「 李登輝元台湾総統が語る「本当に頼れる国は日本」 」
『週刊ダイヤモンド』 2015年10月3日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1102
台湾安全保障協会主催の「アジア太平洋地域の平和と安全セミナー」で講演するために、久しぶりに台湾を訪れた。
米国が世界の警察官ではないと宣言し、中国が力に任せて膨張する中、中国不変の最大の狙いが台湾併合である。これまで台湾の強力な後ろ盾だった米国だが、実は中国との外交取引の中で、台湾擁護の政策は複数回にわたって揺れてきたというのが、台北にある国立清華大学アジア政策センターの主任教授で米国人のウィリアム・スタントン氏の主張だった。
どこから見ても台湾はかつてない深刻な危機に直面している。その台湾が最終的に頼れる国はどこか。国民党の馬英九総統は明らかに中国だと考えている。国民党と対立する台湾人の政党で最大野党、民主進歩党(民進党)は米国と日本だと考えている。
しかし、どこまで日米両国を信頼しているのかについては、民進党内でも世代間格差があるというのが、李登輝元総統の主張だ。
9月18日、台北のご自宅で2時間半余り、お話を聞いたが、李元総統はご自身より一世代若い台湾人は国民党の反日教育で育っており、自分の世代とは対日感情が違うこと、その代表が民進党の陳水扁前総統だったという。
「私が総統になって最初に取り組んだのが教育です。台湾人でありながら国民党支配下の台湾人は、子供に自分たちは台湾人であることを教えられなかった。学校の歴史の授業は中国のことばかり、地理も中国の地理です。私はそれを『台湾を知ろう!』と呼び掛けて、子供たちに台湾の歴史や地理を教えるため、教科書も新しくしました」
李総統主導の教育は「認識台湾」と呼ばれる。台湾人として李氏の後継総統となった陳氏はこの台湾回帰を鮮明にした教科書をやめてしまった。
「彼は日本の教育を受けていないから、その良さを知らない。反日教育が効いている」と、李元総統は明言する。
22歳まで日本人として過ごし、いま92歳の李元総統は、70年間、(国民党の)中国人と暮らしてきた。国民党の蒋介石主席(当時)の長男、蒋経国氏に引き立てられた。経国氏が総統に就任すると、李氏は副総統に指名された。なぜ、中国人ではない台湾人の李氏が引き立てられたのか。李元総統はこう断言した。
「正直で真面目だからです。とても日本的だからです。蒋経国は中国社会でもまれて、ロシアで暮らし、中国人、ロシア人について何でもよく知っている。その彼が中国的でもロシア的でもない極めて日本的な私を選んだ」
李元総統は日本人は誇りを持てと私を励まし、日本人があまり知らないかつての日本人の功績について語った。
「日本人が台湾総督府を開設したのが日清戦争後の1895(明治28)年。7月には芝山岩(しざんがん)に最初の国語学校が造られ、6人の教師が赴任しました」
日本はこのときから50年間台湾を植民地として支配したが、植民地統治を教育の徹底から始めた国は日本をおいて他にない。植民地支配を肯定する気はないが、それでも、日本国政府も国民も、教育を通して相手国を成長させたいと望んでいたことは評価してよいだろう。
日本から派遣された6人の教師は楫取道明、関口長太郎、中島長吉、井原順之助、桂金太郎、平井数馬各氏だった。6人の教師は1896(明治29)年、総督府での新年の会に参加すべく、早朝、芝山岩の学校を出発した。その途上、現地住民の襲撃を受けて全員が殺害された。
6人の師を悼む記念館が芝山岩に建てられ、今でも毎年2月1日に供養の法要が営まれている。惨殺の悲劇を超えて、芝山岩は日本が台湾人教育に力を注いだ証しとして大切に保存されている。日台の絆の深さを示す歴史がここにあると感じた。