「 脳髄スッカスカの農水官僚の『不作為』を糾す! 」
『諸君!』 2002年3月号
牛を狂わせ人を惑わせた罪と罰
アメリカは同じ危機にどう対応したか?
日本流行政の代償を払わされる酪農家の怒りの声を聞け
「木で鼻をくくるという表現がありますが、そのとおりの回答です。私たち農家の質問にはなにも答えていない。自らの責任は認めない。私らの要求は全て無視。話にならないというのはこのことです」
雪の北海道の笛木真一氏(51歳)から怒りの電話があった。氏は昨年末の12月17日、14戸の酪農家を代表して上京し、農林水産省に狂牛病(BSE)問題で要求書を突きつけたのだが、それへの回答が1月18日付で、送られてきた。
笛木氏は北海道標茶町虹別(しべちゃちょうにじべつ)の酪農家である。氏が代表する14戸をはじめ、全国で165戸の酪農家たちが、現在、農水省の監視下に置かれている。肉骨粉を牛に与えていたとの理由で、監視対象となった牛は全国で5129頭にのぼる。
笛木氏ら北海道の酪農家たちは、BSEの上陸を防ぎきれなかったのは、第一義的に日本政府の危機意識の欠落と防疫体制の不備が原因だとして、その責任を認めよ、と要求した。立ち直れないほどの損害を被った農家に経済的補償をせよ、BSEの冷静な分析によって安全宣言を行い、科学的な説明を尽くして国民の信頼を取り戻す道筋を示せ、と主張した。
その政府が送ってきた回答が、笛木氏らの怒りを増幅させた。
「農水省所管の農畜産業振興事業団体は『BSEと人にとってのリスクQ&A』の中で、繰り返し、『一部の農家』の肉骨粉の『不適切な使用』を批判しています。これは我々に責任を押しつけるもので、農水省の考えを反映しているのです。この言葉は、そのまま彼らに返してやります」
苦境に陥ってはいるが、酪農王国北海道の平均的な酪農家の約3倍の規模で経営する笛木氏らには、それでも怒る力がある。
しかし、BSE問題に襲われたが最後、いったいどれだけの農家がその重圧に耐えられるだろうか。笛木氏をはじめ、取材した農家が訴えたのは、BSE問題のもたらす経済的、精神的痛手だった。
笛木氏が語った。
「たった今、『猿払(さるふつ)のひと』が廃業することに決めたという報せが入りました。奥さんがショックで立ち直れないと。医者から、このまま続けるのは無理だ、環境を変えなさいと言われたそうです」
「他人事じゃない」「気の毒で気の毒で」と笛木氏が繰り返した「猿払のひと」とは、昨年11月21日に、国内で2頭目のBSE感染牛を出した酪農家のことである。
士幌(しほろ)町で肉牛を育てている三浦隆氏(40歳)が説明した。
「我々は牛が好きでこの仕事に就いた。しかし、好きな牛を最終的には処分して商品化するのも我々の仕事です。牛が好き、牛を殺す。この二つのことのギャップに、みんな悩むのです。しかし、牛に家畜としての本分をまっとうさせることによって、そのギャップを埋め、心のバランスをとっているのです。それが出来なくなったとき、ショックに陥るのはよく分かります」
「猿払のひと」は夫婦二人で乳牛82頭を飼育するごく平均的な農家だった。彼らは飼料の購入も乳の出荷も全て、農協を通して行なっていた。牛に肉骨粉を与えていたという認識どころか、9月10日に千葉県でBSE感染牛1頭目が発見されるまで肉骨粉が飼料として使われていることさえ知らなかった。
「なぜ、自分の牧場からBSEが出るのか」という疑問を解く間もなく、彼らの乳牛のうち62頭が行政によって殺処分されてしまった。
庭先で殺処分される牛
内田純夫氏(仮名・50歳)は笛木氏と同じく、農水省の監視下に置かれている酪農家である。飼育頭数は百数十頭、その約半分に肉骨粉入り飼料を与えた。
「肉骨粉を与えられた牛は、危険視されて食肉処理場では処分してもらえず、我々農家の庭先で薬殺されているのです」
もし、持ち込まれた牛がBSEに感染していた場合、食肉処理場には使用した機材の消毒、そこで働く人たちの健康管理投資など、二次感染を防ぐためのさまざまな負担がかかる。だから食肉処理場側は当然、肉骨粉を与えられていた牛の処分に積極的ではない。そこで、農業共済組合の獣医師がやってきて処分する。処分した牛は、最寄りの家畜保健衛生所(家保)に運ばれBSEの検査にまわされる。
