「 元左翼学生が開く韓国の将来 」
『週刊新潮』 '05年3月3日号
日本ルネッサンス 第155回
韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領は、大統領選挙のときに額のシワ取り手術をした。最近は二重瞼の手術を受けた。医療上の必要性があったとも報じられたが、額の手術と合わせて考えれば、外見をよくしたいとの思いもあったと思われる。政治家が容貌を気にするのは珍しくない。金大中前大統領は公けの場に姿をみせるとき、往々にして厚化粧を施していた。だが盧武鉉大統領や金大中(キムデジュン)前大統領が容貌を気にする背景にはハングル文化のもたらす特異性があると韓国の友人が言う。
説明が少々長くなるが、理屈はこういうことだ。韓国が漢字の使用を事実上やめてハングルを多用し始めて約30年が経過した。漢字なしで平仮名と片仮名だけの日本語で30年も国民を教育したら、一体どうなるか。そのような文字環境で育つ人間は、言葉にこめられた概念を本質的に理解することが出来なくなるのではないか。彼らは、物事の本質を、意味でよりも、イメージでとらえがちになるだろう。理解は当然浅くなる。イメージ、スローガン、感情などに流され易くなる。
国民が考える能力を低下させる分、政治的には操縦が容易な国民がふえるということだ。政権側は実質的な政策論よりも、表層を飾りたてることによって国民の支持を得ようとするだろう。それが盧武鉉大統領の額と瞼の手術につながったというのだ。
ちなみにハングルを重用した最初の大統領は1961年に軍事クーデターで政権についた朴正熙(パクチョンヒ)大統領だ。彼自身は典型的な漢字世代で、今日の韓国の発展の基礎を築いたと評価されている。朴大統領が1971年にハングル重用政策をとったのは、彼自身農村の出身で、そこには漢字が読めない村人たちが多かったからだ。誰でも新聞や雑誌や本を読めるようにしてやりたいとの“ナイーブ”な想いでハングルを重用してはみたが、やがて間違いに気付いた。73年に再びハングルと漢字の混用政策に戻したが、ハングル重用の流れを止めることは出来なかったという。
非軍事政権が奪った言論
現在の韓国では親の名前や本籍地は無論のこと、自分の名前も漢字で書けない若者がふえている。漢字で書かれた親の名前を読めない若者も多い。おまけに彼らは本を読めない。ハングルだけの本は読めるが、少し考えさせる内容で、漢字まじりの本にはお手上げだ。そんな彼らにとって、ハングルは一体どんな意味を持つのか。言葉がその本質を喪い、一種の暗号と化しているのだろう。
彼らは情報や知識を文字媒体からでなく、圧倒的にテレビから吸収する。考えるよりも感じることが主体になる。漢字が読めないこの若者世代にアピールするために、盧武鉉大統領は手術をして、イメージ改善をはかったというのである。
盧武鉉大統領がテレビメディアを事実上コントロールし、新聞各社への圧力を強めていることは、2週に亘り本誌の特集でお伝えした。宋復(ソンボク)延世大学名誉教授が、歴代政権の言論弾圧を比較した。
氏は1960年にソウル大学政治学科を卒業、在学中の59年から韓国言論界のトップに位置する雑誌『思想界』の記者となった。1960年には李承晩(イスンマン)政権の下で学生たちによる4・19義挙が発生した。
「あのときの韓国は大変に貧しかった。春窮期といって、冬から春にかけて食糧が不足し、国民の半分は栄養不足で顔が黄色になり、むくんでいました。その様子をどのように形容すればよいのかわからなかったほど、酷い事態でした。大学を卒業しても就職出来たのは18人に1人の割合でした。学生たちの大規模な政権批判運動の背景には、貧しさと失業があったのです」
そのような社会状況の下で行われた選挙をきっかけに学生たちの怒りが爆発したのが4・19義挙である。
「私は4・19義挙を取材し報じました。以来ずっと、韓国の激動の政治を報じてきました。朴正熙時代には中央情報部に連行されて半月間取り調べを受けました。20代の私は当初、朴大統領の進めてきた産業化政策をきちんと評価出来なかった。しかし、学生たちが立ち上がった原因である貧困を克服するには、朴大統領の政策しかないということを、私はやがて理解したのです」と宋教授。
朴正熙大統領の政策を評価するという点で宋復氏は保守派である。だからといって、政権批判を手控えたわけではない。全斗煥(チョンドゥファン)大統領の時代にも盧泰愚(ノテウ)大統領の時代にも、宋氏は厳しい政権批判を行った。
「全斗煥、盧泰愚両政権は軍事政権です。けれど、言論の自由は確保されていました。長い軍事政権のあとに生まれた非軍事政権になって、皮肉にも言論の自由が露骨に規制され始めたのです」と宋氏。
韓国に高まる危機意識
金大中政権による言論の規制と弾圧は、徹底的な税務調査を梃子に行われた。盧武鉉政権のそれは金大中路線の延長線上に新たな新聞改革法をつけ加えた。当局に身を寄せるテレビ局とは異なり、韓国で厳しく問題提起をしてきたのは新聞である。だが、漢字が読めない若者たちは、どこまで新聞を読み解き、情報を入手しているだろうか。どこまで韓国の現在の危機を認識しているだろうか。宋氏が語る。
「彼らは自分の境遇に不具合が生じてきた今、ようやく、盧武鉉政権への疑問を抱き始めています。政権は種々の経済統計を発表していますが、誰もそんな公式発表など信じていません。民間シンクタンクの統計は、若い世代の失業問題の深刻さを指摘しています。いま、ソウル大学を優秀な成績で卒業しても就職は難しいのです」
大卒者の就職率はなんと、15%にも充たないという。卒業して就職浪人になるよりは休学の道を選ぶ学生が急増しているのだ。
3年前の選挙で盧武鉉氏を支持した若い世代は、就職難に直面して盧武鉉政権の政策への疑問を、ようやく実感し始めたといえる。大企業の成長を優先させるよりは、国民への福祉を充実させ、富を分配し、平等な社会を作ると公約した社会主義政策への支持が、そっくりそのまま、盧武鉉大統領への疑問に置きかわっているのだ。三星グループは、政権による余りの締めつけに、本社をニューヨークに移転して米国企業になることさえ検討したと言われる。盧武鉉政権は慌てて説得し、出資制限を緩和して翻意させたと報じられた。
韓国民はいま苦いレッスンから学んでいるという。歴史に逆行する社会主義路線も親北朝鮮政策も限界があり、日本と米国こそが重要なパートナーだと認識し始めたというのだ。
そのような見方をする最も強力なグループがかつての左翼学生で転向した人々、自由主義連帯のメンバーだ。組織の作り方も運動の展開の仕方も知る彼らの活動に注目したい。