「 とてもあぶない国家無謬説 」
『週刊新潮』 2002年4月11日号
日本ルネッサンス 第14回
3月15日に『行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律案』が国会の総務委員会に提出された。
提出したのは、いまや静かに着実に日本を支配しようとする総務省である。読んでみて本当に驚いた。行政、つまり国は絶対にあやまちを犯さない善なる存在だという看板を高く掲げたような内容なのだ。国家は無謬(むびゅう)であるとした同法案の問題点は後に詳述するとして、こんな時代錯誤の法案がなぜ提出されたのか。
理由は国民総背番号制の実現にある。今年8月に、国民全員に11桁の番号が振られることはこの欄でもすでに報じた。住民見本台帳ネットワークと呼ばれる国民総背番号制で、究極的には国が国民の個人情報を一元管理する制度だ。
個人情報を番号制の下に集めれば、その悪用流用漏出を防ぐために厳しく管理することが必要だ。そのために国会は「政府は個人情報保護に万全を期すため、速やかに所要の措置を講ずる」という附則をつけて、住基ネット法を成立させた。
この「所要の措置」が個人情報保護法案である。同法案は各々国民の個人情報を保有している民間業者と政府(各役所)を対象とした2種類がある。民間業者を対象としたものが「個人情報保護法案」と呼ばれ、政府を対象としたものが「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律案」と呼ばれている。
前者は2001年に国会に提出された。個人情報保護という美名をまとった法案だが、開けてみれば物の見事にメディア規制法に変貌していたため、非常に強い反対論が巻き起こったことは周知のとおりである。
だが政府は今国会で三度同法案を審議し成立させようとの構えだ。
その一方で、3月になってはじめて総務省は後者の法案の内容を明らかにした。法案を総務委員会に提出し、委員会を通したうえで本会議で採決し成立させる構えである。
全部で53条にのぼる内容は、大袈裟でなく、悪寒に襲われる悪法である。行政機関(政府)の思惑と都合を最優先した悪しき国家主義を絵に描いたような内容だ。
情報公開に詳しい弁護士の清水勉氏が語った。
「まず、どのような方法でどこまで個人情報を集めるのかに関する規定が全く抜けています。官尊民卑の伝統が強い日本では、民のために仕事をしている官に情報提供するのは当たり前と、役人も国民も考えています。けれども、必要以上の個人情報を政府が持つ必要はないのです。それでなくとも、行政府保有の個人情報は膨大な量です。収集制限を明記すべきです」
第3条にはその他にも、行政機関が集めた情報は「相当の関連性」があり「合理的に認められる範囲」内であれば、他の目的にも使用可能との内容が書き込まれている。「相当の関連性」とは極めて曖昧な定義だ。「合理的」の範囲は行政府が判断するにすぎない。上の2つを合わせれば、個人情報利用範囲は拡散されていく一方で守られるはずはない。清水氏が語る。
「第8条には『行政機関の長は、(中略)利用目的以外の目的のために個人情報を自ら利用し、又は提供することができる』と書かれています。『必要な限度で』『内部で利用する場合』は、個人情報をいかなる形で使ってもよいということは行政機関は職務上必要があれば、だれのどんな個人情報も利用できる、国民の情報は、実態として使い放題ということです」
「国家は正義」
驚くことに、同法案には、個人情報を適切に管理させるとの文言は入っていても、役人がそれらの義務に違反した場合の罰則規定が全くない。民間業者には罰則規定がしっかり盛り込まれているのとは対照的で「官は悪をなさず」のあやまった国家無謬説である。
こんな法案を、総務省は3月15日に総務委員会に出してきた。今国会で成立させるには残り2ヵ月強しかない切羽詰ったタイミングである。民間を対象とした法案がすでに1年前に出されていたのに較べてはるかに遅い。民主党の細野豪志議員が説明した。細野氏は民間業者を対象とした個人情報保護法案を審議する内閣委員会の理事である。
「内閣委員会と総務委員会で似たような法案を審議させて、ごちゃまぜにして一種の混乱状態の中で通してしまう戦術でしょう。法案を出してくるのが遅いために、野党の私たちも問題点の分析と理論武装が追いつかない状態です。しかし、2つの委員会で2つの個人情報保護の法案を審議して、一括して成立させなければならない理由はないのです」
官僚の手法はいつも同じだ。民主主義を旨とする国の公僕でありながら、民主主義を形成する最重要の、正面からの議論を避けるのだ。国民の前に公正に提出して説明し納得を得るというデュープロセスは形ばかりで、策を弄して自分たちの考えのみを具現化しようとする。自分たちこそがこの国の行く末に責任をもつとの思い込みだが、彼らは、真に、いかほどのものか。
慇懃(いんぎん)ではあるが、真の礼節や信義に欠けている。「たった10人の拉致で日朝交渉が妨げられてはならない」と語ったのは、外務省の槙田邦彦氏である。許し難い国民切り捨てのこの言葉は、しかし、槙田氏ひとりの思いではないはずだ。拉致発生から25年間、外務官僚の圧倒的多数が同様に考えてきたからこそ、なんの手も打たれてこなかったのだ。
厚生官僚も同じだ。1963年にサリドマイド被害で国家賠償訴訟を提訴されて以来、今日まで39年間もの長きにわたり、厚生省は一貫して薬害訴訟の被告であり続けてきた。司法が国家に責任ありという判断を突きつけたとき、控訴を断念し被害患者に謝罪したのは政治家の決断だった。官僚は常に、そのような政治家の決断に反対してきたのだ。
これがわが国の官僚の姿だ。その姿を法律にしたのが今回の国民総背番号制と「個人情報保護法案」である。同法案を突出して推進しているのが総務省審議官の藤井昭夫氏や竹島一彦内閣官房副長官補らである。
彼らはどんな思いでこの個人情報保護法や国民総背番号制を実現させようとしているのか。作家の城山三郎氏が興味深いことを述べている。氏は個人情報保護法に強く反対しており、そのことを伝えるために昨年小泉首相に会った。当時のことを昨年9月25日号の「AERA」誌上で次のように語っている。
「竹島(内閣官房副長官補)さんと一緒にいた若い人(官僚)が何回も国民に大きな網をかける必要があると言うんですね」
怖いはなしだ。国民に網をかけてどうするのか。国民の動向を完璧に把握し、支配下におき、官僚らは安心してさらに25年間拉致問題を放置しようというのか。これから先の39年間も被告でいようというのか。私たちはこのような官僚の独走と横暴を許さない。国民を代表する政治家は官僚に乗せられてはならない。そして何よりも、心ある官僚たちよ、音もなく近づく毒蛇のような同僚のあやまった行動を許してはならない。心あらば公僕としての正論を述べよ。