さすがに、なんの設備もない庭先での殺処分は、農家への負担が大きいとして、今では生きたまま家保に運び込めることになったが、通常7,000円の運賃は農家の負担である。このあたりにも、「BSE問題は農家の責任」という行政の意図が見え隠れする。
「女房も私も、こんなことは耐えられません。無念の一言でしかありません」
内田氏が深い息を吐き、大粒の涙を落とした。同じ思いの農家は全国津々浦々にいるはずである。
「猿払のひと」は、牛の大半を処分されても、なんとか再建しようと、手元に残された子牛に「ネバー・ギブアップ」と名づけた。それでも結局、廃業に追い込まれた。
東宗谷農協猿払支所の担当者、加藤貞夫氏が説明した。
「農協としては、この方たちの経営再建を計画してきました。しかし、12月に飼育牛の大半を処分されて、奥さんがストレスから体調をくずし、旭川病院の診断で、環境を変えたほうがよいということになり、廃業を決めたのです」
廃業する彼らの手元には、なにが残るのか。加藤氏が語った。
「我々も見舞金を出しましたので、当面の生活資金は十分だと思います。ただ右から左に仕事があるわけではありませんし、全てはこれからです」
「当面の生活資金」とは、あくまでも数カ月分のこと。しかも、この「農家が受け取った処分された牛の代金は、借入金の支払いの一部として農協に入れてもらった」とも加藤氏は語った。
だが、肉骨粉は農協が売った配合飼料の中に入っていた可能性もあるのだ。或いは生後すぐに与える代用乳の中に感染原因物質が入っていた疑いもある。政府が感染経路の特定をしようとしないため、真相は明らかでない。その分、推測するしかないが、そうした飼料代も農家の借入金の一部かもしれない。にもかかわらず、農協は、国際比較で3割は高いといわれる飼料を農家に売り、BSE発生後は農家から借金を取り立てているのだ。
国は、牛の処分にあたり、価格の8割を補償すると大見得を切ったが、それでは、この農家が受け取ったであろう牛の代金はどれほどか。笛木氏が試算した。
「今回我々が受け取った農水省の回答にも、損失の補償に関しては、牛の評価額の5分の4を手当金として交付すると書いてきました。手当金の基になる金額は、年老いて乳の出なくなった『老廃牛』を販売する時の枝肉価格です。
かつて老廃牛でも一頭14~15万円になりましたが、今は枝肉1キロが141円と算定されてます。
牛を解体して枝肉になる歩どまりを50%とすると、600キロの牛を1頭売れば、141円×600キロ×50%で42,300円です。その5分の4が手当金ですから33,840円。しかし、家保までの牛の運賃約7,000円は農家の負担で、手元に残るのは26,840円。1頭30,000円にもならない勘定です」
8割は8割でも、下落した肉の価格の8割だ。それっぽっちの手当金が出されても、ほとんどなんの役にも立たない。農協に返済しても、借金が大幅に減るわけでもない。廃業以後の生活資金は牧場と建物を売り、全ての借金を払い終えてはじめて、まわってくることになる。しかし、大半の農家が数千万円の借金を有し、億単位の借金の農家も少なくないといわれる中、廃業は即、生活苦につながりかねない。
BSEの牛を出せば、1歳になるまでの間に同じ牧場で同じ飼料を食べていた牛は「疑似患畜」と見なされ殺処分される。「猿払のひと」のケースにみられるように、感染していてもいなくても全頭が殺処分である。
だから農家はいま、自分の所に肉骨粉を与えた牛がいて、感染しているかもしれないと考えれば、本来、すでに処分すべき老廃牛であっても、怖くてその牛を処分することが出来ないでいる。処分された牛は昨年10月18日の農水省の決定で、全頭、BSEの検査にまわされるからだ。
もし、そこで感染牛を出してしまえば、前述のように、所有する牛の大半が疑似患畜として殺処分される。しかし、補償は不十分であるから、結局、廃業や生活苦が農家を待ち受けている。
