「 中国が喜んだ台湾立法委員選挙 」
『週刊新潮』'08年1 月24日号
日本ルネッサンス 第297回
1月12日の台湾立法委員(国会議員)選挙はおよそすべての予測を超える野党国民党の大勝利だった。人口の85%を台湾人(本省人)が占める台湾で、台湾人の政党である民進党が結党以来の大惨敗を喫したのだ。
勝利した国民党は、定数113議席の3分の2を上回る81議席を獲得、27議席にとどまった民進党を圧倒した。国民党は総統を罷免することが出来る3分の2を易々と得た。さらに諸派・無所属議員から4人を加えると4分の3の85議席となり、憲法改正さえ可能な圧倒的な力を手に入れたわけだ。3月22日に予定されている総統選挙で、たとえ民進党候補が勝ったとしても、これでは非常に難しい政権運営となる。
国民党の迫害を受けて長年日本で亡命生活を送った経験のある金美齢氏は、民進党の敗北は昨年の日本の自民党の敗北より深刻だと強調する。
「日本には衆参両院がある。しかし、台湾は一院制です。台湾立法院での大敗北の意味は深刻なのです」
なぜ台湾人の政党は敗れたのか。経済成長の鈍化、失業者の増加、高齢者福祉の停滞といった、国民生活を重視しなかったとの批判に加えて、陳水扁総統の身辺の汚職や腐敗問題、台湾人意識を高揚させようと中国への対立姿勢を煽った結果、中国との関係がまったく進展しなかったなどの指摘がある。
逆に、よくやったという見方もある。
「陳総統は野党多数の下での議会運営を強いられてきた。国民党などの反対で思うような政策が施行出来ないなかで、たとえば台湾の株価は昨年1年で8%を超える伸び率を達成しました。一方、日本はマイナスでした。陳政権は日本よりも良い結果を残したのです」と金氏。
そうした事を忘れ、かつて国民党が継続して行っていた台湾人への迫害、白色テロの恐怖も、有権者は既に忘れているとも、金氏は語る。
「中国の脅威にどう対処するかという国の安全や独立のことよりも、生活第一という馬英九(国民党前主席)の訴えに人々は魅かれるのです。愚かなことだと思います」
国民党への李登輝氏の懸念
「生活第一」の考えのなかで、3月の総統選挙では、どのような結果が予測されるのか。李登輝前総統は、「国民党支持に大きく振れた振り子の勢いで馬英九氏が勝つのではないか。民進党の謝長廷氏(元首相)が勝つのは奇跡でも起こらない限り難しい」と見る。
「馬氏はどうしたら勝てるか、よく考えていますよ。現在の彼の特徴は゛低姿勢〟です。絶対多数を獲得した今も低姿勢を保ち、民主化を考える姿勢を示しています。民主化こそ、私が国民党主席だったときに実行したことですが、かといって馬氏について明確な見通しは言えない。馬氏が総統に就任するとしても、その後のことは、現段階ではわかりません」
李登輝氏は馬氏の考えは次の3点にまとめられると指摘する。①自分は中国人だという意識、②台湾は(台湾ではなく)中華民国だという信念、③中華民国の(中国重視、台湾軽視の性格をもつ)憲法は維持し、改正しないという立場、である。
台湾では「あなたは何人か。台湾人か、中国人か」との問いに、70%の人が自分は台湾人だと答えるようになった。ほぼ全員が「自分は中国人」と答えていた李登輝氏の総統就任以前の台湾とは様変わりだ。本省人として初の国民党主席を務め、その後、台湾独立に向けて備えてきた李登輝氏は語る。
「ですから、馬氏が総統に就任しても、公然と大陸に擦り寄ることは出来ないでしょう。馬氏は今のところ、中国の言いなりにならない、少なくともそんな印象を与えないように、心を配っています」
だが、自身を中国人ととらえ、台湾は中華民国で憲法は改正しないと馬氏が考えていること自体、すでに中国に大きく歩み寄っているのだ。その馬氏が率いる国民党の勝利を中国が大歓迎しているのは間違いない。余裕ある静観を決め込む中国を、李登輝氏は、「弾力的で静かな台湾政策で成功をおさめた」と評す。
着々と進行する台湾併合
国内では馬氏の低姿勢。外では中国の柔軟路線。いずれも不確かな、しかし、しなやかな台湾人取り込み戦略のなかで、台湾国民は国民党支持を続けて、外省人の馬英九氏を総統に選ぶのか。
「2か月先に迫った総統選挙で馬氏に勝てる反対勢力が台頭し得るのか、わからない」と李登輝氏は悲観的である。台湾が中国により深く取り込まれることの、アジア及び世界情勢への影響を氏が語った。
「米国の意思が決定的要素です。台湾を米中で共同管理するなどの考えが既に論じられています。北朝鮮問題を見ると、米国も中々変なことをしますからね。しかし、北京五輪後の09年以降、米中は西太平洋で指導力争いに入るでしょう。台日米ともに、シーレーンは譲れない。米国も容易には妥協しないでしょう」
米国は台湾の現状を守る側に立つとの見方だが、米国のアジア政策の予測は難しい。大統領選挙で民主党のヒラリー候補やオバマ候補が勝てば、根本から中国に傾いていくことが予想される。他方で共和党のマケイン候補が勝てば、状況は日本及び台湾有利へと大きく変わる。
中国の台湾政策の予想も、また、難しいが、ひとつ言えることは、中国は台湾世論を敵に回すような下手な手は打たないという点だ。台湾だけでなく、国際社会に向けて中国は、その経済成長と比例して、開かれた民主主義的社会を構築していくかのような幻想を与えている。だが、そもそも、中国が経済成長に比例して民主主義的国家に成長していくとの見方自体が楽観的過ぎるのだ。
人類の歴史で、経済成長は多くの場合、民主主義の成長を助けてきた。しかし、中国は明らかにそうしたこれまでの世界の事例とは異なる。
中国で、現段階で民主化が行われたと仮定すれば、それは中国に生まれた豊かな階層の繁栄を脅かすものとなる。中国の富裕層は、中国共産党との繋がりの中で生まれ、力をつけてきた。10億人ともいわれる農民を極貧状態に置き去りにしたうえに、彼らの繁栄や自由が成り立っている。民主化、つまり、一人ひとりの国民を公正に扱い、国内でも国際社会でもルールを遵守する法治国家に変身すれば、多くの違法行為によって富を成した現在の勝者は足を掬われる。経済成長によって潤い、社会の主流勢力となった彼らが、さらなる民主化を阻止する勢力となるゆえんである。中国では、経済成長は民主化社会の構築を意味しないのだ。
台湾が将来、中国に併呑されれば、台湾の民主化が妨げられ、歴史に逆行する結果になることはあっても、その逆はあり得ない。日本にとっての危機でもある。そのことが、3月の総統選挙で問われることを、台湾の人々に知ってほしい。