だった援助費が、94年の7月に村山内閣が発足すると、翌年度にサハリン韓国人一世の老人ホーム建設費が上乗せされ、一挙に33億円に跳ね上がりました」と、新井氏。
氏は、サハリン韓国人支援事業は打ち切るべきで、韓国とソ連が国交を樹立した90年で日本の役割は終わっているとして、こう述べた。
「サハリンにはもはや戦争当時の人はほとんどいません。日本の負担で永住帰国者のために韓国に建設したアパートには、戦後サハリンに渡った北朝鮮人まで入居しています」
結局、菅、仙谷両氏の歴史観が日本を悪者に仕立て上げ、窮地を招く結果となっているのである。