牧場経営では、ほどよいタイミングで牛の世代交代を進めていかなければならない。どの牧場でも子牛は生まれ続ける。資本力に見合った営農規模を保つために、通常、子牛や妊娠した母牛の一部は売られていく。一方、老廃牛は殺処分され、牧場全体の世代交代が進められていく。しかし、この騒ぎで老廃牛の処分が進まず、牛の世代交代もストップしてしまった。こうして牧場にはいま、老廃牛の大群が溢れているのだ。
雪印食品関西ミートセンターが国産肉の買取制度を利用した詐欺容疑で事情聴取され、行政の補償体制に疑惑の眼が向けられている。
買取り制度とは農水省が、全頭検査の前に処理されたため売れ残った国産肉を、関連団体に買い取らせたものだ。その買取り金額が一部の輸入肉よりも高かったことから、雪印は輸入肉を国産と偽り、差益を得ていた。
しかし、この容疑は企業による詐欺事件である。これをもって、行政の補償が過分であるからこういう事件がおきたなどという誤解が広まれば、個々の農家はますます困窮に追い込まれていくだろう。
なぜ病獣(へいじゅう)処理場へ……
BSEについては科学論争が続いており、多くのことがいまだ解明されていない。たとえば牛乳である。
ノーベル医学生理学賞を受賞したカールトン・ガイデュシェックはBSEの感染原因物質が「ミルクの中に入っているかもしれない」と述べている。他方、これまで牛乳によってBSEが伝達された事例は見つかっていない。その結果、牛乳は安全だとされており、日本におけるBSE研究の第一人者、東大名誉教授の山内一也氏も、「牛乳はまったく問題ありません」と、著書『狂牛病 正しい知識』(河出書房新社)の中で書いている。
そうであるなら、一時期肉骨粉を与えた牛であっても、その牛の搾乳を続けることによって酪農家は収入を維持することが出来、廃業の悲劇と不合理を防ぐことが出来る。
BSE問題を必要以上の混乱の原因にしないためにも、科学に基づいた冷静な判断が必要とされるゆえんだ。
しかし、政府は一度でも肉骨粉を与えられた牛はすべて殺処分する構えで臨んでいる。
社団法人の北海道家畜畜産物衛生指導協会が、「家畜生産農場清浄化支援対策事業」を打ち出した。正式には「清浄農場維持防疫推進のための給与牛検査支援事業実施要項」という長い名前の事業で、事実上、家保と一体である。この「事業」の背後には農水省の意向があると考えるべきだろう。
給与牛とは一度でも肉骨粉を与えられた牛のことだ。この事業は「BSEの防疫対策を推進するため、給与牛の検査を推進」するのが目的である。条件として生後12ヵ月までの牛なら1頭あたり131,000円が補償され、それ以上の年齢の牛なら下落した枝肉の価格に基づいて補償額が計算される。要は感染牛が出ていなくても、給与牛は早く処分せよということである。
500頭近い乳牛を飼育し、その半分以上が給与牛という酪農家、江頭達雄氏(仮名・45歳)が語った。
「牛舎に牛が溢れているのだから、自助努力で苦境を切り抜けるには、体力も気力もあるうちに新しい牛舎を建て増して、一からやり直すことだと考えました」
そんなところに上の通知が回ってきた。
「これでいけば私の牛の半分以上が処分されることになります。これでは私の牧場はつぶれてしまいます」
と言いながら江頭氏は「大丈夫」だとも言う。
「政府の言っていることは、実行出来るはずがないからです。今おきていることは、病獣処理場に老廃牛や給与牛を持ち込むことなんです。4月からはここでもBSE検査が始まりますが、それまでに出来るだけ多くの疑わしい牛をここで処分してしまおうということです」
病獣処理場とは死んだ家畜や病気の家畜を処理して焼却するところである。1頭につき14,000円の処理費がかかるが、ここで処理すれば、いまのところBSE検査は行なわれず、感染牛を発見されて給与牛全体が殺処分されるという事態を回避できる。しかも、町や農協が、さまざまな形でその処理費を援助しているというのだ。
「いま、こうして大量に処理していることを農水省が知らないはずはなく、見逃していると私は思います」
と江頭氏。
つまり、表向きの政策と実態との間には大きな乖離があるというのだ。日本の行政が機能しないのはこのためだ。行政はたとえ気付いていたとしても、知らぬ顔をする。それが、いざというときに責任をとらなくていい方法だと信じているのだ。
