2008年04月10日

「チベット問題、首相は強く抗議せよ」

『週刊新潮』’08年4月10日号
日本ルネッサンス第308回


福田康夫首相は3月29日、チベットへの弾圧を続ける中国政府に関して、「声高に批判したり、いまから北京オリンピックと関連付けることは、今の段階で適当かどうかよく考えないといけない」「関係者間で冷静に解決してほしい」と述べた(『産経新聞』3月30日付)。

チベット問題の実態を弁えない首相が、一方的に中国政府側に偏った立場に立っているのは明らかだ。今回の騒乱に関して誰が最初に異議を唱えたか。それを知れば、首相の言う〝関係者間での冷静な解決〟が冗談に聞こえる。チベット人が置かれている現状は、それほど厳しいのだ。

3月10日に端を発するチベット騒乱は、僧侶たちの平和的なデモに中国政府の武装警備隊が弾圧を加え、暴動となって拡大、真っ先に声をあげたのがパンチェン・ラマのギャンツェン・ノルブ氏だった。
「我々は民族の結束を破壊し、国家を分裂させる如何なる動きに対しても、断固として反対する」

チベット人で、現在は日本に住むペマ・ギャルポ氏が語った。
「パンチェン・ラマのパンはパンリッタ、大学者という意味です。チェンは大きいという意味。つまり、パンチェンは大大学者という意味です。パンチェン・ラマは必ずしもダライ・ラマ法王の後継者の位置づけではありません」

だがそのような高位の僧が、今回の僧侶たちの抵抗運動を強く非難したのだ。なぜ、彼は他の僧侶たちとともに、チベット仏教を守るために立ち上がらないのか。背景にはチベット仏教の悲劇がある。

ダライ・ラマ14世は1995年に当時6歳だった少年、ゲンドゥン・チューキ・ニマ氏をパンチェン・ラマ11世として認めたのだが、悲劇はその直後に起きた。6歳の幼子が家族とともに姿を消したのだ。彼らを連れ去った中国政府は、別の少年、ギャンツェン・ノルブ氏をパンチェン・ラマに指名した。

以来、ニマ少年と家族の消息は不明である。昨年3月13日、米下院外交委員会チベット問題の公聴会では、「中国当局により12年間(現在では13年間)も隔離されている」ニマ氏の件が取り上げられた。チベット問題特別調整官のドブリアンスキー国務次官はニマ少年と国際社会の接見要求を拒み続けている中国政府に、不快感を示した。

パンチェン・ラマの言葉


他方、中国政府はノルブ氏を後援し、国際社会に紹介した。
「一昨年、中国政府は杭州で世界仏教フォーラムを開催し、ノルブ氏をデビューさせました。しかし、世界の仏教界の指導者の、誰も、ノルブ氏を真のチベット仏教のパンチェン・ラマだとは認めなかったのではないでしょうか」と、ペマ氏。

前述のようにノルブ氏は、僧侶らの抵抗を民族の結束を破壊するとして非難したが、それは中国共産党に向けられるべきものだ。中国のチベットへの軍事侵略と大弾圧は、1959年にチベット動乱と呼ばれる大々的な暴動をひき起こした。中国政府は9万人近い僧侶らを虐殺、ダライ・ラマ14世は、インドに亡命した。すると、中国政府は、パンチェン・ラマをチベット仏教の次の指導者として立てるべく画策した。彼らはパンチェン・ラマ10世のチューキ・ギャルツェン氏をラジオ局に連行し、ダライ・ラマ14世を誹謗させ、代わりにチベット仏教の指導者になることを宣言させようとしたのだ。

しかし、マイクの前に立ったパンチェン・ラマ10世は当時21歳。彼は大きく息を吸って一気に語った。
「私は、一日も早く、ダライ・ラマ法王が黄金の座に戻ることを期待します」

この言葉は、全チベット人の思いを反映したものだったに違いない。また、それはチベット仏教の教えでは、正しいことだったとペマ氏は主張する。チベット仏教では、パンチェン・ラマは、ダライ・ラマの教師ではあっても、ダライ・ラマの代行者とはなり得ないからだ。パンチェン・ラマをダライ・ラマの後継者と位置づけたのは、中国共産党の御都合主義でしかない。ペマ氏が語る。

「ダライ・ラマは、入寂すると別の人間の姿となって生まれかわります。ダライ・ラマの死に際して、チベット仏教界は摂政を選びますが、それはダライ・ラマの生まれ変わりを見つけ、育てるためです。その間の仏教の教えは、チベット仏教を支える四つの宗派が各々、行います。ダライ・ラマ入寂の日以降に生まれた子供のなかから、次世代のダライ・ラマが選ばれ、僧侶らによって教育されていくのが本来の在り方なのです。

ところが中国共産党は、パンチェン・ラマをダライ・ラマの後継者にすると決めた。これはチベット仏教を根底から覆すものです」

チベット文明の虐殺


さて、ラジオ放送で中国共産党の指示に逆らったパンチェン・ラマ10世はどうなったか。彼はその後、逮捕され、刑務所にブチ込まれた。そこで彼は10年間を過ごした。解放後も続いた中国当局の厳しい監視の下で、彼は最後の声を発した。
「我々は中国支配のなかで得たものより、はるかに多くを失った」

同声明の3日後、1989年に、彼は51歳で息を引きとった。先述したニマ少年は、10世の死の後に生まれた男の子だったのだ。
チベット社会は、いま、完全に中国共産党の支配下にある。社会の上位の役職に就き、潤っている人ほど中国政府への忠誠の証しとしてダライ・ラマ法王への非難を表明しがちだ。中国共産党の支配こそが、チベット民族を分断しているのだ。

チベットに関して中国政府が目指すのは三点に絞られるだろう。①ダライ・ラマ法王の死、②パンチェン・ラマ11世によるチベット仏教の支配、③中国共産党による次世代のダライ・ラマ選出。つまり、チベット人の心を支える仏教を、中国共産党が支配し、「チベット文明の虐殺」と呼ばれる事実上のチベットの死を目指しているのだ。

そのために中国政府は、活仏(生き仏)転生を中国政府の許可制とする「チベット仏教活仏転生管理規制」を昨年9月に施行した。共産党政府が幾千年もの歴史を持つチベット仏教を管理するのだそうだ。馬鹿気ているが、中国共産党は本気だ。そのためにはどんな犠牲も厭わない。

切迫した危機感のなかで、ダライ・ラマ法王は宣言した。「自分は共産党の下では生まれかわらない」と。中国共産党が選ぶ如何なる人物も、ダライ・ラマではあり得ないと表明したのだ。

チベットの人々が命をかけて闘ってきたこの半世紀余りの歴史に、なぜ、わが国の福田首相は目を向けないのか。中国に偏するあまり、その圧政下で苦しむ民族に、他人事のような視線しか向けられないとしたら、福田氏は首相として失格である以前に、人間として失格なのである。

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プロフィール

櫻井よしこ Yoshiko Sakurai

職歴

1971~74
クリスチャンサイエンスモニター紙
東京支局勤務
1975~77
アジア新聞財団
DEPTHNEWS  記者
1978~82
アジア新聞財団
DEPTHNEWS  東京支局長
1980~96
TVニュースキャスター
1980~現在
ジャーナリスト

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