取材すればするほど、国民の食に対する安全性の確保に関して、政府のプロフェッショナリズムが欠落していることを痛感する。
たとえば初動のまずさである。昨年9月のはじめてのBSE牛の発見で、牛は焼却処分にしたと発表したあと、肉骨粉にされていたことが判明した。政府への不信は一挙に高まり、政府が安全宣言を出しても牛肉消費が戻らない原因をつくった。
掲げる政策はよくても実効が伴わない。政策と実態が乖離しすぎるのだ。たとえば、3頭のBSE感染牛発見のあとに日本が取った体制は、全頭検査であり、これは世界一厳しい基準だと政府は胸を張る。
しかし現実には病獣処理場でも処理されており、全頭検査は守られていない。
対策は危険回避のために十分厳しくなければならない。だが、同時に全頭検査がどのような理由で必要か。18万頭の感染牛を出した英国では30ヵ月以上の牛は食用には回されないが、30ヵ月未満の牛は食肉として流通している。BSEの検査は、小売業者からの要請があった場合に行なうことになっており、要請がなければ検査なしで食肉市場に出る。EU諸国では30ヵ月以上の牛は、BSE検査により、陰性を確認したうえで食用肉にまわしている。BSE大国の英国でさえ行なっていない厳しい検査体制を日本政府は敷いたのであるから、農家や国民に対して、日本の基準についての説明責任はあるはずだ。
さらに、それを実効あるものにするためには、まず、国の責任を明らかにして、農家や国民に協力を求めるべきである。「物心」ともに蔑ろにしながら、“お上”のいうことは聞け、という態度は通用しない。
英国でも、危険の発覚後、政府は市場価格の5割での買取りを行なったが、それでは生活が成り立たない農家が感染牛を闇マーケットに流し、そのことが被害を拡大させた。
その悪しき前例をどのように活かすか、日本政府の対策に明確な道筋は見えていない。
米国は発症ゼロ
米国の農業事情をよく知る米ウィリアム・マイナー農業研究所国際普及事業担当副学長、伊藤紘一氏は、米国の対処は極めて徹底していて、日本の対処法の対極にあったと指摘する。
米国で飼育されている牛は、乳牛肉牛あわせて約1億3,000万頭だ。大量処分前の英国の1,100万頭、日本の450万頭に較べて米国の畜産大国ぶりを示す数だ。
米国のこの膨大な数の牛の中に、1頭もBSEの感染牛がいないと断言することは、勿論、出来ない。感染牛がいても気付かれていないだけなのかもしれない。しかし、90年以来の検査体制の中で、まだ1頭も、疑わしいケースが発見されていないのも事実である。日米両国の対応はどのように異なるのか。
英国でBSEが見つかったのは1985年4月である。乳牛1頭が、従来の性格からは考えられない攻撃性を示し、かつ動きがバランスを欠きおかしくなった。翌86年11月に、この病気は公式に報告され、狂牛病として報道された。
87年6月には、英国農水食糧省が、BSEの原因は飼料の中の肉骨粉との仮説を打ち出した。88年7月18日には、肉骨粉を牛や羊などの反芻動物に与えることを禁止する措置をとったが、周知のようにその製造は禁止せず継続された。
英国産の牛の輸入禁止にまっ先に踏み切ったのがオーストラリアとニュージーランドで、1988年のことだった。オーストラリアは英国牛の精液、受精卵、飼料も輸入禁止の対象とした。人間よりも羊や牛の数が多い畜産大国の面目躍如である。
翌1989年7月には、欧州委員会が肉骨粉の飼料を禁止した88年7月18日以前に生まれた英国牛の輸出を禁止した。つづいて英国政府は6ヵ月以上の牛について特定危険部位の食用を禁止した。
米国が行動をおこしたのはこのあとである。一連の流れの中でみると、米国の対策の立ち上がりは必ずしも早くない。しかし、一旦動きだすと猛スピードで回転するあの国の姿が見えてくる。
89年に米国は、英国のみならず、BSEの発生した全ての国からの牛肉、牛の胎児血清、骨つき肉、くず肉、脂肪、分泌腺の輸入を禁じたのだ。
89年当時、BSEが発生していたのは英国、アイルランド、ポルトガルにとどまっていたが、その後、ゆっくりとスイス、ドイツ、フランス、デンマーク、イタリア、ベルギーなどへと広がっていった。米国の「全てのBSE発生国からの輸入禁止」措置は、BSEの伝播にしたがって、米国の防疫体制を強めたわけだ。
さらに、米国は農務省の動植物健康検査局(APHIS)所属の獣医師250名と家畜病理の専門家にBSEに関する情報の周知をはかった。
BSE感染牛の見分け方、発見した後の処理の仕方、飼料についての警戒など、多岐にわたる教育を施し、全米60ヵ所に拠点をつくり、早々とBSE診断体制を整えた。91年にはペットフードにも肉骨粉の使用を禁止した。
日本も90年には英国及びBSE発生国からの牛の輸入を禁止した。同時に、肉骨粉の輸入には「国際基準に基づいた加熱処理の義務付け」を決めた。だが、この決定はどのように実行されたのか。
北海道野付(のつけ)郡の獣医師でトータルハードマネジメントサービスの代表取締役、黒崎尚敏氏が指摘した。
「牛や豚にみられる口蹄疫の英国での発生をうけて、日本は早くから英国産牛肉の輸入をやめていたのです。90年の肉骨粉の加熱義務は考えとしてはよかったのですが、問題は決めたことを忠実に実行しなかったと思われることです。加熱不十分の肉骨粉が入ってきた事実の前では、行政の失敗は明らかです」
ちなみに感染原因物質であるプリオンは、焼却して死滅させるのが最も確実な方法だが、国際獣疫事務局(OIE)の基準では、組織の大きさを5センチメートル以下に細分したものを、133度C以上、三気圧で20分以上加熱すればよいとされている。
啓蒙ビデオ「BSE」
英国でのBSEの発生は92年から93年にピークを迎え、96年3月20日、保健省大臣が議会で、「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)患者がみつかり、原因としてBSEが否定できない」と述べた。
この結論は10人の患者の調査から導き出されたが、vCJDによる死亡患者は把握されているだけでも95年に3名、96年以降2001年まで、各年に、10名、10名、18名、15名、28名、20名となっている。
それまで、人間には感染しないと繰り返し言われてきたBSEが人間に感染するとの発表は世界を驚愕させた。だが、この時に日本政府がとった措置は、いま振り返っても国民の健康、生命を守るための問題意識に著しく欠けている。
厚生省は96年4月10日及び17日付で、都道府県衛生主管部長又は局長あてに、薬務局審査課長、又は研究開発課長名で通知を出している。内容は、「WHOの専門家会議の提言を踏まえて」「指導をお願いする」というもので、英国産のウシ由来の原料の医薬品、化粧品などを製造、輸入しないこと、その有無を報告することなどが書かれている。
一方、BSEの所管官庁農林水産省もまた、96年4月16日付で厚生省と同じく課長名での一枚の通達を、都道府県の農政部長あてに出した。「反すう動物の組織を用いた飼料原料の取扱いについて」という同通達は本文わずか5行、195文字。4月2日及び3日のWHOの専門家会合で反芻動物への肉骨粉使用禁止の勧告が決定されたので「貴管下関係者に対し周知を図られたい」という簡単な内容だった。
千葉県でのBSE第1号牛発見のとき、政府は96年4月時点で肉骨粉への注意を促す対策をとっていたと述べたが、上の通達は、担当者らの記憶には残っていなかった。日本の牛の約半分を飼育する北海道においてさえ、農業指導員も獣医師も、そして農家も、取材した人はみなこの通達を目にしたことがないと語った。
では、米国は、BSEが人間に感染する可能性あり、との情報にどう対応したか。
ここに一本のビデオテープがある。「BSE」というタイトルで、米国農務省が制作した。20分強の同ビデオは、96年4月22日に作られ、全米の関係者に配付された。日本の農水省通達とほぼ同時期である。
2002年の今見ても、内容は十分参考になる。
BSEの症状、発生の歴史、考えられる原因などを簡潔かつポイントを押さえて説明、96年2月時点での米国内でのBSE発生例はないが、非常な警戒を要すると警告を発している。
印象に残ったのはBSE感染牛の映像である。日本を含む世界各国で繰り返し報じられたBSE感染牛の映像のひとつに、スロープで足を滑らせ続け、必死に立とうともがく牛の姿がある。牛のような蹄をもった動物は、平らな固い坂道が苦手だが、あの牛は感染による神経症状と苦手な坂道が重なり合ったためか、悲惨な姿だった。
米国農務省のビデオは、このよく知られた牛の姿の代わりに、英国の協力を得て5頭の感染ケースを紹介している。
仲間の群れから離れがちになる、音に敏感になる、触られるのを嫌がる、頭部を頻りに振る、舌で鼻先をなめる、攻撃的になる、脚を高くあげて歩く、体のバランスが悪くなるなど、5頭の牛は各々、異なる、しかし特徴的な動きをみせていた。また、その牛の従来の性質が変わってしまうことも重要なポイントだと説明されている。
このビデオを見ておけば、感染牛に遭遇したとき、閃(ひらめ)くものがあるだろう。それはたんに悲惨な映像より余程有益である。
ビデオは最後に、怪しいケースを見つけたら、直ちに地元のセンターか、連邦政府の担当窓口に連絡せよと電話番号まで示した、行き届いた内容だ。
ビデオ作戦及び、厳しい輸入規制と並行して、米国はBSEの発生を待ってから手を打つのではなく、BSEハント作戦に出る。1億頭の中に、感染牛がいるか否かを調べるため、3歳以上の牛の中から無作為に選んで、BSE検査を始めたのだ。
「毎年、5,000頭ずつの検査です。それをずっと続けてきたのです。結果として、畜産大国でありながら、今日までBSEをくいとめているのです」
と伊藤氏は語る。
米国は2002年1月から、さらに警戒体制を強めた。BSE発生のピークをすぎた英国とは裏腹に、99年以来、仏、スペイン、独などでBSEが急増、日本でも発生した。こうした一連の事態を深刻に受けとめ、米国は検査頭数を5,000頭から12,500頭に増やしたのだ。
連絡がつきませんでした
ならば日本政府はどうしたのか。
2001年9月、千葉県でBSEの国内発症例第1号が出た。この乳牛の感染を調べるプロセスをみると混乱と怠慢の連続である。
まず、千葉の乳牛は2001年8月6日に処理され、脳は動物衛生研究所(動衛研)に送られたが、15日、動衛研はBSEについて陰性と結論づけた。
ところが、24日、千葉県家保の検査で、脳のスポンジ状態を確認、同日、ファックスと電話で農水省に連絡。電話を受けた同省担当者は、動衛研に検査結果確認の連絡をとるが、相手方不在でそのまま放置。4日後、ファックスに気づき再び相手方に電話連絡するが、またもや連絡つかず、確認検査は9月7日に行なわれた。
この間、2週間がすぎていた。
9月10日、動衛研検査でもBSEの陽性反応が出され、農水省がBSEの疑いありと発表。9月22日、農水省が千葉の乳牛はまちがいなくBSEとの確認診断を英国獣医研究所から受け取ったと発表した。
政府は自らの判断に自信が持てず、8月6日から47日もかけた末に最終的な判断に辿りついたことになる。
米国が検査体制を整えた90年から11年後、日本ははじめてのBSEに周章狼狽した。英国でのBSEの大発生を見ながら、日本は検査態勢さえ整えていなかったのだ。
この無策ぶりには、しかし、許し難い第2幕と第3幕がある。
第2幕は欧州連合(EU)が2000年秋から2001年春にかけて行なったBSE発生に対する各国のリスク評価に対して、日本の農水省が猛然と反発し、報告から日本を省かせたことだ。
農水省は2000年11月、2001年1月と4月の3度にもわたってEUに抗議を繰り返した。
EU側は日本が88年に英国から19頭の生きた牛を輸入し、18頭が肉骨粉に加工されたとみられていること、90年に英国から132トン、98年以降もイタリアとデンマークから肉骨粉を輸入したことなどを根拠に、日本のBSE発生の危険度は「カテゴリー3」だとした。
これは4段階に分かれた評価の中で2番目に危険な国の位置づけである。最も危険な「カテゴリー4」は「高いレベルの発生確認」で英国とポルトガルだ。次が日本など17ヵ国で「BSEの可能性あり、又は低レベルの発生国」というものだ。
ちなみに米国はその次の「カテゴリー2」で「可能性はほとんどない、しかし否定できない」国と